↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水底呼声  作者: 宣芳まゆり
第3章 少女と二人の王子
PR
35/227

3-8

神暦0年,神が大地に降り立つ.

神は,獣のような暮らしをしていた人間に,知恵を授けた.

身を守る家を,身を包む衣を,心を表す言葉を与えた.

神の結界の中で,人間は神に導かれて,美しい世界を作り上げた.

本の紙面から顔を上げて,みゆははぁとため息を吐く.

昨日借りた本は,一事が万事この調子だ.

典型的日本人の無宗教であるみゆには,受け入れがたい世界である.

神聖公国は結界に覆われているため,外国との戦争は存在しない.

しかし,権力争いなどの内乱はあるらしい.

もっとも大きな内乱により,神聖公国では王朝が変わった.

現在の王朝は,二番目の王朝である.

初めの王朝を建てたのはユリシーズという男で,彼は神から国の統治を任されたという.

ライクシードに教わったことだが,今は神暦918年である.

彼の父であるコウトーラは,二番目の王朝の十三代目の国王だ.

本によるとコウトーラは神の威光をたたえるために,大神殿の修繕工事を行っている.

神聖公国の歴史は,建国から現代に至るまで神のことばかりだ.

カリヴァニア王国のことは,まったく書かれていない.

みゆは巻末の大陸地図を,じっと眺める.

ここにもカリヴァニア王国はない.

北に山脈,残り三方を海に囲まれた半島も見当たらなかった.

みゆは,ぱたんと本を閉じる.

別の本を借りに,図書館へ行こうかな.

館長様にも会いたいし.

ソファーに座ったままで,みゆはうーんと伸びをした.

するとテーブルの上に,暖かい紅茶が置かれる.

そばに控えていたメイドのディアナだ.

「ありがとう.」

礼を述べると,彼女はうれしそうにほほ笑む.

「お勉強は,はかどりますか?」

「残念ながら.」

みゆは首を振って,これを飲んだら図書館へ行くねと告げた.

「ライクシード殿下とですか?」

期待に,ディアナの目が輝く.

みゆはメイドたちに,王子の恋人だと思われているのだ.

「私は,殿下の恋人ではないわよ.」

苦笑して言う.

「まだ公ではないだけでしょう?」

ディアナは,みゆのせりふを本気に取らない.

「殿下が城に女性の方を泊めるのは,初めてのことです.私たちメイドは,本当にあなたを歓迎しているのですよ.」

それはセシリアに頼まれたからなのだが.

しかしライクシードが城で少女の名を出さないので,みゆも話すわけにはいかない.

みゆには,みずからをにせものと称する少女の,この国での立場が分からないのだ.

「今,お勉強なさっているのは,殿下の妻になるためでしょう?」

「いいえ,ちがうわ.」

はっきりと否定する.

「でも昨日,殿下とリナーゼの街を歩いていましたよね.」

ディアナは,にんまりと笑う.

「すでに城でも,うわさになっていますよ.」

するといきなり,部屋の外から食器の割れる音がした.

続いて,女性たちの言い争う声.

みゆとディアナがとまどっていると,扉が壊れそうな勢いで開かれた.

「カズリ様,お待ちください!」

「離しなさい,メイドのくせに!」

現れたのは,見知らぬ女性とメイドのエル.

エルは女性の腰に抱きついて,彼女の突進を止めようとしている.

エルの足もとには,割れた皿と焼き菓子が散らばっていた.

見知らぬ女性,――カズリはみゆをにらみつける.

「あなた,誰!? どこの家の者なの!?」

鋭い調子で詰問するが,それはみゆの方が聞きたい.

「私は古藤みゆです.あなたはどなたですか,私に何のご用でしょうか?」

カズリは派手なドレスを着ていて,なかなかに濃い化粧を顔に施している.

彼女はずかずかと部屋に入りこんで,みゆの前まで来ると腕を振り上げた.

ぱぁん,と破裂音!

唐突で,しかも強烈な平手打ちをまともに受けて,みゆはソファーに倒れた.

「やめてください!」

再び腕を振り上げるカズリを,エルが後ろから,はがいじめにする.

「ミユ様,大丈夫ですか?」

みゆはディアナに,助け起こされた.

ほおが痛いよりも先に,びっくりして口がきけない.

なぐられたのは,ほとんど生まれて初めてだった.

「いい気にならないことね,ライクシード殿下は誰にでも優しいのよ.」

みゆはカズリの顔を見上げる.

彼女の顔は優越感に満ちていると思いきや,ひがみやねたみの感情に支配されていた.

「私だって街を歩いたぐらい,」

「カズリ殿! ミユ!」

そのとき開いたままの扉から,あわてた顔のライクシードが駆けこんでくる.

王子の登場に,カズリは大声を上げて泣き始めた.

「この人が私を侮辱したのです!」

と,みゆを指す.

「薄汚い言葉で,私の家族をののしりました.それからライクシード殿下のことも!」

「ちがいます!」

否定の言葉は,ディアナとエルの口から放たれた.

ライクシードはとまどったように,みゆとカズリの顔を見比べる.

「カズリ殿,とにかく落ちついてくれないか.」

彼女は見せつけるように,王子に抱きついた.

「落ちつけません.私はとても傷つきました!」

わめきたてるカズリに,ライクシードは完全に振り回されている.

メイドたちがみゆを歓迎する理由が,みゆには分かった.

カズリは突然やって来て,一人で大騒ぎしている.

エルが作ったであろう菓子は踏みにじられて,みゆはほおをたたかれて.

ディアナとエルはぶぜんとした表情で,カズリを見ていた.

みゆはソファーから,すっくと立ち上がる.

やられっぱなしは,趣味ではない.

「カズリさん.」

呼びかけに彼女が顔を向けたとたん,力いっぱいほおをぶつ!

ライクシードがぎょっとして,倒れるカズリの体を支えた.

カズリは「信じられない.」とつぶやく.

だが,すぐに怒りに顔を赤くして,

「よくも私をぶったわね!」

みゆの体をどんと押した.

みゆはしりもちをついたが,負けてたまるかと立ち上がる.

「あ,」

けれどカズリは王子の顔を見て,みゆを押した両手をあわてて隠した.

女同士の戦いに,ライクシードはぽかんとしている.

つまらないけんかを買ってしまったと,みゆの頭は一気に冷えた.

「私は図書館へ行くから.」

王子と同じく目を丸くしているメイドたちに向かって言う.

カリヴァニア王国のことを考えれば,カズリに構っている場合ではない.

ライクシードの脇をすり抜けて,みゆは部屋から出て行った.

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。