一点鎖線
松本清張の「点と線」から思い立って書きました。
冷たい雨が降るある日のこと、通勤時間が過ぎて閑散とした駅のプラットフォー
ム。電車から降りた初老の三原は不審な人影に目を停めた。三原はその駅近くの
警視庁所轄署の刑事、一週間前に起きた殺人事件の聞き込みに出かけた帰りだっ
た。その不審人物は、紺の野球帽にベイジュのフレンチコートを着てポツンとベ
ンチに腰掛けていた。三原は警察手帳を出せるよう懐に手を入れ、その人物に近
寄った。
「ご旅行ですか」
三原がそう言うと、その人物は顔を上げ驚いた表情で三原を見た。と同時に三原
も驚いた。というのも、その顔は薄っすらと化粧してやや赤めの口紅を付けてい
てどう見ても女、三原はそれまでてっきり男性とばかり思っていたからだ。驚い
た女はすばやく立ち上がり、逃げるかのように改札口の方に駆け出した。
「待ちなさい」
初老とは言え三原は本職の刑事、駆け出した三原はすぐに女に追いつき、女の手
首を掴んだ。その際、女のバックから一枚の紙切れが落ちた。三原がそれを拾い
上げ見ると、そこには旅行の日程表のように時刻と場所が書き込まれていた。た
だ、旅行の日程表と違うのは、目的地の一つ福井県の東尋坊の処に赤字で「殺」
という字が書かれて丸が付いていたことだある。三原は、すぐにそれがただの日
程表ではなく、殺人計画書であることに気づいた。
「これは何だね」
三原が女に尋ねると、女は黙ったまま、逃げようとジタバタした。
「何も答えないつもりだな。そうなら、ちょっと署まで来なさい」
三原はそう言って、女の持っていたハンドバックとボストンバッグを奪い取ると、
女の腕を掴んで改札口を出た。そして、雨が止んでいたので、そのまま三原は女
を署まで歩いて連行した。
三原が署に戻り捜査課の部屋に行くと、鳥飼重子が椅子から立ち上がろうとして
いるところだった。重子は半年前に捜査課に配属になった女性刑事、三原を見る
と慌てて三原に近寄ってきた。
「何しているんですか、今から5階の会議室で、例の合同捜査会議ですよ」
「ああ、あの事件か、今さっき害者の知り合いに聞き込みに行って来た」
「また、勝手なことを。課長に叱られますよ」
重子はそう言って、三原を睨むように見た。
「その知り合いの話だと、害者は贈収賄がらみのことで大物政治家を強請ってい
たらしいんだ。そうなれば、本庁の仕事。俺等所轄には関係ない。それより、鳥
飼。取調べしてほしい人がいるんだ」
「取調べ」
重子は目を丸くして、三原を見た。
重子を連れて三原が取調室に入ると、女は椅子に座って俯いていた。駅ではよく
女の顔を見ていなくて解らなかったが、よく見るとそこそこの美形であると三原
は思った。そうして、三原は机を挟んだ椅子に重子を座らせ、自分はその後に立
った。そして、重子に取調べるよう、目で合図した。
「名前は?」
「安田多津子」
「年齢は?」
「32歳」
「住まいは?」
「○○区××町123−456 松本荘」
「職業は?」
「看護士」
と、多津子は取調室に来て堪忍したのか重子の質問に素直に答えた。それを重子
はメモして、次の質問をしようとした。だが、それを遮るように、三原が
「おい、鳥飼、バッグの中身を」
と、重子の肩を叩いた。
「はいはい、じゃあ、バッグの中身を、机の上に出して」
「ハンドバックのですか、ボストンバッグもですか」
「とりあえず、ハンドバックのものでいいわ」
重子がそう言うと、多津子は、足元に置いてあったハンドバックを持ち上げ、中
身を一つ一つ、机の上に出していった。ハンカチ、財布、手帳、5枚の切符、ハ
ンドクリームなど、並べるように置いた。そして、多津子が
「これで全部です」
