ep47.試練開始
「準備は、よろしいですか」
その問いは、確認じゃなかった。
宣告だった。
塔の入口はすでに開いている。
後は、踏み込むだけ。
誰もすぐには動かなかった。
その時だった。
「……待て」
低い声。
視線が集まる。
「最大人数は五人、だよな」
短い確認。
バビロンは、即座に答える。
「肯定」
「侵入可能個体数は、五」
沈黙。
誰もが、同じことを考えていた。
――六人いる。
視線が、自然と互いを数える。
一人。
二人。
三人。
四人。
五人。
そして――六人目。
「……私たち、六人いるよね」
静かな声だった。
現実を突きつける声。
「どうする?」
誰かが言う。
答えは、出ていない。
「減るしかないのか……?」
冗談じゃない。
誰を置いていく?
誰が残る?
そんな選択、できるはずがない。
「……他のチーム」
ふと、別の声。
「来る可能性があるってことか?」
バビロンは、否定しない。
つまり。
来る。
可能性がある。
「来る前に登っちまえばいい」
即断だった。
「最上階に到達すれば終わりだ」
「介入される前に、終わらせる」
理屈は正しい。
だが。
その前に――
「人数が足りねぇ」
六人では、入れない。
沈黙。
風が吹く。
その時だった。
「なに、そんな顔してんの」
軽い声。
場違いなほど、軽い。
振り向く。
そこにいたのは――魅魅だった。
いつも通りの顔。
焦りもない。
恐怖もない。
むしろ、少しだけ楽しそうですらある。
「簡単でしょ」
魅魅は肩をすくめた。
「私が減ればいいだけ」
意味を理解するのに、一瞬かかった。
「……は?」
思わず声が漏れる。
魅魅は、気にしない。
視線を横へ向ける。
火憐の足元――影を見る。
「前にもやったじゃん」
当然のように言う。
「私が影に入れば、“個体”としては数えられない」
火憐が息を呑む。
「存在は維持される」
バビロンが補足する。
「独立個体として認識されない場合、侵入制限には抵触しません」
つまり。
可能だ。
魅魅は、くすっと笑った。
「ほらね」
一歩。
火憐へ近づく。
「ちょっと借りるね」
拒否する間もなかった。
魅魅の身体が、ゆっくりと沈み始める。
足元から。
影へ。
溶けるように。
黒の中へ。
指先が消え。
腕が消え。
肩が消え。
最後に。
魅魅の瞳だけが、こちらを見た。
「ちゃんと守ってよ?」
冗談みたいに。
でも。
どこか、本気で。
そして――
完全に、消えた。
火憐の影が、わずかに揺れる。
それだけで。
もう、“六人目”はいない。
空気に、甘い匂いだけが残っていた。
「……これで」
短い確認。
バビロンが答える。
「侵入条件を満たしました」
入口の闇が、わずかに広がる。
招いている。
「侵入を開始します」
もう。
止まれない。
「行くぞ」
その一言で。
全員が、前を向いた。
そして――
闇の中へ、足を踏み入れた。
次の瞬間。
世界が、切断された。
バビロンの試練が、
本当の意味で始まった。
_____
闇に触れた瞬間だった。
落ちる感覚すらなかった。
ただ、世界が――切り替わった。
「――ッ」
足が地面に着いた時、ハルは反射的に身構えていた。
だが。
誰もいない。
「……」
声を出そうとして、違和感に気づく。
音が――薄い。
消えてはいない。
だが、自分の呼吸音すら、遠くから聞こえるような感覚。
「葵」
呼ぶ。
返事はない。
「零」
影を見る。
だが、そこにあるのは――ただの影だった。
揺れない。
返さない。
沈黙。
「……久我さん」
返答はない。
気配もない。
完全な孤立。
「……チッ」
舌打ちが、妙に重く響いた。
周囲を見渡す。
そこは――都市だった。
だが、死んでいる。
ビルは立っている。
道路もある。
信号もある。
だが。
すべてが“使われたことがない”ように綺麗だった。
時間が流れていない。
存在だけが固定された世界。
「裏世界……?」
零の能力で聞いたことがある。
現実の写し。
だが、人が存在しない世界。
だが。
違う。
ここには――
“意志”がある。
見られている。
確実に。
どこかから。
その瞬間。
頭の奥で、声がした。
——観察対象、確認。
統だった。
冷たい。
機械のような声。
「……統」
口に出す。
返答は即座だった。
——ここは物理階層ではない。
——精神階層だ。
ハルの眉が動く。
「精神……?」
——貴様の認識に応じて、構築されている。
——つまり。
一拍。
——貴様専用の試練だ。
その言葉と同時に。
世界が、わずかに歪んだ。
ビルの輪郭が、波打つ。
道路が、呼吸する。
影が――遅れて動いた。
「……なんだよ」
自分の影が。
自分の動きより、ほんの一瞬遅れて追従する。
まるで。
もう一人の自分がいるみたいに。
——理解したか。
統が言う。
——貴様は、既に。
——“王を内包した個体”として認識されている。
心臓が、一度強く打った。
王。
零。
統。
そして――魅魅。
複数の王の因子を、その身に宿した存在。
それが。
バビロンにどう見えているのか。
——試されているのは。
統が静かに言った。
——貴様が、“器”に足るかどうかだ。
その瞬間。
世界の奥で。
何かが、目を開いた。
巨大な。
理解不能な。
意志。
見られている。
測られている。
選別されている。
「……上等だ」
ハルは、拳を握った。
逃げない。
目を逸らさない。
ここまで来た理由は一つだ。
バビロンに辿り着くため。
そして――
その先にあるものを、掴むため。
影が、ようやく。
完全に、自分と同期した。
その瞬間。
世界が――次の段階へ進んだ。




