第5話
「――――覚えてないのか、俺たちのこと……」
その質問は、僕にとって一番答え難いものだった。
覚えていないと言うのは事実ではあるのだが、そう答えるべきか僕は迷っていた。
さっきのやり取りでも、皆とても楽しそうに見えた。
そして、この家族の輪の中には、メルもいたのだと思ったから。
この輪に入りたいと、思ってしまったから。
だからこそ僕は、嘘を吐き続けたくない。
既にリリーカさんは僕にこの世界の記憶がないことを知っているし、嘘は必ず綻びが出る。
すべて分かっていてやっていること。
自分の為だけの行動。
恐らく彼は傷つくだろう。
この体の年齢の分だけ育て、一緒にいたことはほぼ間違いないのだから。
「…………すみません」
やっぱり、僕は弱虫だ。
>第5話・夕食にて、その2<
「そうか…………。いや、済まないな……、分かっていたことではあるんだ。はっきり聞いて漸く受け入れられたよ。私としたことが情けない……」
彼がそう言ったところで、女性が声をあげる。
「それでは、自己紹介何てどうでしょう? メルにとっては私達はまだ知らない人になるわけですし、これから長い付き合いになるでしょうから」
彼女の提案に彼は賛成する。
「ああ、それはいい考えだ。ありがとう、ルリア」
どうやら、彼女の名前はルリアというらしい。
そしてそのまま、ルリアさんから自己紹介が始まった。
「それでは私から始めますね。――――分かっているとは思いますが私の名前はルリア・シュラーツです。血縁関係としては、あなたの母親になりますね。これからよろしくお願いしますね、メル?」
「は、はいっ。よろしくお願いします」
かなり重い雰囲気だったのが、ルリアさんの提案から一気に自己紹介の流れに変わったせいで、少し戸惑ってしまった。
どうやら、夕食前の3人のやり取りを見ても、ルリアさんが会話の流れをコントロールすることに長けているであろうことが分かる。
そして次はあの男性の番だった。
「それじゃあ次は俺だな。まず俺の名前はレイモンド・シュラーツだ。そして――まあ、言わなくても分かると思うが――お前の父親だな。あと一応この城の城主をやっている。今後一から関係を作っていくことになるが、よろしく頼む。それと……さっきは本当にすまなかった。」
「あっ、いや、大丈夫です!もう大丈夫ですから!!」
もう既に一回謝られているのに、これ以上頭を下げられたら僕のほうも申し訳なくなってくる。というか城主がそんなに何度も頭を下げていいのだろうか? 少し心配になってくるが、ともかく、レイモンドさんがいい人だということは分かった。
「あ、あの……そろそろ頭を上げてください、レイモンドさん。本当に、大丈夫ですから」
と、僕の言葉にレイモンドさんはようやく頭を元に戻してくれた。
「あぁ、ありがとう。メル」
しかし何か気になるのか、少し煮え切らない顔をしている。
「『レイモンドさん』?」
と呼び掛けると、少しピクリと体を動かしたが、「いや、何でもない…………」と、また前の表情に戻った。
本当にどうしたのだろう。
少し首を捻って考えてみるが、何も思いつかない。
何か失礼なことをしてしまったのだろうか。
「うふふ。恐らく、『実の娘に他人行儀にされているのがむず痒いが、本人の記憶がない以上仕方がない』とか、思っているんじゃないですか? 多分遠慮することないと思いますけどね」
とルリアさんが言うと、レイモンドさんが図星を突かれたと言わんばかりの顔になった。ドンピシャらしい。
「あー……、メル。その……なんだ……出来ればでいいんだが…………俺のことは名前ではなく……えー……メルの『父親』として呼んで欲しいのだが……いや本当に嫌で無ければでいいんだ…………」
あぁ、なんだ、そんなことか。
「全然嫌じゃないですよ、『お父様』」
この程度のことで喜んでくれるなら、せめてもとして。
「メル~。じゃあ、私のことも同じように呼んでください~」
「もちろんですよ、『お姉様』」
あぁ、上手く笑えているだろうか。
これで少しは――――――――
メルの代わりに為れただろうか。
▽▲▽▲▽▲▽
その後は気まずい雰囲気も無く、リリーカさん、じゃなくってお姉様と、お父様、お母様と一緒に夕食を食べ終えた。
よく考えてみたら吸血鬼なんだし、夕方に食べる食事が起きたばかりのものになるはずで、そう考えると朝食の様なメニューなのも納得がいく。
お母様からは無理に呼び方変えなくても良いと言われたが、一人だけ名前呼びなのも変だし、お母様と呼ばせて貰う事にした。
夕食中にこの城の大体の構造を教えてもらったので、この後お姉様と一緒に見て回る事になった。
何でもこの世界で有数の大きさの図書館がここには有るらしい。
前世では小説くらいしか読まなかったが、異世界の大きな図書館というだけで興味が湧いてくる。
それに、この世界の文化や歴史も早めに知っておきたいと考えていた。
あの神様は邪神がどうのこうの言っていたし、ステータスプレートに有った「災禍の子」という称号も、どうにも気になって仕方が無い。
「メル〜? どうしたんですか〜?」
「あっ、いえ、図書館ってどんな感じなのかと……」
「あ~、そうですね~。一言で言うなら本当にきれいなところですよ~」
「きれい、ですか……?」
「詳しくは見てからのお楽しみです~」
そう言ってお姉様は小さなホールのような空間に僕を連れてきた。
見たところ行き止まりで、何もない。
「スコット」
「はい、ここに」
「ひゃっ……!」
突然アンナの声がして、驚いて変な声が出てしまう。
確かに二人だけで歩いていたはずなのに。
「…………?」
いや、そんな「どうされましたか?」みたいな顔をされても……。
本当にいつから居たんだろうか。全く気が付かなかった。
「それでは失礼します」
そう言ってアンナは円形の部屋の中心に進み出ると、何処に持っていたのかナイフを取り出して指の腹に押し当てた。当然ながら皮膚が切れて、そこから血が流れ出す。
「えっ……! ちょっと!」
「ご心配ありません。直ぐに止まりますので」
「そうじゃなくて……! なんで!」
少し声が荒くなってしまう。
「必要なことでしたので」
アンナはそう簡潔に答えてしゃがみ込み、床に血が付いた指を押し当てる。
その瞬間――
部屋の中央、アンナが指を当てた場所から青白く光るラインが走り、部屋全体にまるで蜘蛛の巣のような複雑な模様を描く。
そのラインは炎のようであるが、熱くはなく、むしろ不気味な冷たさを伴って揺らめいている。
そして発光が一際強くなったとき、アンナの澄んだ声が響いた。
「――――我、知を求むる者。我、真を望む者。我、理を欲す者。叩けよ、さらば開かれん」
青白かった光が、白くなり視界を覆う。
一瞬の浮遊感の後目の前に有ったのは、堆く積まれた本の山だった。