と言うと、三原は、ポケットから駅で取り上げた殺人計画書と思える紙切れを取
り出し、机の上に置いた。
「何ですか、これ」
重子は振り向き、三原に尋ねた。
「この人が持っていたものだ」
三原がそう答えると、重子は紙切れを手にとった。
「この赤字の殺、殺しの字の意味は何?」
重子は、多津子に尋ねた。
「それは…」
「それは、何?殺したの、殺そうとしているの?」
だが、多津子は黙ったまま。
「どういうことなの」
重子は声を荒げて、多津子を睨んだ。
「まだ、殺していません」
「まだって」
「殺そうと思って、リハーサルで福井に戻ろうと…」
そこまで言うと多津子は、重子の視点を避けるように目を伏せた。
「じゃあ、一体誰を殺そうとしているんだ」
今度は、三原が声を荒げて言った。
それをフォローするように重子が
「ここまで言ったんだから、素直に言いなさいよ」
と、優しい口調で言った。そうして、ちょっとの間沈黙があって、
「それは、それは佐山憲子です」
と、多津子が呟くように答えた。
「佐山憲子」
三原はそう言って、机の上の多津子の手帳を手に取り、広げた。
「その人と、貴方の関係は」
重子は、俯いている多津子の顔を覗き込むようにして尋ねた。「高校の同級生で
す」
普通被疑者は犯行を認めると、雄弁になるものだが、多津子は反対で、それまで
より小声になっていた。突然、多津子の手帳を見ていた三原が重子の肩を叩いた。
「ちょっと頼む」
「何ですか、ちょっとって」
そう言って重子が振り向くと、その言葉が聞こえたか聞こえないか解らぬうちに、
三原は取調室から出て行った。
「ほんと、勝手なんだから」
重子が大声でそういうと、多津子は何かという表情で顔を上げて重子を見た。
「それで何で殺そうと思ったの」
「それは、それは高校のとき、いじめられたから。靴を隠されたり、トイレで水
かけられたり、鞄をどぶに捨てられたり、それも、先生や学校に解らないように
する。登校拒否とか気軽にできる校風ではなかったし。私、何度死のうと思った
ことか」
「いじめね、でも、十二、三年の昔のことでしょ、何で今になって殺そうと思う
のよ」
「それは、」
多津子はそう言うと、黙ってしまった。それで重子はまた、紙切れを見た。
「だいたいね、こんな殺人計画なんて、不可能なのよ。電車の時刻表のアリバイ
トリックって、テレビの2時間ドラマでも時々出てくるけど、あなた、都内に住
んでいるなら解るでしょ。電車がよく、人身事故で止まるって。それに、脱線事
故があって以来、ちょっと強風が吹いたぐらいでも徐行運転するってことも知っ
ているでしょ」
多津子より六つも年下の重子だが、多津子を諭すように言った。だが、多津子は
悲しい目をして、何も言わずまた、俯いてしまった。重子はしようがなく話を続
けた。
「だから、現実には不可能なのよ、そんなこと。でも、どうして、そんなこと思
いついたの。推理小説が好きなの?私もね、推理小説はたまにしか読まないけど、
ミステリー系のテレビドラマはよく視るわ。そうそう、時刻表のトリックものっ
て松本清張の『点と線』が有名だけど、読んだことあるの?それで思いついたと
か?」
だが、多津子は黙ったまま、息をしていないと思えるぐらい静かだった。それで、
重子もしばらく黙って、じっと多津子の悲しそうな姿を眺めていた。
「それにしても、三原さん。遅いわね」
重子は沈黙に耐え切れず、そう呟いた。そして、立ち上がると、多津子に向かっ
て
「あなたも黙っていないで何か答えなさいよ。そういう態度だからいじめられる
のよ。私だって高校のときは、よくいじめらたわ。でも仕返ししようとは思わな
かった。強くなりたいと思った。だから、警察官になったの。でも、知っている?
