ep25.恋色
夜の東京を、影が滑る。
ダイブの感覚には、まだ慣れない。
空間が裂け、視界が歪み、次の瞬間には別の景色。
その隣に、彼女がいる。
「ねぇ」
甘い声。
でも今日は、どこか乾いている。
「私と二人きりなんて、ドキドキしない?」
魅魅はわざとらしく笑う。
指先から、黒い粒子がふわりと舞う。
それは見えない鎖みたいに、人の心に絡みつくもの。
“好き”という感情を、強制的に引き上げる。
今までの男は、みんなそれで落ちた。
視線が濁って、
呼吸が乱れて、
「君が好きだ」と言う。
能力で。
「……効かないの?」
ぽつりと漏れる。
ハルは歩きながら、振り向きもしない。
「効いてないな」
即答。
「えー?」
冗談めかす。
でも胸の奥が、ひりつく。
効かない。
色欲が効かない。
それはつまり――
“私じゃない”ってこと?
「ねぇ」
今度は少し低い声。
「みんな、私を好きになるよ?」
「能力込みでな」
ハルが言う。
一瞬、言葉が刺さる。
能力込み。
やっぱり、そこ。
やっぱり、“それ”。
「……嫌い?」
「何が」
「私の能力」
「別に」
ハルは止まる。
振り向く。
真っ直ぐ見る。
「でもそれ抜きで話せよ」
風が止まった気がした。
「……は?」
「お前と話がしたい」
その一言。
能力じゃない。
色気でもない。
魅了でもない。
“お前”。
心臓が、変な音を立てる。
お前と話がしたい。
色欲の王としてじゃなくて?
能力者としてじゃなくて?
ただの――私?
「……変なの」
強がる。
視線を逸らす。
こんなはずじゃない。
好きにならせる側なのに。
今、揺れてるのは自分のほうだ。
「私さ」
声が少しだけ掠れる。
「本当はね」
言いかけて、やめる。
言えない。
信じきれない。
どうせ最後は能力が必要なんでしょ。
どうせ、王だから利用価値があるだけなんでしょ。
「……ふーん」
急に立ち止まり、人の姿に変わる。
黒が収束し、普通の少女の姿になる。
髪を揺らし、ハルの目の前に立つ。
距離を詰める。
喉元に指を当てる。
「いつでも殺せるよ?」
笑う。
意地悪に。
「それでも殺さないの?」
本当は。
そんな気ない。
殺したくなんかない。
ただ――
試したい。
選ばれたい。
能力じゃなくて。
私を。
ハルは、目を逸らさない。
「殺す気ないだろ」
即答。
「……なんでそう思うの」
「目」
一言。
「怖がってる目してる」
胸が、ぎゅっとなる。
怖い。
信じるのが。
好きになるのが。
「……バカ」
小さく呟く。
視線を落とす。
「みんな能力で好きになるのにさ」
ぽつり。
「能力関係なく好きになってほしいなんて」
「わがままじゃん」
夜風が吹く。
ハルが言う。
「別に」
「わがままでいいだろ」
沈黙。
その言葉は。
甘くない。
優しすぎない。
ただ、真っ直ぐだった。
魅魅は、顔を上げる。
少しだけ、笑う。
でもその目は、揺れている。
「……ほんと、やりづらい」
色欲の王なのに。
誘惑が効かない。
魅了が効かない。
なのに。
心だけは、持っていかれそう。
「……ちゃんと好きになってよね」
小さく言う。
「能力じゃなくて」
「私を」
それは、命令じゃなかった。
願いだった。
色欲の王が、
初めて自分の欲を言葉にした夜だった。




