ep61.祝福
静寂のあと。
それは、唐突に始まった。
――パチ。
乾いた音。
最初は、一つだけだった。
拍手。
誰のものか分からない。
天音は顔を上げた。
次の瞬間。
パチ、パチ、パチパチパチパチパチ――
無数の拍手が、空間を満たした。
見えない観客。
姿のない祝福。
逃げ場のない喝采。
「……」
天音の喉が、動かない。
視界の端で、
時矢が立っていた。
血に濡れた手。
その目は、虚ろだった。
反対側に、
火憐がいた。
炎は消えている。
魅魅の影が、足元で静かに揺れている。
三人。
立っているのは、
三人だけだった。
――勝者。
バビロンが告げるまでもなく、
それは確定していた。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチ――
拍手が、止まらない。
称賛。
祝福。
承認。
勝利への、正当な評価。
なのに。
どうして。
こんなにも――
冷たい。
「……やめて」
天音の口から、
かすれた声が漏れた。
拍手は止まらない。
むしろ、
強くなる。
まるで、
逃がさないように。
その時。
バビロンの声が、響いた。
「試練、終了」
感情のない声。
「勝者、確定」
「最上階への進行を許可します」
空間の奥に、
新しい扉が現れる。
上へ続く、
最後の扉。
パチパチパチパチパチ――
拍手が、
導くように続いている。
時矢が、
一歩、踏み出した。
火憐が、
続く。
天音は、
最後に歩き出した。
足が重い。
まるで、
自分のものじゃないみたいに。
階段を上る。
一段。
また一段。
拍手は、
ずっと続いている。
その音が。
ふと、
重なった。
――雨。
冷たい、
夜の雨。
傘もささずに、
立っていた。
遠くで、
誰かが連れて行かれる。
足音。
水を踏む音。
誰も、
止められなかった。
誰も、
何もできなかった。
あの夜の音。
あの時と、
同じ音だった。
拍手なのに。
祝福なのに。
どうして。
あの時の、
喪失の音と同じなんだろう。
天音の視界が、
わずかに滲んだ。
「……」
違う。
これは、
勝利だ。
願いに、
近づいた。
春を、
取り戻せる。
そのはずなのに。
胸の奥で、
何かが、
壊れたままだった。
拍手は、
止まらない。
まるで、
知っているかのように。
この勝利が、
本当の終わりじゃないことを。
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願いの前で(星崎天音視点)
拍手が、止んだ。
最後の一段を上り切った瞬間だった。
屋上。
何もない空間。
空も、風も、音も、
ここだけが切り離されているみたいだった。
そして、
その中心に――
バビロンが立っていた。
最初に現れた時と同じ姿。
同じ無機質な瞳。
同じ感情のない顔。
「おめでとう」
静かに言った。
「勝ったのは、君らのグループだ」
その言葉は、
祝福というより、
結果の報告だった。
ただの事実。
ただの確定。
「試練は終了した」
「願いを叶える権利は、君らにある」
願い。
その言葉に、
天音の指先が、わずかに震えた。
春を。
取り戻せる。
失ったものを、
全部――
その時だった。
――パチ。
後ろから、
拍手の音。
一つ。
ゆっくりと。
意図的に。
パチ……パチ……パチ……
全員が振り返る。
階段の奥。
影の中から、
一人の男が、
ゆっくりと姿を現した。
「……」
青原だった。
見慣れた姿。
見慣れた顔。
見慣れた、歩き方。
拍手をしながら、
こちらへ上がってくる。
「よくやった」
笑っていた。
柔らかく。
穏やかに。
――違う。
天音の心が、
即座に否定した。
青原は、
そんなことを言わない。
結果を褒める人じゃない。
勝利を祝う人じゃない。
必要なら、
頷くだけだ。
それ以上は、しない。
「……」
男は、
階段を上り切った。
拍手を止める。
「ここまで来るとは思っていたよ」
その声。
その抑揚。
その目。
すべてが、
“似ている”。
似ているだけだ。
――模造。
もう、
隠す気はなかった。
バビロンが、
男を見る。
「願いは何だ?」
淡々と、
問いかけた。
男の口角が、
わずかに上がる。
「ああ、それは――」
瞬間。
「――スキルバインド」
天音が、
呟いた。
空気が、凍る。
見えない鎖が、
男の身体に絡みつく。
動きが止まる。
完全に。
口も。
喉も。
呼吸すら。
拘束。
「……っ」
男の目だけが、
動いた。
驚き。
ではない。
理解。
そして、
わずかな愉悦。
次の瞬間。
時矢が、
動いていた。
一歩で間合いを詰める。
ナイフが、
男の首元に触れる。
皮膚に、
わずかに食い込む。
「喋ったら殺す」
静かな声。
震えていない。
迷いもない。
本気だった。
男は、
笑わない。
抵抗もしない。
ただ、
天音を見ていた。
天音も、
見返していた。
確信していた。
これは、
青原じゃない。
火憐は、
その場に座り込んでいた。
力が、
抜けていた。
もう、
何も考えられなかった。
弟を、
殺した。
自分の手で。
守るために。
救うために。
全部、
壊れた。
願いも、
希望も、
意味も。
どうでもよかった。
何もかも。
どうでもよかった。
バビロンが、
静かに言った。
「願いを述べよ」
対象は、
天音だった。
もう一度。
選択が、
与えられた。
願い。
叶えたいもの。
取り戻したいもの。
そのすぐ隣で。
偽物の青原が、
拘束されたまま、
静かに笑っていた。
まるで、
すべてが、
予定通りだとでも言うように。




