ep55.対面試練-火野火憐
対面試練 ――火憐
階層は、上へ進むほど音が消えていった。
足音さえ、遅れて聞こえる。
火憐は、一人で歩いていた。
どこまでも続く灰色の通路。
景色は変わらない。
時間の感覚も曖昧だった。
「……気持ち悪」
小さく呟く。
返事はない。
当たり前だ。
ここは、塔の中だ。
現実と同じ形をしているだけの場所。
その時。
空間が、裂けた。
音もなく。
目の前に、扉が現れる。
黒でも白でもない。
触れてはいけないと本能が告げる質感。
その表面に。
文字が浮かぶ。
――対面試練。
火憐の呼吸が止まる。
「……これって」
言葉の続きは出なかった。
分かってしまったからだ。
「次の部屋?」
背後で声。
魅魅だった。
いつの間にか、火憐の影に重なるように立っている。
火憐が振り向く。
「違う」
魅魅は言った。
「対面の部屋」
その声音は。
いつもの甘さが少しだけ消えていた。
「……利用者が増えてる」
火憐の背筋が凍る。
「……つまり」
「戦うってこと」
冷たい結論。
それまで必死に積み上げてきた覚悟が。
音を立てて崩れる。
「……他に道は」
「ないよ」
即答だった。
「誰かが来るまで待つとか」
「来ない」
魅魅は静かに言う。
「私たちだけ」
「ここを突破しないと、この塔はクリアできない」
火憐の呼吸が浅くなる。
視界が狭くなる。
足元が揺れる。
「……怖い?」
魅魅が聞く。
火憐は答えられない。
怖くないはずがない。
人を殺す。
しかも。
理由は“願い”。
正しいかどうかも分からない。
それでも。
「大丈夫」
魅魅が言った。
ほんの少しだけ優しい声で。
「最悪の場合は、私が何とかする」
その言葉の意味を。
火憐はまだ理解していなかった。
そして。
扉が、開く。
光が消える。
空間が固定される。
そこに立っていたのは――
「……え」
声が出ない。
目が動かない。
心臓が止まったみたいだった。
火野亜蓮だった。
弟だった。
炎の魔法使い。
小さい頃から守ろうとしてきた存在。
その亜蓮が。
こちらを見ている。
同じように。
信じられないものを見る顔で。
「……姉ちゃん?」
その一言で。
火憐の世界が壊れた。
「なんで……」
膝が震える。
足が動かない。
何もできない。
魅魅は、その瞬間に悟った。
この試練は。
最悪だ。
誰がこんな趣味の悪いことを考えた。
笑うしかなかった。
「……はは」
乾いた笑い。
決して楽しいわけじゃない。
狂いそうだから笑っただけ。
「誰……こんな趣味の悪いことする奴」
そして。
目が変わる。
「うける」
次の瞬間。
魅魅の気配が消えた。
影から飛び出す。
空気が歪む。
「ブラックアウト」
世界が、色を失う。
音が潰れる。
理性が削れる。
火憐の視界が、赤く染まる。
心が、壊れていく。
恐怖が消える。
罪悪感が消える。
ただ。
“守らなきゃ”という歪んだ衝動だけが残る。
魅魅を。
守らなきゃ。
守らなきゃ。
守らなきゃ。
「……姉ちゃん?」
亜蓮が一歩近づく。
その瞬間。
火憐の炎が、爆ぜた。
色が違う。
赤じゃない。
黒に近い。
粘つく熱。
地面が溶ける。
空気が焼ける。
火憐は笑っていた。
泣きながら。
笑っていた。
「近づかないで」
声が、別人だった。
「……殺しちゃう」
その瞬間。
戦いが始まった。




