回想 中等部編 3
「…」
第二図書館にページをめくる音が響く。
ノートに目を落としたまま規則的に聞こえる音に耳を傾ける。
黙って本を読む先生と問題を解く私。
先生が用意してくれた課題をノートに書き写してから解いていく。
寮にまでは持って帰れないのでこうして写して何度も復習するようにしている。
「リシアさん、そこ間違ってる」
先生の声を受けてノートを見直す。
「あ、本当ですね」
スペルが違っていた。書き直して続きをする。
先生が指摘するのは簡単な計算間違いやスペルミスだけ、それ以外の間違いには一切口を出さない。
一度だけ理由を聞いたことがある。その返答が…。
『間違いは気がつくまでは間違いじゃないからね』
言われたときは言葉を失ったけれど、考えてみたらその通りだ。
仕事なら自分で気が付かなければいけない。
人に注意されなければ間違いに気が付かないなんて無能もいいところだと思う。
何より他人が親切に教えてくれるとは限らないのだから。
これ幸いと失態を責める人間もいるだろうし、誰かが見つけてくれることを期待してはいけない。
それに、本当にわからないことは聞いたら教えてくれるから助かっている。
少しだけノートから顔を上げて先生を見る。
長い髪の下、眼鏡の奥から覗く若葉色の瞳は一点に集中していて、その視線の先にあるものが少し気になった。
「先生何の本読んでるんですか?」
組んだ足の上に乗せたその本はノートより一回り大きく、分厚い。とても重そうだ。
本の装丁からすると結構古い物に見えた。
「ん? 何に見える?」
「何って…」
腰を浮かせて覗き込んだ瞳に映ったのは何も書かれていない、経年で色褪せたページだけだった。
「私には白紙のページに見えます」
それ以外に何か見えないかと角度を変えてみるもののやっぱり何かが書いてあるようには見えない。
「そうだろうね」
「…何を見てるんですか?」
声に不審が混じってしまったのは致し方ないことだと思う。
訝しげな表情をしている私を見て先生がふっと笑みを深めた。
「こっちにおいで」
呼ばれるままに先生に近づく。横から見ても特に変化はない。
「もうちょっとこっち」
そう言われて顔を近づけると突然目の前が暗くなった。
「何ですか?」
目を覆うのは先生の手だろう。片手だけで視界を奪う大きな手に眉を寄せると先生が耳に口を寄せる。
「前を見て」
見える訳がない、文句を言いかけた口のまま止まる。
暗闇に青白い光が見えた。
あり得ない事象に目を凝らす。
浮かび上がるのは光で描かれた線といくつもの図形。
正体を確かめようと手を伸ばした瞬間作られた暗闇が消えた。
「何ですか…、今の」
呟けば思いのほか近くにあった先生の顔が笑む。新緑の瞳が一瞬だけ煌めいた気がした。
(魔法陣…?)
自分の知識の中から近い物を引っ張り出す。けれどそれが正解でないのは自分でもわかっている。
「魔法陣かと思いましたけれど、違いますよね」
「そうだね、もう少し貴重なものかな」
そう言って先生が前のページを見せてくれる。聞こえた言葉に不穏な物を感じたけれど、目を逸らす間は与えられなかった。
捲ったページには古語で何らかの説明が書いてある。これは…。
「何故、これを私に…?」
「興味を持った事柄に対して指導するのは教師として当然のことだよ」
艶然とした笑みを浮かべる先生を見て私は心の中で絶叫した。
何て物を見せてくれるのかと。
その本は簡単に言うと”魔法の使い方”について書かれた本だった。
第一級指定の禁書で個人の所持は勿論、閲覧も禁じられている。
普通なら書庫の奥で厳重に保管されていないとおかしい物だ。
そんな物まで置いてある第二図書館の蔵書の豊富さに戦慄を覚えた。