第4話
そうして自己紹介が済んだ後、休憩もそこそこに僕達は再び廊下を歩いていた。
相変わらずこの城の広さを実感させられる廊下で、前を通り過ぎた扉は両手の指では足りないほどだ。
そして先程とは違い、僕達の少し後ろを音もなく歩く従者が一人。
彼女はアンナ・スコット。僕の専属の従者だという女の子だ。
僕とそう変わらない身長に、同じ暗い深紅の瞳、セミロングの銀髪。そして少しあどけなさがある無表情な顔。後ろに付いて歩く様子は可愛らしい人形のようだ。
さっきからチラチラと見ていただろうか。アンナが話しかけてきた。
「お嬢様、どうかされましたか?」
「ううん、何でもないよ」
流石に可愛くて見とれていたなんて言えないしね。
そう言えば僕は殆どの人とは敬語で話すが、アンナには割と砕けた話し方になってしまう。何故はわからないけど、これはアンナの可愛さや見た目の幼さの影響なのだろうか。
すると、そんな短いやり取りを少し微笑ましげに見ていたリリーカさんから声がかかる。
「二人とも~、着きましたよ~」
そうして案内された部屋の扉の側には、小さく〈夕食室〉と書かれていた。
>第4話·夕食にて、その1<
他の部屋と比べて大差ない、どちらかと言えば少し地味な夕食室の扉の前で会話を続ける。
「えっと……、もしかしてこれから夕食ですか? 僕はあんまりお腹が空いていないんですけど……」
「ああ、大丈夫ですよ~。そんなに出てこないと思いますから~」
それならいいんだけど……。
そういえば、どうでもいいけど夕食どきということで今は夕方らしい。今の時間は少し気になっていたのですっきりした。
「そうそう、夕食にはお父様とお母様も来られるんですよね~。今のメルにとっては初対面ですけど、一応記憶喪失のことは伝えているので安心してくださいね~」
えっ、ちょっ、安心して下さいといきなり言われましても。
しかし事態は僕をよそに進んでいく。夕食室の扉が開かれて中が見える。幸いにして中にはまだ誰もいないようだが、メルの両親との対面も時間の問題だ。コミュ障を自覚している僕としては、会うのはもう少し先延ばしにしたいところではある。
しかしそのままなされるがままにリリーカさんに押されて椅子に座らされ、必死の思いで助けを求めてアンナを見るも、彼女は無表情のまま一礼し、扉を閉めてしまう。なんと薄情な。
そして数分後。
結局僕は椅子に座らせられたまま、件の『両親』が来るのを待っていた。
恐らく記憶を失う前にこの体にあった、メルという少女に近親感は覚えるが自分がメルであるかと言われればそれは違うと言える。第一、記憶を失ったのに前世の記憶がある時点で矛盾している。まあそれでもリリーカさんやアンナに対し、知り合ったばかりとは思えない感情があったりとおかしなこともいくつかあるのだが。
結論は曖昧で、結局は先伸ばし。考えてもわからないなら後回し。もちろん本当に必要なこと以外は、だが。
なるようになる。
案外自然に任せていれば、人間なるようになるものである。
はい、自己奮起終わりっ。
いっちょ気合いを入れたところで、覚悟を決めますか。
物事はなるようになっても、性格はどうにもならないのである。
努めて冷静に、心を落ち着かせて。
頑張れ、僕。
そうしているうちに、扉の外から足跡と微かな話し声が聞こえてきた。
恐らく『両親』であろうその音の主達は扉の前で歩くのをやめ、この部屋に静かに入ってきた。
まず入って来たのは長身の男性。いかにも中世らしい出で立ちで、金髪のショートカットで、暗く、引き摺り込まれそうな紅い双眸。その瞳が僕のそれと交わる、その一瞬で僕はこう覚ったのだった。
この人には逆らえない、と。
瞬間的に。
絶対的に。
脳髄まで凍てつくような、本能的な『恐怖』を伴って。
もはや一歩も動けず、目を逸らすことさえ出来ず、ただただ直立不動のままその男性を見上げるのみ。
そうして数秒だろうか。数十秒だろうか。
