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パレット  作者: 青原朔
9/34

-第9章- もう、後戻りは。

夜の終わりは、いつも静かだ。


黒が倒れたあと、

街は何事もなかったように息を吹き返す。


サイレンは止まり、

遠くで犬が吠えて、

誰かの窓に灯りが戻る。


——それが、いちばん嫌いだった。


「……終わったの?」


自分の声が、やけに軽く聞こえた。


神木ハルは、振り向かない。


前を見たまま、

黒だったものの残骸を確認している。


「終わった」


短い返事。


必要な言葉だけ。


その足元に、

氷の欠片が散らばっている。


溶けきらず、

形を保ったまま。


火憐は、視線を下げる。


——一つ、足りない。


人がいたはずの場所に、

人がいない。


「……ねえ」


一歩、踏み出す。


「さっき、ここに」


言葉が、途中で止まった。


思い出そうとすると、

映像が、うまく繋がらない。


叫び声。

凍る音。

その先。


「火憐」


ハルが、名前を呼ぶ。


初めて、こちらを見た。


「……何?」


「見なくていい」


その言葉に、

背筋が冷えた。


「見なくていいって、何」


声が、少しだけ強くなる。


「誰か、いたでしょ」


沈黙。


それが、答えだった。


火憐は、氷の欠片に近づく。


踏めば割れそうな、

薄い膜みたいな氷。


「……これ」


指先で触れる前に、

水卜葵が小さく息を呑んだ。


「やめて……」


振り返る。


葵は、顔色が悪い。


本当に、何も分かっていない顔。


「私……」


言葉を探して、

結局、見つからない。


火憐は、そこで初めて理解する。


——ああ。


——これは、事故じゃない。


——誰かが、選んだ。


「……ハル」


ゆっくり、名前を呼ぶ。


「今の、必要だった?」


問い詰める口調じゃない。

でも、逃げ場もない。


ハルは、少しだけ考えてから答えた。


「必要だった」


即答。


「黒を逃がせなかった」


「それだけだ」


火憐の喉が、きゅっと鳴る。


「じゃあ」


間を置く。


「助けられた可能性は?」


ハルは、答えない。


視線を逸らす。


その仕草で、十分だった。


「……そっか」


火憐は、笑おうとして、失敗した。


胸の奥が、

じわじわと熱くなる。


怒りじゃない。

悲しみでもない。


もっと嫌なもの。


——納得してしまいそうな自分。


「……帰ろ」


それだけ言って、

火憐は踵を返した。


背中に、二人の気配を感じながら。


歩き出して、数歩。


ふと、足を止める。


振り返らずに言った。


「ハル」


「次も」


一拍。


「同じこと、する?」


返事は、なかった。


それが、答えだった。


________


帰り道、街は静かだった。


夜が終わったあとの、

何事もなかったふりをする時間。


足音だけが、一定の間隔で響く。


——正しかった。


そう思った瞬間、

自分の思考の速さに、少しだけ驚いた。


反省じゃない。

後悔でもない。


結論が、先に出ていた。


「……違う」


小さく呟いて、首を振る。


違わない。

正しい。


助けられたかもしれない。

でも、助けなかった。


その結果、黒は倒れた。

次に被害が出る可能性も、消えた。


——数字にすれば、減っている。


命の数を、

頭の中で並べ替える自分がいる。


「やめろ」


誰に言ったのか、分からない。


火憐の背中が、少し前を歩いている。

距離は、さっきから変わらない。


追いつける。

でも、追いつかない。


——止められる言葉は、もうない。


視線を落とすと、

自分の手が、微かに震えていた。


怒りじゃない。

恐怖でもない。


慣れだ。


判断に、慣れ始めている。


「……次は」


思考が、勝手に先へ進む。


次に同じ状況になったら。

次に、助けを求められたら。


——同じことをする。


そう考えた自分を、

否定できなかった。


「……効率が、いい」


口に出した言葉に、

胸の奥が少しだけ冷える。


効率。


それは、間違いじゃない。

世界は、そうやって回っている。


「黒を倒す」


それが目的だ。


星崎アマネを探す。

そのために、必要なことをする。


——必要じゃないものは、切る。


頭の中で、

線が一本、引かれる。


人と、目的の間に。


「……俺は」


足を止める。


街灯の下で、影が伸びる。


「間違ってない」


言い切るように、呟いた。


誰も、答えない。


それでいい。


理解されなくてもいい。

止められなくてもいい。


結果が出ている。


——それが、すべてだ。


背後で、足音が一つ、遅れた。


振り返らない。


今、振り返ったら、

何かを失う気がした。


だから、前を見る。


ただ、前を見る。


その背中に、

誰かの視線が残っていることを、

ハルはまだ、知らなかった。

________

黒の気配は、まだ遠かった。


街灯の影が、路地に長く伸びている。

逃げる能力者の足音が、乾いた音で響く。


「……どうする?」


火憐の声。


距離はある。

時間は、足りない。


ハルは、口を開こうとして——止まった。


判断が、頭の中で並ぶ。

助ける。

止める。

追う。


その一歩前で。


「助けない方が、早いよ」


葵の声だった。


全員が、止まる。


火憐が、ゆっくり振り向く。


「……今、なんて?」


葵は、瞬きをした。


「え……?」


自分でも、驚いた顔。


でも、言葉は続いた。


「だって、間に合わない」


淡々とした声。


「黒を優先した方が、結果がいい」


その言い方が、

あまりにも“整理されすぎて”いた。


ハルの背中に、冷たいものが走る。


——それは、自分が出そうとしていた答えだ。


「……葵」


呼ぶと、彼女は首を傾げる。


「なに?」


本当に、分かっていない。


火憐は、一歩、距離を取った。


胸の奥で、

言葉にならない違和感が、形を持つ。


——これは、偶然じゃない。


夜風が吹く。

黒の気配が、近づく。


ハルは、前を見る。


選択肢は、もう並んでいない。


ただ一つの線だけが、

真っ直ぐに引かれている。


「……行く」


誰に向けた言葉か、分からないまま。


葵は、その背中を見つめていた。


自分の口から出た言葉を、

思い出せないまま。


そして火憐は、確信する。


——このまま進めば、

——誰かが、壊れる。


夜は、まだ続いていた。


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