警察学校でも、警察でもいじめはあるのよ。今だって、さっきまでいた刑事、三
原って言うだけど、あの人にしょっちゅういじめられているわ。あなたも看護師
しているんだったら、解るでしょう?学校のときのいじめより、社会でのいじめ
が何倍もひどいって」
と、ヒステリックに言った。
「私だって、私だって、できることなら撃ち殺したいと思うことがあるわ」
重子が思わずそう口走った。そして、
「ごめんなさい、あなたには関係ないことね」
と軽く頭を下げた。すると、三原が取調室に入ってきた。
「何がごめんなさいなんだ」
三原がそう言うと、重子はうろたえ、赤面した。そういう重子を三原は睨みつけ、
椅子に座った。そして、多津子の手帳を机の上に置いた。
「あなたのこと、あなたが殺したい相手、佐山憲子さんのことを調べさせていた
だきました。佐山さんに連絡したら、佐山さん、お子さんを連れてこれから東京
に出てくるそうです。福井からですから、今からだとこちらに着くのは夕方の7
時ごろでしょうか」
すると、多津子が驚いたように、顔を上げて三原を見た。
「佐山さんが」
「ええ、だから、殺すなんて馬鹿なこと考えないでください。佐山憲子さんのお
子さん、小雪ちゃんって言うですってね。まだ5歳とか。その子にまた悲しい思
いさせる気ですか?あなたにはできませんよね、してはならないってあなた自身
が゛一番解っているのではないですか」
それで多津子が何か言おうとすると、三原は「そうです」みたいな意味で目配せ
をした。すると、多津子の目から涙が溢れて流れてきた。そして、三原は立ち上
がり、机の上に置いたものを、多津子のハンドバッグに戻した。
そして、三原は重子に多津子を玄関まで見送るよう命じた。
重子が取調室に戻ると、三原は窓から雨の降る外を見ていた。
「三原さん、見送ってきました」
「ご苦労さん」
「でも、いいんですか?尾行とかしなくても」
「どうして」
「どうしてって、彼女、夕方殺す相手と会うんですよね。見張らなくてもいいん
ですか。ああそうか、相手に殺そうとしていることバレてしまったから、簡単に
はできないってことか。それにしても、彼女、間抜けですよね、殺すリハーサル
の途中で捕まるなんて」
と、重子は苦笑した。
「そんなことはないよ。佐山憲子は4ヶ月前に病死しているのだから」
「病死って、さっき三原さん、佐山憲子が東京に来るって言ったじゃあありませ
んか」
「東京に来るのは、佐山憲子ではなく、佐山憲子の旦那だよ」
「じゃあ、彼女は亡くなった人を殺そうと計画したということですか。彼女、知
らなかったんですか。知らなかったとしたら、間抜けを通り過ぎて馬鹿ではない
ですか」
そう言って、重子は大声で笑い出した。
「いや、彼女は佐山憲子が亡くなったということはよく知っている。臨終にも立
ち会っているし、通夜、葬式にも参列しているそうだからね」
そう三原が言うと、重子の笑いが凍ったように止まった。
「じゃあ、どうして?」
「さあ、佐山さんの話だと、確かに高校のときは安田多津子は佐山憲子にいじめ
られていたらしい。佐山さんも同じ高校だったというから高校の時から二人を知
っていたみたいだ。そして、高校を卒業して憲子は進学で上京し、一方多津子は
看護士になって就職のため上京した。その二人が東京で再会し、どういうわけか
その後、憲子が結婚して福井に戻るまでの何年間、同居していたらしい。で、結
婚しても交流があって、佐山さんはまるで双子の姉妹のように仲が良かったと言
っていた。そして、憲子が亡くなる直前まで、多津子は休職してまで憲子の面倒
を看ていたそうだ」
「それなのに、どうして」
「さあね、俺には女心は解らん。佐山憲子を殺したいと思うことで、佐山憲子が
まだ生きていると思い込もうとしていたのか、本当は自殺しようとしていたのか。
佐山さんの話だと、安田多津子は、自分が看護士なのに憲子が病死したことをす
ごく悔やんでいたというからね。でもやはり、本当のところ、解らん」
ふと、三原は振り向き、重子を睨んだ。
「何、何ですか、いきなり」
三原に睨まれた重子は、うろたえた。
「それはそうと、鳥飼、お前な。俺を撃ち殺したいなら、ここを狙って撃て。こ
こをな」
