毎日君に、好きだと言うよ
「好きだよ」
僕は君の小さな耳に唇を寄せ、吐息を吹き込むように囁きかける。
「ずっと、君の傍にいるよ」
もう数え切れないほど繰り返してきたそのセリフに、君には決して届くことのない想いを込める。
――君を懐深くに抱き締め、君の目から僕の姿を隠しながら。
君の身体は華奢だから、苦も無くすっぽりと包み込めてしまう。そうやって僕の中に閉じ込めて、僕の声だけを聴かせるんだ――君の心を惑わせるために。
僕が囁くと、君はいつもホッと吐息を漏らしてふわりと僕にもたれかかってくる。
何の疑いもなく安心しきって僕の膝の上で丸くなる君の温もりはどうしようもなく僕を苛むけれど、その苦しさは時に耐えがたいほどのものになるけれど、僕はやっぱり君に手を伸ばしてしまうんだ。
かつては、君が僕を求めた。
だけど、今では、僕が君を求めてる。
初めて君と出会ったときのことを、何かの折にふと思い出す。
あの日、駅の構内で、友人と話しながら歩いていた僕の袖を君はいきなりつかんだよね。
何かに引っ掛けてしまったのかと思って反射的に謝ろうとした僕の目に入ってきたのは、君だった。
少し目尻の下がった大きな目。
耳の下くらいの長さの、ふわふわのくせ毛。
小柄で、平均よりもガタイがいい僕の肩に頭の天辺がようやく届くくらい。
――全然知らない、女の子。
最初は、高校生かと思ったよ。
後で一つ年下なだけの十九歳だと聞かされて思わず僕が笑ってしまったとき、君は結構ガチでムッとしていたよね。
あの時、零れ落ちんばかりに見開かれた君の目には確かに喜び、いや、歓喜の光が浮かんでいたのに、それは僕と視線が絡んだ瞬間掻き消えて、代わりに潮が満ちるように絶望がそこに現れた。
そうして、その絶望と一緒に涙を溢れさせたかと思うと、君は突然糸を断ち切られてしまった操り人形さながらにその場にくずおれた。
盛大に泣きじゃくる君をどうしたら良いのか判らなくて、僕は思わず君を抱き寄せてしまったんだ。
ぺたりと座り込んで、両手で何度も何度も涙をぬぐう君を、見ていられなかったから。
そんな君を、不躾に投げ付けられる冷ややかな視線に晒されるままにしておきたくなかったから。
その時一緒にいた友人を先に返し、僕はジャケットの下に隠すようにして、君を抱き締めていたんだ。
ずいぶん経ってからようやく泣き止んだ君は僕の腕の中で顔を上げて、恥ずかしそうに微笑んだ。
ごめんなさい、という小さな囁きはかすれていて、聞き取りにくくくぐもった鼻声だったのを、やけにはっきりと覚えてる。
そして、目は腫れて、鼻は赤くて、頬は涙でぐちゃぐちゃの君の笑顔を目にした瞬間、僕の胸は何か大きな塊でも呑み込んでしまったかのように詰まって、息を吸うことすらできなくなったんだ。
あの日の君の涙の理由を、今の僕は知っている。
僕の腕の中で眠りに就いた君が時折漏らす呟きを、耳にしているから。
その眠りの中で『彼』の名前を呼んで、温もりを乞うように僕の胸にすり寄せる頬に伝う涙の味を、知っているから。
君は僕を見て、僕に触れて、僕に笑いかける。
その眼差し、その体温、その声――僕は君の全てに囚われているのに、君が求めているのは、僕じゃない。
君が求めているのは、ただ一つ。
僕の声、ただそれだけだ。
『彼』とよく似た――音の溢れる雑踏の中でも君を引きつけてしまうほど『彼』とよく似た、僕の声。
もう二度と聴くことが叶わないと判っていても、それでも君を振り返らせた、僕の声。
過去に囚われたままの君は弱くて臆病で愚かだ。
だけど、そんな、偽物にすがらずにいられない君の弱さすら、愛おしい。
愛おしくて、愛おしくて、愛おしくてたまらないから、君を苦しめる全てから遠ざけ、たとえそれが仮初の安寧にすぎないとしても、包み込んでおいてあげたいと思ってしまう。
だから、望まれるままに君を抱き締め、僕は何度も繰り返す。君の視界を奪い、ただ、この声だけを君に届ける。
君には気づかれないように、そっと、柔らかな髪にキスをして。
「好きだよ」
と。
「君の傍にいるよ」
と。
君の望みでこぼし始めたその言葉は、今では、僕自身のものになった。
僕は、君が好きだよ。
僕は、君の傍にいるよ。
君の為にという仮面を被りながら、僕は心の底からの想いを毎日毎日囁き続ける。
いつの日か、満面の笑みを浮かべた君の目を真っ直ぐに覗き込んで同じことを告げられたらいいのにと祈りながら。