後編
「いらっしゃい。……おや」
「どうもこんにちは。昨日行ってた友達を連れてきました」
「どうも」
「こんにちは」
二人が挨拶をする。そしておじいさんが彼らをしばし見つめ、柔和な笑みを零す。
「なるほど……キミらが彼らの連れ……か。いい目をしている。キミらなら彼らを支えられるだろうね」
「ありがとうございます」
そう言って二人は頭を下げる。こっちだよ、と言って先導して歩くおじいさんを追いかける。店の奥の私室に当たる部分。そこの勝手口の辺りに、四人分の荷物が置かれていた。
「厚着も必要だからね。サイズは……適当に見繕ったけど合いそうだね」
笑みを見せるおじいさんに感謝の言葉をそれぞれ伝えるとおじいさんは愉快そうに笑った。
「昨日も言ったが、年寄りの気まぐれだよ。さあ、この時期ならまだ寒さも厳しくない。油断すると命を失いかねんがね」
「さらっと言うことですかそれ……」
佑が思わずツッコミを入れる。
「さあ、準備済ませてサクッと行こうか。おじいさん、その町までどのくらいなんですか?」
「数年前に私が行った時は三日ほどだったが……一週間とみておいた方がいいかもしれんな」
その冷静な目に感謝を一つ。
「お前らの分は……まあ俺が持つか」
「半分はあたしも持つわよ」
そんな風にさらっと自分たちの分を引き受けてくれる。そんな彼らが誇らしくて。何もできないで寄りかかるだけの自分が悔しくて。
「ありがとう……みんな」
愛はただ涙を流して感謝の言葉を口にした。
「うっわ~……寒いねぇ」
道具を受け取って町を出て歩くこと数時間。そこは一面の銀世界に新しい銀の絵の具が吹きつけられるような光景だった。
「『万年雪原』……ねえ。なるほど、あたしも地図では知ってたけど、こんなところわざわざ行こうとも思わないわ」
首元に巻いたマフラーを締め直す。
「愛、足元平気?」
「うん、なんとか」
足が動かない状況で雪原と言うのは、まさに死を選ぶものだといっても過言ではない。足を取られたら立ち上がろうと手を付いても手が雪に沈み起き上がる余裕もなく雪に埋もれて凍死が関の山だろう。
「俺が先行して雪をかきながら歩く。花蓮がその次、最後は久遠と柳川。お前らだ」
「はいはい。まあ、妥当なところかしらね。駆。途中途中前後入れ替わるわよ。雪を押しのけて歩くのも、結構体力使うんだからね」
「分かってるって」
そのやり取りを終えて四人は進む。ようやく安らげるという場所を目指して――。
「いった~……なるほど。こりゃこまめに休んで糖分なり補給しながら体温保たなきゃやばいな」
「足に凍傷作っておいてあんたは何をほざいてるのよ」
カイロで駆の足にできた凍傷を解凍しながら花蓮さんがデコピンを食らわせる。痛い、と漏らしたけれど、それは感覚を忘れないために言っただけだろう。あまりにもここは寒い。寒くて、吹きつける風はナイフで切りつけられるようなものと同義だ。それほどまでにこの環境は厳しい。
「佑、火はこんなで平気?」
「うん、大丈夫。……ここで薪を使うのはちょっともったいなかったけど仕方ないね」
ここで死ぬわけにはいかない。まだ一日目すら終えていないのだ。
「うぅ……きついね」
「わかってたけどね」
二日目、行程はまだ1/5程度。一日目に割と強行軍をしたつもりだがまだまだ足りない。
「足もぐしょぐしょだしな」
「それに関しては諦めなさいよ。あたしらだって、それに関しては諦めてるんだから」
駆のぼやきに律義にツッコミを入れる花蓮さんはもはや称賛しかない。こんな過酷な状況でもそんな会話ができることに安堵する。
「真っ直ぐ行けばいいのが救いだけどね」
「方位磁石が狂っていなければな」
「……不安を煽らないでよぉ」
現実的な駆の意見に愛は苦笑い。
「……まあ、大丈夫だろう。多分な」
そのまま道を歩いていく。
彼らはまだ誰も知らない。佑の付けているブレスレットが四玉砕けて雪の中に沈んでいることに。
三日目――予定日程のもう間もなく半分。この日は運よく晴れていて視界が開けていた。
「さて、どうする。この天気を好機とみて一日目と同じくらい歩くか、様子を見ながら慎重に行くか」
テントから出て焚き火による暖を取りながら駆が問いかける。
「僕は様子見しながら、かな。この辺りの天気は変わりやすいって聞いたし。テントだってお話の世界みたいに簡単に建てられるわけじゃないしね」
「私は……行ける限り行った方がいいと思う。私の足も今はそこまででもな
いし」
「そうねえ……あたしは何とも言えないけど、様子見ね。これで無理して熱でも出したら目も当てられないわよ。帰り道も、消えちゃってるしね」
ふと今まで歩いてきたであろう道の方を見やる。だがそこは既に新雪で新たに塗り替えられていた。それは、もう後戻りできないことを如実に示していた。
「駆は?」
