ep20.人質
約束だからね、と。
魅魅はそう言って笑った。
その笑顔は、もう王のものじゃなかった。
ただの――女の子だった。
風に揺れるツインテールも、
夜の粒子も、
もう、誰かを縛るためのものじゃない。
「会いに行くから」
そう言って、
少しだけ照れたように目を逸らす。
その仕草が、
さっきまで“色欲の王”として立っていた存在と、
同じものだなんて。
信じられなかった。
王であることは変わっていないはずなのに。
圧倒的な黒の密度も、
人を壊せる力も、
すべてそのままなのに。
どうして。
こんなにも、
“普通”に見えるのか。
「……これが」
ハルは、小さく呟いた。
「黒……」
分からなくなる。
人と、何が違うのか。
零は、嫉妬して、
苦しんで、
それでも葵を守ろうとした。
統は、傲慢のまま、
誇りを捨てずに消えた。
そして、魅魅は――
好きになってほしいと、
泣いた。
黒は。
本当に、
“敵”なのか。
胸の奥で、
何かがまた、揺れた。
それが何か、
まだ言葉にはできない。
でも、確実に。
神木ハルという人間を、
変えていく何かだった。
その夜は、
静かに終わった。
そして――
翌日。
日常は、
何事もなかったかのように始まった。
――はずだった。
教室の空気が、妙だった。
ざわざわしている。
落ち着かない。
普段なら、朝はもっと緩い。
眠そうな顔や、
どうでもいい会話が、
だらだらと流れているだけの時間。
なのに今日は違う。
全員が、どこか浮ついている。
「なぁ、聞いた?」
「転校生来るらしい」
「しかも女子」
「マジで?」
「朝礼で紹介するって」
噂が、教室中を巡っている。
ハルは、窓際の席で、
黙って外を見ていた。
胸の奥に、
昨夜の余韻が残っている。
甘い匂い。
涙。
約束。
(……まさか)
嫌な予感がした。
根拠はない。
でも。
“王”と約束をした翌日が、
普通に終わるわけがない。
チャイムが鳴る。
朝礼の時間。
担任が入ってくる。
「えー、今日は転校生を紹介する」
教室の空気が、一気に跳ねる。
「入ってきてくれ」
ドアが、開いた。
その瞬間。
ハルの心臓が、
止まった。
入ってきたのは――
見間違えるはずもない。
黒髪のツインテール。
整った顔立ち。
少しだけ気だるそうな目。
そして。
“あの笑顔”。
「色乃魅魅でーす」
教室に向かって、
軽く手を振る。
その声は、
昨夜と同じだった。
完全に。
同じ存在だった。
「……は?」
誰かが、呟いた。
それが誰だったのか、
分からない。
たぶん、自分だった。
アオハラ組の全員が、
固まっていた。
葵も。
火憐も。
そして、ハルも。
唖然としている。
当然だった。
昼間だ。
太陽が昇っている。
光の中だ。
黒は、
活動できないはずだ。
それが、
この世界の前提だった。
なのに。
魅魅は、
何事もない顔で、
そこに立っている。
そして。
ハルを見た。
一瞬だけ。
視線が合う。
魅魅は、
誰にも気づかれないように、
ほんの少しだけ――
ウインクした。
心臓が、
跳ねた。
(……来た)
約束を、
守りに。
休み時間になった瞬間。
魅魅の周りには、
人だかりができていた。
「どこから来たの?」
「前の学校どこ?」
「かわいい!」
「彼氏いる?」
質問の嵐。
笑い声。
興味。
好奇心。
“普通”の転校生として、
完全に受け入れられている。
ハルは、
それを無視して、
人混みをかき分けた。
「ちょっと」
魅魅の手を掴む。
その瞬間。
魅魅は、
嬉しそうに笑った。
抵抗しない。
むしろ、
待っていたみたいに。
ハルは、そのまま、
廊下へ引っ張り出す。
人気のない場所まで連れて行き、
壁に押し付けた。
壁ドン。
「……どういうつもりだ」
低い声。
怒りと、
困惑と、
恐怖が混ざった声。
「それと」
睨む。
「どうやって昼間に活動してる」
魅魅は、
一瞬だけ、
きょとんとした顔をした。
それから、
くすっと笑う。
「王クラスになるとね」
指先をくるくる回す。
「因子の密度を高めるだけで、昼間でも生活できるの」
当たり前のように言う。
「知らないわけないよね?」
魅魅の視線が、
ハルの後ろへ向く。
そこに立っていたのは――葵。
いや。
「嫉妬さん?」
その呼び方に、
空気が凍る。
葵の影が、
わずかに揺れた。
でも。
零は、出てこない。
沈黙。
「……そうなのか?」
ハルが振り返る。
葵は、
少しだけ気まずそうに目を逸らした。
「……聞かれたことないし」
小さく言う。
つまり。
知っていた。
黙っていた。
「おい」
ハルが呆れる。
魅魅は、
楽しそうに笑う。
「ということで」
一歩、近づく。
ハルのすぐ目の前。
「よろしくね♡」
甘い声。
その指先から、
ほんの微量――
黒粒子が、
ふわりと零れた。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
でも、
それで十分だった。
この空間にいる、
全員を、
壊すには。
「……っ」
ハルの目が鋭くなる。
魅魅は、
囁いた。
「約束、忘れてないよね?」
微笑む。
でも。
その目の奥には、
確かに、
王がいた。
「破ったら――」
魅魅は、
教室の方をちらりと見る。
「この学校の子、みーんな」
言葉を、
最後まで言わない。
でも。
意味は、
十分すぎるほど伝わった。
人質。
学校全体が。
生徒全員が。
魅魅の、
“檻”になった。
「……お前」
ハルは、低く言う。
魅魅は、
無邪気に笑った。
「だって」
小さく、
本音を漏らす。
「逃げられたら、困るもん」
その笑顔は。
王で。
少女で。
そして、
孤独だった。
こうして――
色欲の王、
色乃魅魅との、
“学校生活”が始まった。




