ep59.確信と信頼
春の部屋
何で――
何で天音が、ここにいる。
思考が、止まった。
目の前の現実が、理解を拒否する。
手から、刀が落ちた。
乾いた音が、床に響く。
カラン――
その音だけが、やけに大きく聞こえた。
「……」
喉が、動かない。
言葉が、出ない。
ここは――対面の部屋。
バビロンの試練。
どちらかが死ななければ、出られない場所。
俺は――
王を探しに来た。
暴食の王と、向き合うために。
そのはずだった。
そのために。
ここまで来た。
でも。
今は。
そんなこと――どうでもよかった。
目の前にいる。
それだけで。
全部、どうでもよかった。
しばらくして。
ようやく、声が出た。
「……なんで」
震えていた。
「なんでバビロンに……」
天音が、少しだけ俯く。
唇が、動く。
「……春が死んだって」
一拍。
「聞いたから」
理解が、遅れる。
「……誰に」
答えは、すぐに返ってきた。
「青原……さん……」
その名前を聞いた瞬間。
何かが、音を立てて繋がった。
ああ。
そうか。
「……そっか」
口から、漏れる。
「嘘だったんだ」
天音が、その場に座り込む。
力が抜けたみたいに。
剣も、構えたまま。
もう戦う気なんて、なかった。
沈黙。
重い沈黙。
どれくらい、時間が経ったのか分からない。
俺は、静かに言った。
「……この部屋が、どんな部屋か」
「知ってるよな」
天音は、頷いた。
「……知ってる」
小さな声。
壊れそうな声。
「でも」
少しだけ、顔を上げる。
「どうしようも……出来ない」
俺は、問い返した。
「……天音は」
「なんでここに来た」
天音は、少し考えてから。
答えた。
「……春を」
「生き返らせるため」
胸が、痛んだ。
言葉が、詰まる。
「……俺は」
少しだけ、間を置いて。
「暴食の王と、向き合うために来た」
天音は、小さく頷いた。
「……そっか」
それだけだった。
否定も。
肯定も。
何もなかった。
また、沈黙。
長い。
長い沈黙。
そして。
天音が、立ち上がった。
ゆっくりと。
床に落ちた、刀を拾う。
その動きは。
妙に、静かだった。
「……じゃあ」
小さく、呟く。
「要らないのは」
一拍。
「私だね」
心臓が、止まった。
天音は、刀を持ち上げる。
自分の首に。
当てる。
「――やめろ!!」
反射だった。
身体が、勝手に動いていた。
天音の腕を、掴む。
止める。
「なにしてんだ!!」
叫ぶ。
声が、壊れる。
「お前が死んだら!!」
言葉が、溢れる。
止まらない。
「俺は!!」
喉が、裂ける。
「どうすればいいんだよ!!!」
天音の身体を、押し倒す。
床に、倒れる。
その目を見た。
涙が、浮かんでいた。
天音の目。
俺の目。
どっちの涙か。
分からなかった。
「……だって」
天音が、呟く。
壊れそうな声で。
答えなんて。
なかった。
「……くっそ……」
歯を食いしばる。
どうすればいい。
どうすれば、いい。
この部屋から出るには。
どちらかが、死ぬしかない。
そんなの――
認められるか。
俺は、天音の手を掴む。
引き上げる。
立たせる。
その瞬間。
ぽとり、と。
何かが落ちた。
音。
小さな。
硬い音。
黒い箱。
床に、転がる。
「……」
天音の表情が、変わった。
はっとした顔。
気づいてはいけないものに、気づいた顔。
「……天音?」
問いかける。
答えは、返ってこない。
天音は。
黒い箱を、見ていた。
その箱を。
知っていた。
持っていた。
理由を。
思い出した。
そして。
顔を上げた。
その目は――
もう、さっきまでの天音じゃなかった。
覚悟を、決めた目だった。
「……ごめん」
小さく。
でも、はっきりと。
「春」
一拍。
「死んで」
「はぁ!?」
理解が、追いつかない。
次の瞬間。
空間が、歪んだ。
足元が、消える。
視界が、反転する。
屋上。
バビロンの階層。
対面の部屋の、最上部。
封印の場所。
天音が、箱を握る。
その黒い箱が。
静かに、開いた。
――ここから。
神木春は、“封印される”。