「柳川には悪いが、二人と同意見だ。この辺りの気候は怖い。五分後に吹雪って言われても信じそうだ」
そう言いながら駆は空をねめつける。不確かに雲が途切れ途切れに流れていくその様は人の必死さをあざ笑うような錯覚を与えてくる。
「今日は、ちょっと荒れるかもね」
静かに佑が呟いた。
その予感は最悪なことに的中した。テントを片付けて歩くこと一時間足らず。そのわずかな時間で天気は殴りたくなるほどに急変した。気配をいち早く察した佑に指示で慌ててテントを設置して事なきを得たが、十分遅れていたら雪だるまのようになって凍死するしか無かったように思う。
「危なかったね」
「いやー助かった。こんな微妙なとこで人生終了は嫌だからな」
そんなことを交わす。今もなお外では吹雪がテントへと吹きつけているが、辛うじて壊れずにいるがこれ以上強くなればいつ壊れてもおかしくないように思う。
「でも、テント作る前に町そのものは見えたね」
「点みたいにちっこい感じだったけどね」
「でもあの距離でここまでの速度を考えると……少しペースを無理にでも上げないと食糧と薪が持たないな」
現実問題はそこである。体力は回復するが、食べた食料だけは減るしかないのだ。そしてそれは薪も同様。
「水は雪を融かせば多少汚くても飲めるけど、ねえ」
全員で思わず苦笑いをしてしまう。
「明日以降、計画を少しキツくしても行くよ。それを、やらざるを得ないんだ」
佑の言葉に三人分の首肯が帰ってくる。外の吹雪の音は、少し弱まっていた。
結果としては、この場で休むことは止めて少し先まで歩くことにする。町の影は、姿はあれどまだまだ遠い。
四日目――予定の日程の半分となった。
「ふぅ……」
「平気か?」
「なんとかね」
長々とやり取りをする余裕もない。ただただ淡々と道を進むだけ。前方を歩いていた駆が後ろの花蓮と位置を変える。ほんの少し、町が近付いて見えた。
五日目――強行軍が功を奏したのか、大分町は大きく見えるようになっていた。しかし、その代償は大きい。駆が凍傷で足を痛めた。そして同じように愛を庇いながら歩いていた佑も足の親指の感覚が確実に死にかけていた。そのため、一日分とまではいかないが、半日の休憩となった。
「まったく……無茶して歩くからそうなるのよ。雪を除けて歩くのが危険って何日か前にも言ったわよね?」
「「面目ない……」」
怒られた二人に反論する権利はなく、ただ為すがままに怒られていた。
「恰好つけたがるのもわかるけど、ほどほどにしてよね?」
「……善処するよ」
一切目を合わせずに愛に謝罪するとほっぺをつままれた。痛い。
「心が籠ってないよ?ちゃんと目を合わせて言って」
「……ごめんなさい」
「よろしい」
つまんでいた手を離し、にっこりと笑顔を見せる。
「おーおー、毎度お熱いねぇ」
「今更、茶化す気にもならないでしょう?」
クスリとどこか優雅に花蓮がほほ笑む。なるほど、この二人がいてこそ、この旅はここまでやって来れたのだと心から思う。でも、感謝の言葉を口にするのはまだ早いから。
「もう少し休んだら進もう。上手く行けば、明日には目前ぐらいまで行けるかもしれない」
そんな佑の言葉に、三人は頷く。気が付けば、ヘマタイトのブレスレットは残りが12玉となっていた。
六日目――食糧が危険水位に達した。だが、こまめな補給のおかげで体力は残っているし、残る距離は1キロほどまで縮まっている。本当に目前だ。
「あともう少しで……」
「ああ。けど、気を抜くなよ」
「そうよ、こういう時に良くないことが起こって死ぬこともあるんだからね」
「盛り上がったのにしょげさせないでよ……」
「あはは……」
交わす会話はいつも通り。でも、これが僕ららしいものなんだと強く思う。
「なあ柳川、どんな気分?」
「え?うーん……内緒かな」
「何、それ」
思わず笑みが零れる。
「ここで言ったら面白くないもん。ちゃんと着いたら、ね?」
「……だな」
わざわざ死亡フラグを立てる必要何かどこにもない。もうこの会話そのものがそうだとしたら気にしなればいいのだから。
「さあ、最終日にするよ!」
佑が号令をかける。最愛の彼女のために家を飛び出し、全て彼女を守るために歩み続けてきた主人公が号令をかければこそ、
「なんならお前が辛くなったら俺が二人背負って運んでやるぜ?」
ニヤリと駆が口角を吊り上げる。最大の友たちのために率先して巻き込まれ、障害を払い、道を切り開いてきた親友が笑いながら場を和ませ、
「あんたね……お姫様守るのは王子様の仕事でしょ?端役が出張るんじゃないわよ」
呆れたように花蓮が息を吐く。境遇に驚嘆し、見染められていた才をのしつけて返し、飛び出したもう一人の親友が諌め、
「ふふ……すごくいつも通りで安心するね。みんな……行こう!」
ヒロインは場をまとめ上げるように合図を出す。
そして彼らは、最後の目的地へと、歩みを進めた。