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チョコレート戦争

作者: 岸部碧

 これは戦いである。


 一年に一度訪れるこの日が、遂にやってきた。

 うわあ、どうしようもうきちゃったんだよやばいどうしよう……なんて思っていない、思っていませんとも。

 この手汗は決して緊張からくるものではない。これはそう、武者震いと同じだ。

 落ち着け私。いや落ち着いてるけど、とにかく深呼吸だ。

 大丈夫。大丈夫。

 私はこの日のために精一杯努力してきたじゃないか。

 思い出せ。この二週間あまりの日々を。

 短くも長い半生で、これほど懸命にこの戦いに身を投じた事はなかった。


 これは負けられない戦いである。

 年に一度訪れる、二月十四日に行われる――言うなればそう、チョコレート戦争だ。


 今日は二月十四日、バレンタインデー。イベント大好きな女性のみならず、チョコレートが苦手な男性でさえも色めきたつ、非リア充からすれば『爆ぜろ!』と絶叫したくなる日である。

 例年であれば私も絶叫する側だったのだけれど、どういう訳か半年ほど前に恋人ができてしまった。本当にどうしてそうなったのかわからない。

 この言い方だとまるで私が彼を好きじゃないみたいに聞こえるが、そんな事はない。最初は私なんかに告白してきて『頭沸いてんの?』『なんの罰ゲーム?』とかいろいろ考えていたけれど、今はなんというか、あれだ。彼が好きだ。

 どうにも彼にしてやられたような気がしないでもなく、普段まったくそういった気持ちを伝えられない。

 悔しい以前に恥ずかしい。つい先日まで私は見えない境界線の向こう側で『爆発しろ!』と叫んでいたのだから、突然こちら側に引き込まれても羞恥心ばかりが募るのだ。

 彼は態度にこそ出さないが、呆れているのではないだろうか。あまりにも私が免疫なさすぎで、突然キスされようものなら驚いていつの間にか彼の横っ面を引っ叩いている。本当に申し訳ない。

 当然クリスマスも恋人らしい雰囲気になる事なく、バレンタインこそはと意気込んでいる次第である。

 だから落ち着け、私。緊張する必要はまったくない。

 今日までにできる事はやりきったんだから。

 ほら、思い出せ。私の努力の日々を……!


 まずは彼が好きなものだ。彼が嫌いなものをあげては元も子もない。

 彼の好き嫌いも知らないなんて彼女失格な気もするが、デートでパフェを食べた際のさり気ないリサーチのお陰で知る事ができたじゃないか。

『……甘。無理、こんなに食べられない』

『甘いもの苦手だもんね。じゃあ俺食べるから、残りちょうだい』

『え? い、いいの?』

『うん、俺甘いの好きだし。生クリーム山盛りはさすがにきついけど、チョコならいくらでも食べれるかも。でもチョコレート味ってのはあんまり。嫌いじゃないけど、どうせなら普通にチョコが食べたいなあ』

 まるで女子のようにご機嫌に笑う彼にときめいたのは言うまでもない。これだからイケメンは……!

 とりあえずこの結果、彼がチョコレート好きである事が判明した。大きな収穫である。だから『偶然話してくれただけじゃん』的な突っ込みは胸の内に仕舞っておいてほしい。

 そもそも、言った覚えもないのに私が甘いものが得意ではない事を知っているのに驚きだ。愛情の差なんて言わないで! これはきっとそう、女子力の差! ……へこむな私。へこたれるな私。

 とにかくそういう訳で、生チョコをあげる事にした。普通にチョコと言われても、市販のチョコを溶かして固めるのはちょっと幼稚すぎる。

 次はラッピングだ。これもなかなか重要だ。

 これに関しては、参考になりそうな彼の言動があった。私が友達にもらった誕生日プレゼントを見た時の事である。

『これ、可愛いね。なんて言うんだっけ、えっと、ラッピングバッグ? 本当に鞄みたいで持ち帰りやすいし』

『女子はそんなの考えてないと思うけど。たまたまデザインが可愛いかったってだけじゃない?』

『そうなんだ? まあそれもいいと思うけど……俺はバッグの中は袋より箱がいいな。箱にリボンがかかってるのが好き。シックなデザインだともっといいかな』

 ……あれ? なんかおかしくないか。普通そこまで自分の好みを主張するか?

