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第2話「佐藤さんは無自覚小悪魔」

「……おはよっ」


 囁くような小声で挨拶をして、にっこりと微笑む隣の女子生徒。反応が一拍遅れ、俺はポカンと口を開けたまま、挨拶の返事もできずに女子をぼんやり見つめるだけしかできない。


「んん? おはようというより、おそいよう? 遅刻なんて珍しいね、新留にいどめくん」

「……おはよう、佐藤さとうさん」


 今更ながら挨拶を返すも、女子……佐藤さんは特に気を悪くすることもなく、笑顔のまま「うん」とにっこり頷いた。

 その後、内心激しく狼狽する俺をじっと見やっていたかと思えば、円らな目をいっそう丸くして、佐藤さんはスカートのポケットからするりと何かを引き抜いた。


「はい、これ。良かったら使って?」


 そうやって佐藤さんから差し出されたのは、淡いピンク色のハンカチだった。端にはワンポイントの刺繍があり、可愛らしい花模様が縫われていた。

 俺は女の子らしいハンカチを前に二度三度と目を瞬き、まじまじと見つめて黙りこくる。というか、どんな反応を返せばいいのか分からず、固まることしかできやしなかった。


「……お節介だった? それならごめんね」

「いや、そんなことはないけど……」

「そう? だったら、使って。汗拭かないと、身体が冷えて風邪引いちゃう」


 佐藤さんは中々受け取らない俺に痺れを切らしたのか、ぐいとハンカチを手にねじ込むように渡してきた。そこまでされたら、俺もハンカチを使わねばなるまい。

 受け取ったハンカチは柔らかなコットン素材で、恐る恐る額に押し当てればふわりと微かに甘い香りがした。

 これが佐藤さん家の洗剤の匂いなのか、と変態じみた想像をしてしまい、彼女の厚意を踏みにじっている気がして馬鹿な妄想を慌てて振り払う。


「これ、洗って……いや、クリーニングに出して返すから」

「いいよ、あげる」


 佐藤さんからの軽やかな返事を受け、俺は一瞬気分を昂ぶらせたが、瞬時に真意を悟って落胆した。

 よく知りもしないクラスの男子の汗を吸ったハンカチなんて返されても、処分に困るのは明白だ。俺が佐藤さんの立場なら、返却されても絶対に二度と使いたくない。というか、捨てるに決まっている。


 俺は半笑いでごにょごにょと「ありがとう」とか感謝めいた呟きを放ち、佐藤さんから視線を離して黒板へと向き直った。

 隣の席に座る女子からの思わぬ親切心に色めき立っていたが、汗も引いて身体も冷えて冷静さを取り戻すと、無性に申し訳なさが募ってくる。

 だが、相反するように、佐藤さんの無遠慮な優しさには怒りさえ込み上げてきた。

 佐藤さんの行動はまるで、男子高校生の純情を弄ぶ悪女のようではないだろうか。俺のような陰キャ男子にも分け隔てなく接し、ニコニコと楽しそうに話しかけてくる。


 思えば最初からそうだった。

 佐藤さん、佐藤千晴ちはるとは今春、二年生に進級してから同じクラスになった。

 新しいクラスになって一ヶ月も経っていないが、すでに教室ではグループ分けがおおかた終わっていた。誰が決めたわけでもないものの、カーストめいた序列さえ生まれているのだ。

 俺は当然のように下層グループであるところのオタク男子数名で固まり、教室の隅でボソボソと深夜アニメなどを仲間内では楽しげに、端から見れば根暗に語っているような地位にいた。居心地はけして悪くないけれど、クラスでの扱いは最底辺と言っても過言ではない。

 対し、佐藤千晴は男女混合のなんとも華やかなグループに属していた。

 容姿は端麗、勉強やスポーツもそこそここなし、話題性に事欠かないクラスの中心的なリーダ格が揃う集団。俗に言うリア充共の集まりだ。

 俺の対極に存在する奴らばかりで構成されており、できる限り近づきたくないし、そもそも何の話をすればいいのかさえ見当がつかない連中だ。

 それなのに、佐藤千晴はてらいなく俺なんぞに話しかけてきやがった。それも、何度もだ。

 席が近いから、暇つぶしに話しかけてくるのかと当初は訝しんでいた。生態の分からないオタク男子をからかって、適当に遊んで嘲笑しているとも疑っていた。


 今現在も疑いは解けていないものの、それにしては会話の頻度が多すぎるとも思ってはいた。

 俺なんかと喋っても、何にも楽しくないだろうに。興味のある事柄だって、互いにかすりもしていないはずだ。現に、佐藤千晴と話す内容はどうってことのない世間話が大半だった。今日の天気やテレビで観たニュースの内容と云った当たり障りのない話題。

 そして最悪なことに、俺はろくに気の利いた返事をできず、話題を振るのは大抵佐藤千晴ばかりだった記憶がある。こんなに話のつまらない男子とよく会話ができるな、と半ば感心していた。


 それから、佐藤千晴の思惑は何なのかと内心怯えてもいた。

 俺と話していることを他の友人たちに面白おかしく報告して、あざ笑っているのだとも最近では邪推するようになり、はっきり言って佐藤千晴と会話をするのに恐怖さえ抱いていた。

 早く俺なんかに興味が失せ、他の女子たちと同じくいない者同然に無視してくれればいいと願っていたのに、今さっきの行動は一体何の真似だろう。普段使いっぽいハンカチを渡してくるなんて。

 佐藤千晴の真意が分からないため、ただの親切心ではあるまいとまた怯えが加速した。

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