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水底呼声  作者: 宣芳まゆり
第8章 別れの朝
105/227

8-9

みゆたちは馬車に乗りこんで,大神殿を後にした.

キースが一人で手を振って,またほかの門番たちに怒られている.

「妙な兵士がいるものだな.」

馬車の中で,バウスがあきれている.

みゆはキースに,

「あんたなんか首にしてやる!」

とどなったことがあるが,今はおしゃべりのために解雇されないか心配だった.

しかし,そんな彼のことは置いておいて,

「白井さんは元気だった?」

神の塔から出てきた百合について,向かいの席に座っている翔にたずねる.

すると彼は「うん,まぁ…….」とあいまいな返事をした.

みゆは続きを待ったが,翔は言いづらそうにうつむいている.

代わりに,バウスが口を開いた.

「残念だが,まったく元気ではなかった.」

はっきりと言う.

「彼女は,故郷のニホンへ帰りたいそうだ.」

日本へ?

「なぜですか?」

みゆは問う.

前回百合に会ったとき,彼女から帰郷の意思は感じられなかった.

彼女は聖女であることに満足していた.

「分からない.」

翔の声は暗い.

「大神殿が嫌になったのか,里心がついたのか.」

肩は落ち,視線は,ひざの上で組んでいる両手に落ちている.

「塔の中が,……思った以上に不思議な世界で,異常な体験をしたらしい.」

みゆはまゆを寄せた.

「手術台っぽいというか,……宇宙人にさらわれたような具合で,」

彼は言葉に詰まり,困っている.

「その塔の結果である,腹の中の子どもが怖いらしい.」

バウスが続きを引き取った.

「ラート・ユリは錯乱していた.」

みゆは不安になる.

いったい,百合に何が起こったのだ.

「どうする? ミユちゃん.」

隣の席のウィルが,顔をのぞきこむ.

「いつもの道から会いに行く?」

ルアンの部屋へ続く,隠し通路を利用して.

「君は会いに行かない方がいい.」

バウスがきっぱりと言った.

「彼女の望みは,子どもを降ろし故郷へ帰ることだ.」

降ろすという言葉の響きに,みゆはぞくりと震えた.

「君は協力できないだろう?」

苦々しげな王子の問いかけに,みゆはおじけづく.

胎内の子どもを引き出すという行為は,想像するだけで恐ろしいものだった.

「どうしたの?」

ウィルが心配そうに,肩を抱き寄せる.

「何を怖がっているの?」

バウスは重いため息を吐いた.

「当たり前の話だが,聖女の子殺しは神殿が許さない.」

百合が身ごもっている子どもは,次代の聖女.

神聖公国にとって,もっとも大切な命.

「赤ん坊は産んでもらう,絶対に.無事に出産した後ならば,どこにでも帰ればいい.」

言い捨てるような調子のせりふに,みゆはりつ然とした.

その言いぐさは,あまりにも百合に対して思いやりがない.

神聖公国の都合のみで,王子は考えている.

けれど,反論できない.

百合は神の塔に入ることを承知の上で,聖女になると決めた.

強制されたわけではなく,みずからの意思で.

でも,それでも,

「ミユ,」

バウスの顔は疲れていた.

「それは無理だ.」

自分の思考を読まれて,ぎくりとした.

「ラート・ユリを大神殿から連れ出して,故郷へ帰したとしても,子どもはどうする?」

妊娠はなかったことにできないぞ,と淡々と話す.

「堕胎など君は嫌だろう,ラートが強く望んでも.俺だって,見過ごすことはできない.」

言葉はたやすく,みゆを追いつめた.

「ならば故郷へ帰り,子どもを育てるのか? いや,彼女は子どもをほうっておくのかもしれない.」

自分の考えをすべて先回りされて.

「母親が皆,わが子を愛するとはかぎらない.」

何も答えられず,みゆは苦しげにあえいだ.

「子どもをどうする? 誰かが世話をしないと,赤ん坊はすぐに死ぬぞ.それとも君が面倒をみ,」

「黙れ!」

怒気をはらんだウィルの声に,バウスは口を閉ざした.

力なく,すまないと謝る.

「言いすぎた.――だが,真実だ.」

みゆは馬車に酔ったようにふらふらになり,黒の少年に支えられていた.

今さら,どうすることもできない.

子どもができたのだから産んで育ててくれと,百合に頼むしか.

命の重みに,つぶされそうだった.

「古藤さん,」

遠慮がちに,翔が声をかけてきた.

「多分,百合は,……ちょっと気が立っているだけじゃないかな.」

無理やりに笑ってみせる.

「そのうち落ちつくと思うよ.妊娠中ってそういうものなんだろ? つわりでしんどいんだよ.」

「それに大神殿には,身重の聖女を助けるために大勢の医師がいる.」

バウスは,自身に言い聞かせているように見えた.

「彼らに任せておけばいい.大神殿ほど,妊婦にとって安全な場所はない.」

みゆは,ゆるゆるとうなずく.

神の塔が,今まで以上におぞましく思えた.

百合に子どもを授けた神に対しても,恐怖を覚えた.

得体の知れない,彼女のおなかの中にいる子どもも怖かった.

重苦しい沈黙が,馬車の中に降りる.

誰も,口を開く気になれない.

みゆは恋人の体にもたれかかり,目をつぶった.

悪い夢の中にいるようだ.

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