 彼がまったく自己主張をしないタイプという訳でもないけれど、ここまでぐいぐいくるのも不自然だ。まるで私に告白をしてきた時のようである。

 いや、まあそこはどうでもいい。彼にもきっと譲れない何かがあるのだ。うん、きっとそうだ。

 とにかく私は彼に喜んでもらえるように、自画自賛もしたくなる出来栄えの生チョコを作り、いくつかの店のバレンタインコーナーでラッピング用品を吟味し、今までうまく活用できていなかった器用さを思う存分発揮したのである。面倒でもう何年もチョコをあげていないお父さんがいじけるぐらいだった。……いや、うん、忘れててごめんね。来年はきっと作るから。

 後は彼に渡すだけ――これが一番の難関だ。

 どうやって言い出せばいいんだろう。

 彼は今日、既に大量のチョコレートをもらってらっしゃる。今朝登校した時点で、下駄箱に二つ入っていた。ただいま下校中、持参してきたらしい手提げ鞄一杯に入っている。……これだからイケメンは!!

 一応彼女である私の存在は気にしてくれているのか、彼は私の視線が手提げ鞄に向けられているのに気付くと少しだけ気まずそうにしていた。

 彼女がいても彼は受け取ってしまうのか。そう考えるとなんだかもやもやとしたが、そういう所も好きになってしまったので仕方がない。

 そう割り切ろうとしても完全に払拭する事はできず、ついつんと顔を背けて素気ない態度を取ってしまった。いや、私の態度が素気なくなってしまうのはいつも通りな気もするのだけど。

 どうしよう。どうしよう。このままではチョコを用意していると切り出す事も難しい。

 いっそやめてしまおうか。私が女の子らしくないのは今に始まった事ではないし、彼もそれを理解した上で一緒にいてくれている。今更バレンタインどうのもないだろう。

 ……いや、それこそが彼に甘えている証拠だ。こんなに可愛げのない私と付き合ってくれているのだから、彼が好きだという意思表示くらいしなくてどうする。

 思い出せ、私。

 これは戦いだ。羞恥心との戦いだ。

 ここで負ければ、きっと私はこれから先いつまで経っても彼に何もしてあげられない。

 負けるな私! 頑張るんだ私……!


「――ねえ。ねえってば」

「ふあっ!?」

 ぎゅっと突然手を握られて、素っ頓狂な声が上がった。弾かれたように隣を見上げると、彼がむっとした顔で私を見つめていた。

 かあっと顔が熱くなる。顔が思っていたよりも近い。どんどん頬に熱が集まっていく。

「ねえ、俺の話聞いてた?」

「えっ、あ……聞いてなかった……」

 むす、とあからさまに拗ねた顔をして「やっぱり」と彼が呟く。子供みたいで可愛い……じゃなくて、謝らなければ。

 いらぬ意地を張らないように気をつけて、ゆっくりとでも謝罪を述べると、彼は子供を褒めるように私の頭を撫でた。形のいい唇が楽しそうに弧を描く。

「じゃあ、ちょっとズルしてもいい?」

「え……?」

 悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべた唇が、そっと私のそれに触れた。優しく啄ばむような口づけをして、柔らかい感触が離れる。

 私はただ瞠目して、彼を見つめるしかなかった。できた事といえば、顔を赤らめるくらい。しゅうしゅうと沸騰してしまいそうだ。

 火照った顔を見られるのが恥ずかしくて、少しだけ俯くと、くすくすと笑い声。大きい彼の手のひらがなぞるように頬に触れて、ひんやりとしたその手に自分がどれだけ赤くなっているのかを自覚させられて、更に恥ずかしくなった。

「可愛いなあ、もう」

「っか、可愛くなんか」

 人通りの少ない道でつくづくよかったと思う。

 今すぐ逃げ出したいのに、繋がれた彼の手がそれを許さない。彼の声が紡ぐ私の名前が、甘く胸に響いた。

「――チョコレート、くれるよね?」

 とろけるような、チョコレートよりも甘い笑みは、私の心臓を外すことなく射抜いた。

 きゅっと唇を噛む。悔しい、悔しい。私は彼にやられてばかりだ。

 鞄から赤い箱を取り出して彼に投げつける。難なく箱を受け止めた彼の手から逃れて、私は駆け出した。

「本命だ、馬鹿!」

 赤い顔のまま脱兎の如く逃げ帰った私の携帯に、彼から『来年も期待してるね』とメールが届くのはすぐ後の事である。

 チョコレート戦争はこれからも続くようだ。

2月15日 誤字訂正

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