ep37.君ならきっと大丈夫
ここから少しだけ別視点、過去の話になります。
時は少し戻り、統と対峙する前。
___青原。
夜は、静かすぎた。
喫茶アオハラの明かりだけが、闇の中に浮かんでいる。
客はいない。
時計の針の音だけが、やけに大きく聞こえていた。
青原は、カウンターの奥でコーヒーを淹れていた。
湯気がゆっくりと立ち上る。
向かいの席には――少女が座っている。
人の形をしている。
だが、人ではない。
能力そのものが形を持った存在。
人器。
パンドラ。
「……なかなか尻尾を出さないね」
青原が言った。
独り言のように。
けれど、それは確かに彼女へ向けられていた。
パンドラは、カップを指でなぞりながら答える。
「裏切り者?」
「ああ」
青原は頷いた。
「いる」
断言だった。
「確実にね」
店の外で、風が鳴る。
「本当にいるの、このチームに」
パンドラの問いは、責めるものではなかった。
ただ、事実を確かめるための声だった。
青原は少しだけ考えた。
それから、正直に言った。
「……分からない」
嘘はつかなかった。
「でも」
コーヒーをカップに注ぐ。
黒い液体が、静かに満ちていく。
「どうも辻褄が合わないことが多すぎる」
指先でカップを押し出す。
「星崎さん」
「時矢くん」
「火野くん」
「片桐さん」
「君」
「そして、僕」
一人ずつ、名前を置いていく。
「いいチームなんだけどさ」
小さく笑う。
「どうも邪魔が入る」
パンドラは黙って聞いていた。
青原は続ける。
「能力者の中にはね」
視線を落とす。
「模倣に近いことができる者もいる」
パンドラの指が止まる。
「模倣」
「姿だけじゃない」
青原は言った。
「癖」
「間」
「呼吸」
「思考の癖」
「そういう“人間の形”をなぞれる」
静かな夜だった。
「完全に同じにはならない」
青原はカップを持ち上げる。
「でも」
一拍。
「気づかない程度には、似せられる」
パンドラは何も言わない。
言う必要がなかった。
それがどれほど恐ろしいことか、理解しているから。
「だから」
青原は、コーヒーを一口飲んだ。
苦味が、舌に残る。
「疑い始めたら、きりがない」
沈黙。
時計の音。
カチ、カチ、カチ。
その時だった。
ふと。
青原は、自分の手を見た。
指先。
震えてはいない。
いつもの、自分の手。
――本当に?
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
頭の奥に、違和感が走った。
(……僕は)
(僕だよな)
馬鹿げた考えだった。
すぐに打ち消す。
だが。
その“疑問が生まれた事実”だけは、消えなかった。
青原は、何事もなかったようにカップを置いた。
パンドラが見ている。
「……どうするの」
彼女が聞いた。
青原は、答えた。
「尻尾を掴む」
迷いはなかった。
「そのためには」
窓の外を見る。
夜。
能力者達が動く世界。
「神木くん達の元を離れる必要がある」
パンドラは、すぐに答えなかった。
数秒。
それから、頷く。
「任せるよ」
静かな声。
「青原が言った事、大体当たってるし」
青原は、少しだけ笑った。
「ありがと」
本音だった。
「話せる相手がいてよかったよ」
一拍。
「パンドラ」
少女は、何も答えなかった。
ただそこにいるだけで、十分だった。
その夜。
青原は、喫茶アオハラを離れる決意をした。
――この時はまだ。
自分を“自分ではない何か”が見ていることに、
気づいていなかった。