時間を感じられなくなるほどの威圧感が、嘘であったかのように霧散する。
「いや、すまなかった。少し確かめたい事があったものでね」
そういった男にリリーカさんが大股で詰め寄り大声で捲し立てる。
「お父様!! だからすぐに高圧的な態度をとるのはやめて下さいと言っていますよね!! ましてや今メルは記憶がないんですよ!! 言ってしまえば初対面も同然の人にあんな威圧ぶつけられたら怖がるに決まってるじゃないですか!! バカなんですか!!」
リリーカさんがそこまで一息で言い切ったところで、もう一人女性が部屋に入って来る。
「あらあら、またリリーに怒られているんですか。全くこんな時でも変わらない態度にはつくづく感心させられますね」
「本当にそうですよ!! いつになったらちゃんと直してくれるんですか!!」
「すまない! わかったから、そんなに怒らないでくれ。ほら、メルも見ていることだし……。ねっ?」
姉が怒って、父親がそれに平身低頭して謝り、母親はその二人を眺めて微笑んでいる。
どこのホームコメディーだ、と言いたくなる光景だった。
「誤魔化そうとしないで下さい!!」
再び声を荒げるリリーカさん。何もそこまで怒ることもないと思うのだけども……。
「そこまでですよ。メルが困って増すし、リリーも落ち着いてください。それと…………、部屋に戻ったら分かってますよね?」
「は、はいっ…………」
「すみません、お母様。メルもごめんなさい、もう大丈夫ですよ~」
リリーカさんも落ち着いたようで、僕に謝ってくれた。別に謝ってもらう程の事でもないんだけど。
そうして、今までのやり取りでだいたいの力関係が分かったと思う。どうやら父親は尻に敷かれるタイプらしい。少しばかり肩身が狭い思いをしていそうである。まあ自業自得の様な気がしないでもないが。
「では、そろそろ席に着きましょう。料理もできたようですし」
そう言われて扉の方を見ると、朝食を載せたワゴン台とメイドさんが待っているのが見えた。
ん……?朝食……?
確かこの部屋の名前は夕食室だったと思うのだが。
そんな事に違和感を覚えていると、立っていた僕以外の三人が席に着き夕食(?)が運ばれて来る。
しかし何度見ても朝食にしか見えないメニューだ。
中身を言えば、トースト、ベーコン、スクランブルエッグ、それと簡単なサラダが一枚の皿に盛りつけられている感じ。
とりあえず、誰も何も言わないので、そのまま食べ始めようとして手を合わせたところで、全員が既にフォークとナイフを動かしているのに気付く。
「あっ…………」
そうだった。こんな西洋文化っぽい世界で、『いただきます』や『ごちそうさま』を言う訳がない。
それでも元日本人としては言わないと落ち着かないので、小声で小さく「いただきます…………」と呟いておく。
どうやらリリーカさんには聞こえていたようで、チラリと僕に視線を向けたがすぐに元に戻される。
やっぱりそういった習慣のない人から見ると、変に見えるようだ。
少し恥ずかしい。
それは置いといて。
僕も早速食べ始める事にする。
出てきた料理は、やはりこんな豪華な城で出てくるだけあって、とても美味しかった。どの料理も、地球にいたときに家族旅行で行ったホテルの朝食にも劣らない。もしかしたらそれより美味しいかも。
トーストは綺麗なキツネ色に焼け、そのまま何も塗らずに食べても十分に美味しいほど。
特に一番美味しかったのはスクランブルエッグだ。そのふわふわの食感もさることながら、濃厚だが後味はさっぱりとした深いコクがある。何か隠し味的な物を入れているのかもしれない。
そうしてしばらく夢中で食べること数分。
僕の斜め向かいに座っていた男性が口を開いた。
「あー、それでだな…………、えー、何というか、本当に――――」
何だか言いにくそうにしていたが、意を決したように言ったその質問は、
「――――覚えてないのか、俺たちのこと……」
僕にとって一番答え難いものではあったけれど。