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水底呼声  作者: 宣芳まゆり
第1章 目隠しの王国
16/227

1-15

血を浴び続けてきた.

幼いころから,ずっと.

「お前はもっとも神に近く,もっともけがれた血を持つ.」

カイルの言葉から,自分は存在してはいけない子どもとウィルは悟った.

「生を許されぬお前が生きるためには,せめてけがれた存在にならなければならない.」

だから少年は人を殺す.

自身と神を遠ざけるために,人としての幸福を甘受しないために.

「わが祈りを聞きとげよ.」

呪文の詠唱とともに,魔法陣の中心に立ついけにえのひざが,がくがくと揺れ始める.

こらえきれずに,前のめりに倒れた.

顔とひざを強打したのではないだろうか.

思わずしてしまった無用の心配に,少年は呪文を途切れさせる.

けれど心を閉ざして,仕事を続けた.

「我は神の血に連なる者,名のないラートの末えい.」

二,三度,きゃしゃな体がけいれんする.

真っ赤な血液が,どろどろと流れ出してきた.

「しょく罪の血を受け止めよ.」

特別な娘たちの血を.

カイルが言った,地球の娘たちの命によって王国の罪はあがなわれるのだろうと.


流れ続ける大量の血液から,国王ドナートは目をそらす.

あっけなく儀式は完了し,いけにえの娘は死んだ.

彼女は少しも抵抗しなかった,ここまで抵抗しないいけにえは初めてだった.

相手がウィルだったからだろうか.

この部屋に来る前にウィルが彼女と何を話したのか,国王は知らない.

少年はためらわなかった.

さすが黒猫と,ほめるべきなのか.

だが,そんな気持ちにはなれない.

こんなにも簡単に,人が死んでもいいのか.

こんなにも簡単に,人を殺してもいいのか.

疑問ばかりが渦巻いて,けれど.

国王は死体に顔を向けた.

嘔吐感をこらえて,しっかりと心を保つ.

この王国に住む国民十万の命を守るためならば!

赤い血の海に,長い黒髪が散らばる.

衣服から出ている細い手足は,日の光を浴びたことのない者のように白い.

むせ返るような血のにおいに酔ってしまいそうだ.

魔法陣の縁に立っている少年は,ぼう然と恋人の死体を見ている.

昨日まで愛をささやいていた恋人の死体を.

いきなり少年の体が,ぐらりとかたむいた.

「ウィル,」

国王が駆けつけるよりも先に,カイルが少年の胸倉をつかむ.

「しっかりせんか,このばか者!」

強烈な平手打ちに,少年は血の海にびちゃんとしりもちをついた.

「あ,」

夢から覚めたように,少年は目を見開く.

いまだ何も分かっていない子どもの瞳.

ほおについた血が,少年の顔をよりいっそう白く見せる.

黒衣が血に染まっていく.

離れたくないと願う,娘の怨讐のように.

「立て.」

カイルの厳しい声に,しかし少年は立てないでいた.

床についた手は,血にまみれている.

それをまじまじと観察すると,少年は両手で口を押さえて吐き出した.

「ミ,ユ…….」

げえげえと,今朝の食事を出していく.

誰も何もできないでいると,

「先輩,」

スミが駆け寄って,ウィルの腕をつかんで立ち上がらせた.

「部屋に戻りましょう,儀式は終わったのですから.」

血と吐しゃ物で汚れた黒猫を,出入り口の扉まで引っぱっていく.

「待て!」

部屋から出て行こうとする少年たちに,カイルがどなり声をたたきつけた.

「あいさつもなしに,陛下の御前から退去するな.」

話を振られて,国王はうろたえる.

懇願するようなスミの目と,死んだ魚のようなウィルの目がドナートを見つめた.

「いや,いい.すぐに戻りなさい.当分の間,休んでいなさい.」

言い終えないうちに,スミはウィルを引きずるようにして出て行く.

それを無礼だと,とがめる気は起きなかった.


日が昇り,そして沈む.

死んだ彼女はかえらない.

スミはウィルを担いで,王宮内にある自分の部屋へ戻った.

服を脱がせて,汚れた体をぬれた綿布でふいてやる.

新しい服は,少し窮屈かもしれないが,スミの服を着せた.

ウィルはなされるがままで,目はどこも見ていない.

少年は壊れてしまったのだ.

誰よりも大切な恋人を,自分の手で殺したせいで.

「先輩,」

人間らしい感情どころか心までなくした少年に,スミは途方に暮れる.

――彼女は僕のもの.

ウィルが,ものや人に執着するのを初めて見た.

その結果が,この状態である.

「自分の部屋に戻って休みますか?」

聞いても,黒猫は反応を返さない.

「なら,俺の部屋で休みましょう.そうだ,何か飲みものを持ってきますね.」

努めて明るく振る舞って,スミは部屋から出て行く.

そして帰ってきたとき,黒猫の姿はなかった.

「先輩?」

部屋中を捜し回って,スミは一通の置手紙を見つける.

――ミユちゃんのそばにいる.僕にかまわないで.

一瞬,後追い自殺でもするのかと考えたが,すぐに考え直す.

黒の少年は,城の裏手にある墓地へ行ったのだ.

そこにはいけにえの娘たちが,秘密裏に手厚く葬られている.

罪なく殺された彼女たちに対する,せめてもの謝罪の碑であった.

スミは置手紙を隠して,恋人の死をいたむウィルの邪魔をするまいと心に決める.

国王も,休んでいなさいと言ったから,黒猫に仕事を与えないだろう.

しかし一晩たっても二晩たっても,ウィルは帰ってこない.

三日目,ついにスミは黒猫を捜すことにした.

いけにえたちの墓地,ウィルの自室,ウィルがみゆと二人でよく登った塔の上.

どこにも少年はいない.

念のため,王都の街中も捜したが無駄だった.

通っていた娼館にも,ひいきにしていた武器屋にも,気配すらない.

「そんな…….」

スミはウィルの失踪を,カイルに伝えた.

彼は苦々しい顔をして,少年にたずねる.

「いけにえの監視は,ぬかりなくやったのだろうな?」

「今はそれどころじゃないですよ.先輩は自殺したのかも,」

はたと記憶が立ち戻る.

いけにえの監視,古藤みゆの見張り.

「あ,」

世界が色を変える.

スミはウィルに裏切られたのだ.

――明日,完全に僕だけのものにする.

「そういうことだ.」

カイルは吐き捨てるように言うと,国王に報告するために立ち去った.


カリヴァニア王国北方に位置するドンク村.

この村唯一の宿屋に,ひさしぶりに客が入っていた.

金払いがよく礼儀正しい客人を,おかみも主人も心から歓待した.

「このシチューなら,おなかに優しいわよ.」

おかみがシチューの入った深皿を手渡すと,黒髪の少年はにっこりとほほ笑む.

「ありがとう.」

トレイにシチューやパンをのせて,ウィルは階段を上がる.

二階の部屋では,少年の大切な恋人が魔法の眠りから,そろそろ目覚めるはずであった.

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