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水底呼声  作者: 宣芳まゆり
番外編
80/227

彼女の妹

歩道橋の上ですれちがった女性に,弘孝ひろたかは足を止めた.

驚くほどに,似ていた.

学生のときに付き合っていた女性に.

「あ,」

思い至って,声を上げる.

彼女は――,

「みゆちゃん!」

階段を降りる女性を追いかけた.

長い黒髪の娘が,けげんな顔をして振り返る.

両目を見開き,あ,と声を漏らした.

「弘孝さん.」

すっと,みゆの顔が白くなる.

「ひさしぶりだね.」

弘孝は手すりに手をのせて,ぎこちなくほほ笑む.

彼女は妹だ.

二十才で短い生を終えた,古藤かやの.

かやと弘孝は,大学のサークルの新入生歓迎コンパで知り合った.

二人ともそのサークルには入らなかったが,何かと気が合って友人づきあいを始め,数か月後には恋人同士になっていた.

かやは,しっかりとした女性だった.

どちらかと言えば,まじめすぎるきらいがあり,ひょんなところで,もろさを見せる女性でもあった.

親の希望で法学部に入学したが,本当は別の学部がよかったと,あるとき打ち明けてくれた.

それでも家族を大切にする,心の強い女性だったと思う.

かやは,六つ年下の妹をとてもかわいがっていた.

姉妹でよく,買い物やカラオケに行っていたらしい.

だから弘孝は,すぐに妹に紹介された.

しかしみゆはずっと,ふてくされていた.

喫茶店の中で,ぶすっとした顔をして,チョコレートバナナパフェをスプーンでつついていた.

そして,弘孝はぶさいくだとか貧乏そうだとか,かやを困らせる発言ばかりをした.

大好きな姉をとられた気分になったのだろう.

けれど今,目の前にいる彼女には,そんな甘えたの中学生の面影はない.

何年も笑っていないような暗い目をして,弘孝を見つめている.

「すまない,いきなり声をかけて.」

弘孝は,彼女と何を話せばいいのか分からなくなった.

かやの通夜以来,みゆとは会ったことはない.

紺色のセーラー服を着た彼女は,心細げに背中を揺らしていた.

「ごめんなさい.」

みゆが,唐突に謝った.

「え? 何が?」

問いかけたが,顔をうつむけて答えない.

弘孝は,適当な話題を振った.

「学校帰り?」

「はい.今は予備校に通っています.」

彼女は,歩道橋近くのビルを振り仰ぐ.

大きな看板に,栄成えいせい予備校と書いてあった.

「そっか.」

あの小さかった女の子が,今は受験生か.

自分が就職したように,ときは確実に流れているのだ.

「がんばってね.」

適当に発した言葉に,みゆはびくりと震える.

「がんばっても,いいのですか?」

聞き取れるか取れないか,ぎりぎりの声だった.

彼女はまるで,幽霊だった.

なくなったかやは光の中でほほ笑んでいるのに,みゆは闇の中に立っている.

今にものみこまれてしまいそうに,表情は重い.

――君はまだ,あの事故から抜け出せていないのか.

痛々しく,哀れであった.

「姉さんのこと,ごめんなさい.」

再び,彼女は謝る.

「君が謝ることじゃない.」

そのとき,これ以上はない悪いタイミングで,胸ポケットの中の携帯電話が鳴り出した.

電話を取るべきか否か,弘孝は迷う.

みゆは頭を下げて,きびすを返した.

階段を降りていく.

弘孝はポケットから携帯を取り出して,液晶画面を確認した.

会社の同期からだ.

おそらく,大した用件ではない.

「すまん,後でかけ直す.」

通話ボタンを押して早口で言い,電話を切った.

階段の上から,みゆの姿を探すと,まだ近くを歩いている.

十分に追いつける距離だ.

だが,追いかけてどうする.

弘孝に,彼女が救えるのか.

かやの命は,あまりにも突然に失われた.

弘孝は大きく取り乱して,通夜の席で泣きわめいた.

――なぜ,かやがこんなことに!?

特急列車の脱線事故は衝撃的なニュースだったが,死者の数は少なかった.

たったの,六人.

ほとんどの乗客が,けがをしただけですんだ.

それなのに恋人は,――誰よりも助かってほしかった女性は,命を落とした.

運命というものを,あれほど呪ったことはない.

街の雑踏の中,みゆの背中は消えていく.

また,会う機会はあるか…….

弘孝は息を吐いて,予備校のビルを眺めた.

通っている学校は知れたのだし.

しかしその後,弘孝はテレビ画面の中で,このビルを見ることになる.

エリート予備校生三名失踪というテロップとともに.

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