表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水底呼声  作者: 宣芳まゆり
第1章 目隠しの王国
9/227

1-9

部屋の壁に立てかけている木の板に,とす,とすと二本のナイフが刺さった.

黒の少年はベッドの上であぐらをかいて,三本目のナイフを構える.

最小限の動きで投げれば,ねらいどおり二本のナイフのちょうど真ん中に刺さった.

「つまらないな.」

彼女に会えないのは退屈だ.

何をしていても,時間が長く感じる.

少年はごろんと寝転がった,五本のナイフを一気に投げる.

軽快な音を立てて,ナイフが円状に刺さったが,まったく楽しくない.

「すごいね!」と喜んで,手をたたいてくれる女性がいないから.

少年はため息を吐いて,天井を眺めた.

天井は木の板で覆われて,何本かのナイフが刺さったままである.

みゆが王城に来るまでは,少年はこの部屋で一日を過ごしていた.

城の奥に隠された,秘密の部屋.

部屋から出て行くのは,仕事があるときのみ.

城の者たちは,ウィルが姿を現すのは誰かが死ぬときだと分かっていた.

どうして,彼女の部屋を出て行ったのだろう.

少年は,ぼんやりと考える.

――その娘を大切にして,幸せになりなさい.

昨夜,エーヌに会ってから,少年には分からないことが多い.

そしてみゆに関しては,「まぁ,いいか.」と流すことができない.

心があちこちで引っかかる.

今朝の記憶が,何度も繰り返される.

みゆは出て行ってと言った,ウィルは留まりたいと思った.

彼女の命令に従う義務はないのに,少年は自分の望みよりも彼女の望みを優先させた.

「なんでだろう.」

いつか彼女のきれいな涙を見てみたいと思っていた.

なのに実際に涙を見せられそうになれば,胸が苦しくなった.

昨夜も,寝ている彼女を起こすつもりだったのに,できなかった.

あまりにも安らかに眠っていたので,触れることさえためらわれた.

みゆが否と言うならば,少年は何もできない.

なぜか,何もできなくなってしまう.

反対に,彼女が是と言うならば…….

ぞくり,と背に冷たいものが走る.

鼓動が速くなり,少年は自分の欲望を知る.

みゆのためならば,きっと何でもできる.

彼女以外のものがすべて,無価値なものに成り下がる.

世界の意味が変わる瞬間,少年は恐怖に似た喜びを感じた.


薄やみの中で,カイルは静かに息を吐いた.

長い黒髪の娘が,ベッドの上でひざを抱いて泣いている.

四日後の儀式で殺される,哀れないけにえの娘だ.

恋人に裏切られた気分なのだろう.

カイルの監視を知らずに,泣き声を押し殺している.

愛していると態度で示し続けた少年は,彼女よりも国王に対する忠誠心を取った.

黒猫は,恋に落ちても黒猫のままだった.

狂ったかに見えた歯車は,変わらずに回っていた.

――十日間,ずっとそばにいて,僕の顔を見ながら死んでもらうつもり.

まともな人間の考えることではない.

それを,少年は実行するのだ.

カイルは少年に,人を殺す方法しか教えていない.

だからウィルにとって,最大の人との関わりは殺すことだ.

「好きだよ.」とささやきながら,彼女の血を求める.

少年は愛した女性を殺し,さらにその身を汚すだろう.

カイルはちらりと視線をやって,彼と同じくいけにえを監視しているスミを見やった.

若草色の髪の少年は,娘を痛ましげに見つめている.

カイルが気配を消して,そばにいることに気づかない.

ばか者,監視役が対象に同情するな.

この仕事が終わったら,スミには強く言い聞かせなくてはならない.

いけにえに同情するくらいならば,城から去れと.

気まぐれで拾ってやったが,カイルにはスミを養育する義務はないのだ.


カリヴァニア王国.

この王国は,呪われた魔物たちの王国であると忌まれている.

神が存在する,もっとも美しい国の住民から.

カイルはその国からカリヴァニア王国へ,赤ん坊だったウィルを連れてやってきた.

つまり王国における,たった二人だけの外国人である.

カイルは国王ドナートと会い,王国の秘密を知った.

カリヴァニア王国の民は,昔は神の国で暮らしていた.

だが許しがたい罪を犯し,故郷を追い出されたのだ.

そして三方を海で囲まれた,この大地に閉じこめられた.

大地は,五百年後に水没する.

今は王国暦496年,水没まであと四年の猶予しかない.

海岸線が徐々に近づいているのを,カイルは国王とともに見ている.

「国民に気取られぬようにせよ.」

国王はパニックになることを恐れ,王国の滅亡を隠した.

神の呪いという情報は,代々の国王にのみ伝わっている.

国民の多くは王国の外に世界があることも,王国の名前も神の存在も知らない.

カイルは国王の頼みを受け,呪いを回避する方法を探した.

だが,それは若い女性の血を大量に必要とする.

「いけにえが必要です.年に一人の女性が.」

カイルの言葉を,国王は真っ青な顔色で受け止めた.

そのときの彼の震えを,カイルは今でも思い出すことができる.

国王は断腸の思いで異世界からいけにえを調達し,儀式を始めたのだ.


夕刻,みゆは城の食堂に一人でいた.

テーブルには好物ばかりが並んでいたが,はしはなかなか進まない.

はしがあるとは奇妙な話だが,毎年,日本人女性を受け入れている城の者たちは,ある程度,日本のことを分かっていた.

玉子焼きや肉じゃがに似た料理が,食卓に出てくることもある.

「ショウコちゃんが七年前に教えてくれた,ニホン料理さ!」

得意げに笑うコックに,みゆは驚くばかりだ.

祥子しょうこという女性は,十日間をほとんど厨房で過ごしたらしい.

たがいの国の料理を教えあうという,有意義な文化交流を楽しんだようだ.

私は五日間を,ウィルと過ごした.

焼いた肉をつつきながら,みゆは思う.

あれほど他人と一緒にいたのは,初めてだった.

少年は朝から晩まで,いや,昨日やおとといは夜もそばにいた.

そばにいすぎた.

だからこんなにもつらい.

一人でいるのはいつものことなのに,さびしいと感じる.

おいしいはずの食事を,味気ないと感じる.

そばにいてほしい.

今,そばにいてほしい,私のことを好きでなくていいから.

四日後に,永遠の別れを迎えてもいいから.


「黒猫は,一緒にいないの?」

部屋に帰る途中で,みゆは見知らぬ兵士に呼び止められた.

「今,一人?」

彼はきょろきょろと首を動かして,あたりを探る.

薄い皮の甲冑を着て,腰には大きな剣を差している.

「何の用ですか?」

「ふーん,好都合だ.」

じろじろと上から下まで眺められて,みゆは体を硬くさせる.

みゆにとって不都合なことに,廊下には人通りがなかった.

「あ? 怖がらなくていいよ.」

兵士は軽薄な笑みを浮かべて,みゆの肩をたたく.

「ちょっと聞きたいことがあるだけさ.」

「触らないでください.」

みゆは背中にまわされた手を,身をよじって避けた.

「俺のこと,分からない? いつもこのあたりを警備しているのだけど.」

言われてみれば,顔は見覚えがある.

「君,チキュウから来たんだろ?」

みゆがうなずくと,兵士は満足げに笑う.

「ならさ,サエキ・アキコとリート・カズンに会ったことはないか?」

彼らの名前を,みゆは知っていた.

去年,二人で地球へ帰った恋人たちだ.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