婚約破棄はプロローグ
1話はほぼ短編と同じ内容ですが、少しだけ角度を変えて書いています。
久々に学園の門を潜る。
逸る気持ちのままに足を進めた。
目的の人物を探して校内をひた歩く。
「第二にもいなかったし、教員室にもいない…」
いったい何処にいるのか。他の心当たりなんてなかったから思いつくままに探す。
中等部と高等部の間を繋ぐ通路を渡り一度も足を踏み入れたことのない校舎へ向かう。
早く会いたい。
気持ちばかりが急いてしかたない。どれくらいぶりになるのか、変わらぬ笑顔が見れるのを心待ちにしていたのに求める姿がどこにもない。
「今日戻るって伝えたのに」
ほとんど走るような速さで校内を進むリシアの前に一人の男性が立ちはだかった。
「…?」
突然のことにわからない程度に眉根を寄せる。
リシアより2、3つ上の年齢に見える男性はリシアの全く知らない顔だった。
道を変えようと顔を横に向けようとした瞬間、声を掛けられる。
「久しぶりね、リシア」
男性の後ろから出てきたのはリシアの姉の友人の一人。
取り巻きと言った方が正確かもしれない。
遠縁の家の令嬢であるカーミラ様。
遠縁といっても姉の母親の従妹の娘なので父親が外で作った愛人の子供であるリシアとは全く繋がりがないけれど。
「お久しぶりです」
再会を声高に喜び合う関係でもないので控えめに挨拶を返す。
本当に久しぶり。歳が2つ上の彼女とはリシアが学園の中等部に入って以来顔を合わせたこともない。遠目から見たことはあったけれど。
幼い頃、屋敷に遊びに来た彼女たちと姉が結託して行った嫌がらせは幼いリシアを傷つけるには十分なものだった。
定番のドレスを汚されたり、大切な物を壊されたりといったものから、勉強を教えると言って不出来なリシアを笑ったり。
2つも3つも下の子供がついていけるわけがないと今ならわかるけれど、当時は自分は何も出来ないおバカな子なんだと本気で落ち込んだ。
それを主としてやっていたのは別の令嬢だけれど、彼女も一緒になって笑っていた。
正直良い思い出が全くないので関わりなくない。
カーミラ様は道を塞いでいた男性に寄り添い手を取った。
彼女の恋人か婚約者なのだろうか。
カーミラ様の手の感触に勇気を得たように、ひとつ頷いて男性が口を開く。
「リシア、私は君の婚約者として相応しくない」
「は?」
突然のことに令嬢らしからぬ声を上げてしまう。
婚約者?何を言ってるの、この人。
「本当に申し訳ない、君との婚約を破棄させてもらう」
困惑に目の前の男性を見つめると視線をどう解釈したのか苦渋の顔で再度謝った。
「君が私の為に地方都市で花嫁修業をして待ってくれていたことも知っている。
それでも私は君とは結婚できない…! 他に愛する人がいるんだ!!」
そう叫ぶ男性の隣には淑やかに寄り添う女性。
一見しただけならそう見える彼女は沈痛な表情の奥の瞳で笑っていた。
二人が立ち去った後で呆然と呟く。
「婚約自体初耳なんだけど」
花嫁修行って何の話だ。
この三年間隣国の学園で学んでいたリシアがこの王国の地方都市に存在出来る訳がない。
全く意味のわからない話だったが、ひとつだけはっきりとわかったことがある。
「私、婚約破棄されたみたいですね?」
近くで見ていた人に向かって確認する。
「そうみたいだね」
何のフォローも入れてこなかった人は学園の教師で、リシアの動向をしるただ一人の人。
探していた人はタイミング良くこの場に居合わせた。
偶然じゃないよね、多分。
「先生、お久しぶりです!」
ようやくの再開に顔が綻ぶ。
力一杯の挨拶に先生が笑う。
その笑顔を見てじわじわと胸が熱を持っていく。
「向こうでも話も聞いているよ。 よく頑張ったね」
頭を撫でる手の感触に涙が滲む。自分でもよくやったと思う。主席卒業は誇れる成果だ。
「卒業おめでとう、君の夢に一歩近づいたかな?」
「どうでしょう、まだ夢には遠いんだと実感したところですけど」
ひとしきり再会をよろこんだ後、先生が話を蒸し返す。
「婚約破棄もおめでとう」
大きくため息をついて力を抜く。
「そうですね。 良かった、良かった」
あの人が誰かもわからなかったけれど、もうどうでもいいことだ。
「婚約破棄されて喜ぶのは君くらいのものだ」
「多分もう少しいますよ」
この世に望まぬ婚約をさせられた人はリシアだけではないはずなので。
「それにしても花嫁修業ってなんですかね?」
3年間隣国から出てないのに、不思議だ。
「これかな」
先生が見せてくれたのは高等部に上がるときに父から贈られたペン。珍しいこともあるものだと思ったけれど意図があったらしい。
留学するときに先生に預けたそれがなんなのか、答えはすぐに知れた。
ふたの奥に赤い石が嵌められている。これが持ち主の居場所を特定するという。
これを知り合いに持たせて国内にいるように見せかけていたらしい。
少々強引に預かると言ったのはこれが理由なのかと驚く。
と、同時に気づいた可能性にぞっとする。
こんな物を持たせた上で知らせずに婚約を結んでいたということは、時期が来たら強引にでも婚姻させるつもりだったということ。
「ありがとうございます、助かりました」
心からお礼を言う。
魔道具だとは気付かなかった。先生が持っていてくれなかったら面倒なことになったのは明白だ。
「しかし困ったねえ」
「そうですね」。
このまま隣国で就職してしまおうかと思っていたのに、それをすると厄介なことになるかもしれない。
半分だけとはいえれっきとした貴族の娘、肩書が邪魔で仕方ないけれど無視することは更なる厄介事を招くだけなのでそうもいかない。
真面目に困っていると先生が穏やかな声で言った。
「じゃあ、私と結婚しようか?」
「は?」
唐突な言葉の意味を理解するのに数分時間を要した。