三原はそう言って、左胸に手を当てた。そして、取調室のマジックミラーを見た。
「あっ、取調べ中、あの後にいたんですか」
「そうだ、もっとも、犯人に向ってまだ、一発も発砲していないお前がよく言う
よって感じだが」
そうして三原が笑うと、重子はしおれた様に俯いた。
同日の、午後7時ごろ、安田多津子は東京駅の、東海道新幹線のプラットホーム
にいた。朝と同じベージュのコートを着ていたが、朝とは違ってどこか凛とした
雰囲気がその姿にあった。ベンチに座って電車を待つ多津子の脳裏にふと、憲子
が亡くなる前日のことがよみがえってきた。
多津子が、憲子のいる病室に入ると、憲子はベットに寝ていた。
「具合はどお」
多津子がそう尋ねると、憲子は目を開けて、寝たまま
「ありがとう」
と答えた。
「それより、小雪は?」
「小雪ちゃんなら、佐山君のお母さんに預けてきた」
多津子は、椅子を取り出し、憲子のベッドの傍らに座った。
「ねえ、多津子。私がいなくなったら、佐山と一緒になってもいいわよ」
「何言うのよ。憲子の病気は治るのよ。変なこと言うと怒るわよ」
多津子は、泣きそうになる自分の感情を堪えて、憲子を叱った。
「いいのよ、もう。解っているから。だから、お願い、黙って私の話を聞いて」
憲子はそう言って、手を伸ばし多津子の手を握った。
「私ね高校の時、佐山と付き合っていたでしょう。その時から多津子が佐山のこ
と好きだって知っていた。私が多津子をいじめたのだって、本当は佐山が多津子
を好きになるんじゃないかって心配だったから、でもそれに気づいたのは、卒業
してからだけど。高校を卒業して佐山とも別れて東京に行った頃は寂しかった。
で、色んな男と付き合った。その一人がヤクザだった。付き合い始めた頃は優し
かったけど、次第に暴力を振るうようになって、救急車に病院に運ばれるまでに
なって。そこで多津子に会わなければどうなっていたか、今でも想像しただけで
も怖いわ。でもね、多津子に会った時は恥ずかしくて何度も逃げ出そうと思った
の。だって、いじめた相手に治療されるなんて、これほど惨めなものはないから。
それでも、多津子は優しくしてくれた。励ましたくれた。暴力男から守ってくれ
た。その時私、自分を責めたわ、どうして、そんな多津子に酷いことをしたのか
って。そして、決めたの。多津子を幸せにしようって。私、多津子に佐山とは偶
然再会したって言ってたけど、ほんとはね、佐山に多津子と付き合ってって頼み
に行ったのよ。でも、佐山に私とまた付き合いたいって言われて、そのうち妊娠
してしまって。私、津子を幸せにしよう思ったのにこんなことになって、申し訳
なくってね。だから、佐山には福井に戻るなら結婚してもいいって言ったの。そ
して、福井に戻った。それでも、多津子は私に『おめでとう』って言ってくれた。
私、誰の祝福より多津子の言葉が一番嬉しかったのよ。だから、病気になって、
自分の命が長くないって知ったとき、悲しかったけど半面、ホッとしたの。だっ
て、いじめた人がいじめられた人より幸せになるっておかしいもの。そうでしょ
う?ただ、気にかかるのは小雪のこと。母親がいなくなれば、いじめられること
も多いだろうし、それよりも心配なのは、高校の時の私みたいに、誰かをいじめ
ないかってこと。だから、多津子お願い。私がいなくなったら、小雪をいじめか
ら守って、小雪が他人をいじめたら叱って、お願い多津子」
そう話しながら、憲子の声はだんだん小さくなっていった。多津子は、何か言い
返そうとしたのだけれど、留めどなく溢れる涙を拭くのが精一杯で、何も言い返
すことができなかった。そして、多津子が涙を拭いて憲子の顔がハッキリ見える
ようになった頃には、憲子は眠ってしまっていた。
気が付くとホームに電車が入ってきた。多津子が頬の涙を拭ってベンチから立ち
上がると、電車から降りた小雪が多津子に向って走ってきた。
「多津子ねぇちゃん」
そうして、小雪は多津子に抱きついた。多津子は目を閉じ小雪を抱きしめながら、
「これから、私が守ってあげるからね」
と呟いた。そして、目を開けると、新幹線の側面の模様がまるで、憲子、多津子、
小雪と連なっている一点鎖線のように見えた。
完




