ep49.第一層、火野火憐。
バビロン試練 第一層
――火憐:守れなかった過去
気づいた時。
火憐は、立っていた。
塔の中ではない。
廃墟でもない。
見慣れた道だった。
夕方の光。
伸びる影。
住宅街の匂い。
そして。
前方に、小さな背中があった。
「……亜蓮」
声が、勝手に漏れた。
振り向いた少年は、まだ幼い。
能力に目覚める前の、ただの弟だった。
「姉ちゃん?」
その声。
その顔。
忘れるはずがなかった。
忘れられるはずがなかった。
「どうしたの?」
亜蓮が首を傾げる。
その仕草まで、記憶の通りだった。
そして。
来る。
火憐の身体が、理解していた。
角の向こうから。
黒いスーツの男たちが現れる。
対黒局。
「対象を確認」
「確保する」
無機質な声。
あの時と同じ。
何もできなかった日。
火憐の足が動かない。
知っているから。
この先を。
「姉ちゃん……?」
亜蓮が不安そうに振り返る。
その目。
その小さな手。
伸ばせば届く距離。
届く。
――届くのに。
あの時は。
届かなかった。
男が、亜蓮の肩に手を伸ばす。
その瞬間。
火憐の中で、何かが弾けた。
炎が噴き出す。
熱。
力。
魔力。
今の火憐なら。
止められる。
守れる。
あの時にはなかった力。
亜蓮を奪わせずに済む。
男の手を焼き払うこともできる。
全員を殺すこともできる。
守れる。
守れる。
守れる。
――守れる。
その時だった。
声がした。
「望みますか」
振り返る。
少女がいた。
バビロン。
無表情で、火憐を見ている。
「この過去を、書き換えることを」
「望むなら」
「あなたは守れます」
「失わずに済みます」
亜蓮が、火憐を見ている。
助けを求めている。
あの日と同じ目。
火憐の手が震える。
守れる。
今なら。
守れる。
炎が、強くなる。
魔力が、応える。
願えば。
叶う。
その瞬間。
亜蓮の口が動いた。
「……姉ちゃん」
その声は。
あの日と同じで。
そして。
違った。
「泣いてるの?」
火憐は気づいた。
自分の頬が濡れていることに。
炎が、揺れる。
守りたい。
今でも。
守りたい。
でも。
火憐は知っている。
この亜蓮は。
本物じゃない。
これは。
過去。
バビロンが見せている幻。
「……ごめん」
火憐は呟いた。
炎が消える。
男たちが動く。
亜蓮の腕を掴む。
連れていく。
あの日と同じ。
何もできない。
何も変えない。
火憐は、動かなかった。
ただ。
見ていた。
最後まで。
亜蓮が消えるまで。
完全に。
消えるまで。
静寂。
バビロンが問う。
「なぜ」
「望めば守れた」
火憐は答える。
「守れなかったから」
声は震えていた。
でも。
止まらなかった。
「守れなかったから」
拳を握る。
「今の私がいる」
炎が、静かに灯る。
以前より。
深く。
重く。
確かな炎。
「守れなかった過去は」
「消しちゃダメなんだ」
火憐は顔を上げる。
バビロンを見る。
まっすぐに。
「私は」
「守れなかった火憐のままでいい」
炎が、揺れる。
「その代わり」
一歩、前へ。
「今度は、守る」
沈黙。
バビロンが、わずかに目を細めた。
「……試練を確認」
「第一層」
「通過」
世界が崩れる。
光が砕ける。
火憐の身体が、浮く。
最後に見えたのは。
あの日の夕焼けだった。
そして。
次の階層へ。
火憐は。
もう、過去に縛られていなかった。




