ep27.視線
東京外縁 ― 旧高速道路下
エンジン音が、夜を裂いた。
低く。
重く。
唸るように。
黒に沈んだ都市の静寂を、
無理やり現実へ引き戻す音。
バイクだった。
旧高速道路の崩れかけた高架の下を、
一台の大型バイクが滑り込んでくる。
ヘッドライトが、
死んだ都市のコンクリートを照らす。
瓦礫。
放置された車。
風に揺れるだけの標識。
そして――誰もいない道路。
ブレーキ。
タイヤが、短く鳴いた。
止まる。
エンジンが落ちる。
静寂が戻る。
「……ここか」
久我が呟く。
ハンドルから手を離す。
後ろに乗っていた美波が、
ゆっくりと降りた。
足元の感触を確かめるように。
「……」
何も言わない。
ただ、見ている。
都市を。
空を。
黒を。
「……変だね」
小さく、美波が言う。
「何が」
久我は答えながら、
周囲を警戒している。
死角。
屋上。
窓。
影。
全部を見ている。
「音」
美波が言う。
「なさすぎる」
その通りだった。
都市は形を保っているのに、
“生活音”だけが消えている。
虫の声も。
遠くの車も。
人の気配も。
何もない。
「……死んでるみたい」
美波の言葉は、
比喩じゃなかった。
都市そのものが、
死体みたいだった。
久我は、空を見上げる。
「違うな」
短く言う。
「死んでるんじゃねぇ」
一拍。
「食われたんだ」
風が吹く。
甘い匂いが、流れてくる。
美波の指が、
無意識に銃を握る。
能力じゃない。
ただの癖。
「……いる」
小さく言う。
久我も、気づいている。
見えないだけで。
見ているものがいる。
都市そのものが、
こちらを観察している。
「行くぞ」
久我が歩き出す。
迷いはない。
ここに来た時点で、
引き返す選択肢はない。
美波が、その背中を見る。
「……久我」
「なんだ」
「死ぬ?」
久我は、振り返らない。
「死なねぇよ」
即答だった。
「俺はまだ、やることがある」
美波は、少しだけ安心した顔をした。
そして。
その隣を歩く。
東京の奥へ。
王の領域へ。
______
同時刻 ― 東京中心部・不明座標
暗い。
光はある。
けれど。
意味がない。
ビルの屋上。
コンクリートの縁。
そこに。
一人の少女が座っていた。
長い髪。
パーカー。
膝を抱えている。
だらりと。
力なく。
目は半分閉じている。
「……めんどくさ」
呟く。
感情がない。
ただ。
本当に面倒そうだった。
少女――夢魔は。
視線だけを動かす。
遠くを見る。
直接じゃない。
もっと別の方法で。
黒を通して。
都市を通して。
侵入者を見る。
「あー……」
小さく、ため息。
「来ちゃったじゃん」
興味はない。
本当は。
どうでもいい。
でも。
来た。
入ってきた。
王の領域に。
「……暴食」
小さく呼ぶ。
返事はない。
当然だ。
あれは。
もう。
ほとんど“会話できる状態じゃない”。
だから。
代わりに。
都市が、鳴る。
遠くで。
何かが崩れる。
それが、返事だった。
「起こすの?」
ユマが聞く。
沈黙。
少しだけ考える。
面倒だ。
全部。
戦うのも。
殺すのも。
壊すのも。
守るのも。
全部。
「……どうでもいいけど」
膝に顎を乗せる。
「めんどくさいのは、やだなぁ」
目を閉じる。
一拍。
それから。
小さく。
本当に小さく。
笑った。
「ま」
「少しだけ」
「見てよっか」
都市の黒が。
わずかに、動いた。
王は。
まだ。
立ち上がらない。
ただ。
見ている。
ハルを。
侵入者を。
そして。
これから起きる、
“面倒な未来”を。
______
東京中心部外縁 ― 崩壊区画
空気が違った。
入った瞬間に。
「……っ」
ハルが足を止める。
隣で、葵が同時に止まった。
