ep62.願いを
拍手の音が、止まない。
誰が叩いているのか分からない。
塔そのものが、祝福しているみたいだった。
乾いた音が、空間の奥で反響し続ける。
その中心で。
天音は、立っていた。
目の前には、人器。
その隣で――
拘束されたままの、青原の姿。
いや。
正確には、“青原の姿をした何か”。
口も、腕も、完全に封じられている。
時矢のナイフが、首元にぴたりと添えられたまま動かない。
火憐は、床に座り込んでいた。
焦点の合わない目で、ただ空間を見ている。
何もかもを失った直後の顔だった。
そして。
バビロンが、問いを繰り返す。
「――願いは、何ですか」
静かに。
逃げ場を与えない声で。
その瞬間。
拘束された青原が、わずかに動いた。
スキルバインドの拘束が、軋む。
喋れないはずなのに。
その目だけが。
必死に、天音を見ていた。
違う。
それは、“止めようとしている目”だった。
(言うな)
(それは違う)
(それは――)
だが。
天音は、その目を見たまま。
静かに、口を開いた。
「――この塔で死んだ人を」
一瞬。
空気が、止まる。
「全員」
その言葉に。
時矢の指が、わずかに震えた。
火憐の瞳が、ゆっくりと動く。
「元に戻して」
言った。
はっきりと。
迷いなく。
願いを。
その瞬間。
バビロンは――沈黙した。
今まで、一度も間を置かなかった存在が。
初めて、止まった。
「……確認します」
わずかな間の後。
「対象は、“この塔で死亡した全ての個体”で間違いありませんか」
天音は、頷いた。
「うん」
それだけだった。
その時だった。
「――待って!!」
声。
空間が裂ける。
黒い箱を抱えた少女――パンドラが、駆け込んできた。
息が荒い。
状況を見た瞬間。
拘束された青原を見た瞬間。
「青原!!」
叫ぶ。
箱が、強く脈打つ。
まるで、感情を持っているみたいに。
パンドラは駆け寄ろうとする。
だが。
時矢が、ナイフをわずかに押し当てた。
「動くな」
低い声。
「そいつは偽物だ」
「……え」
パンドラの足が、止まる。
理解が、追いついていない。
「違う」
首を振る。
「違う」
「青原は――」
言葉が、続かない。
目の前に、青原がいる。
でも。
何かが違う。
何が違うのか、分からない。
でも。
“違う”ことだけは分かる。
その後ろで。
少し遅れて、葵と美波が屋上へ上がってきた。
二人とも、足を止めた。
状況が、理解できない。
青原がいる。
拘束されている。
パンドラがいる。
時矢がナイフを当てている。
天音が、バビロンの前に立っている。
そして。
空気そのものが、歪んでいる。
「……なに」
葵が、小さく呟く。
隣で。
美波が、銃を握ったまま動けない。
「これ……どうなってるの……」
誰も、答えない。
答えられない。
その時。
バビロンが、再び口を開いた。
「――承認」
塔が、呼吸した。
低く。
深く。
世界の底から、何かが動き出す。
床が、震える。
空間が、歪む。
光が、逆流する。
時間が。
巻き戻る。
久我の血が、戻っていく。
亜蓮の途切れた命が、繋がり直す。
失われたはずの鼓動が、再び始まる。
見えない場所で。
見えない死が。
一つずつ。
否定されていく。
「――願いを実行します」
バビロンの瞳が、淡く光った。
その瞬間。
拘束された青原が――笑った。
拘束されているはずなのに。
確かに。
笑った。
誰も、まだ気づいていない。
この願いが。
救済であると同時に。
最悪の引き金になったことを。
塔の上で。
世界が。
静かに、書き換わっていく。