久我も。
美波も。
魅魅も。
理由は同じだった。
匂い。
甘い。
だが。
今までの色欲の粒子とは違う。
もっと重い。
もっと濃い。
もっと――生々しい。
まるで。
「……腐ってる」
美波が、小さく呟く。
腐敗臭ではない。
血でもない。
肉でもない。
なのに。
“終わったもの”の匂いがした。
「……ここから先だな」
久我が言う。
その声は低い。
いつもより。
わずかに。
警戒している。
ハルは、一歩踏み出した。
その瞬間。
頭の奥で。
――カチリ。
何かが、動いた。
視界が、一瞬だけ歪む。
影が、濃くなる。
心臓の音が、遠のく。
そして。
口が、勝手に動いた。
「――止まれ」
低い声。
ハルの声なのに。
ハルの声じゃない。
全員が、振り向く。
「……ハル?」
葵が言う。
だが。
ハルは、答えない。
違う。
答えたのは――
「なるほど」
統だった。
ハルの口で。
統が、喋っていた。
「貴様らは、王を探しているのか」
その声は冷静だった。
観察する者の声。
感情のない声。
「……統」
魅魅が、小さく呟く。
統は続ける。
「これは――」
ゆっくりと。
空気を、吸う。
分析するように。
味わうように。
「黒粒子ではない」
「もっと原始的だ」
「もっと単純だ」
一拍。
「――捕食の残滓」
その言葉が落ちた瞬間。
全員の背筋に、冷たいものが走る。
「暴食か」
統が断言する。
迷いは一切ない。
「間違いない」
ハルの体が、わずかに震える。
統は続ける。
「効率的だ」
「無駄がない」
「存在そのものを取り込む」
「能力も」
「肉体も」
「魂すらも」
「……完成された捕食だ」
その評価に。
わずかな、敬意が混じっていた。
王が。
別の王を。
評価している。
その事実が。
何よりも恐ろしかった。
「統」
ハルが、歯を食いしばる。
「……どこにいる」
統は、即答しなかった。
代わりに。
魅魅を見た。
正確には。
魅魅の“反応”を。
魅魅は――
初めて。
笑っていなかった。
「……ねぇ」
小さく言う。
声が。
震えていた。
「これ」
魅魅の指が。
ハルの服を、掴んでいた。
無意識に。
「これ」
もう一度言う。
「やばいよ」
その一言は。
冗談でも。
演技でもなかった。
王が。
本能的に。
危険を感じている。
「魅魅……?」
ハルが見る。
魅魅の瞳は。
完全に、恐怖していた。
「これね」
小さく言う。
「“食べられた後”の匂い」
その言葉の意味を。
理解する前に。
美波が。
前を指した。
「……あれ」
全員が見る。
そこにあったのは――
影だった。
人の形をしている。
立っている。
動かない。
近づく。
久我が先行する。
一歩。
二歩。
三歩。
そして。
止まった。
「……おい」
声が低い。
今まで聞いたことがないほど。
低い。
「……どうした」
ハルが、隣に立つ。
見た。
そして。
理解した。
それは。
人だった。
いや。
人だったもの。
皮膚がない。
血もない。
肉もない。
骨もない。
空洞だった。
外側だけが残っている。
中身だけが。
完全に。
消えていた。
服はある。
髪もある。
顔もある。
表情もある。
なのに。
中身だけが。
存在しない。
「……食われた」
統が、静かに言った。
「完全に」
「一片も残さず」
風が吹く。
その瞬間。
“それ”が。
崩れた。
砂のように。
黒い粒子になって。
空気に溶けた。
誰も動けない。
理解が。
追いつかない。
これは。
戦闘じゃない。
狩りでもない。
災害だ。
その時。
遠くで。
――ズル。
何かが。
動いた。
魅魅が。
震える声で、言った。
「……いる」
夢魔は、まだ動かない。
だが。
暴食は。
すでに。
こちらを見ている。




