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パレット  作者: 青原朔
52/101

ep20.人質

約束だからね、と。


魅魅はそう言って笑った。


その笑顔は、もう王のものじゃなかった。


ただの――女の子だった。


風に揺れるツインテールも、


夜の粒子も、


もう、誰かを縛るためのものじゃない。


「会いに行くから」


そう言って、


少しだけ照れたように目を逸らす。


その仕草が、


さっきまで“色欲の王”として立っていた存在と、


同じものだなんて。


信じられなかった。


王であることは変わっていないはずなのに。


圧倒的な黒の密度も、


人を壊せる力も、


すべてそのままなのに。


どうして。


こんなにも、


“普通”に見えるのか。


「……これが」


ハルは、小さく呟いた。


「黒……」


分からなくなる。


人と、何が違うのか。


零は、嫉妬して、


苦しんで、


それでも葵を守ろうとした。


統は、傲慢のまま、


誇りを捨てずに消えた。


そして、魅魅は――


好きになってほしいと、


泣いた。


黒は。


本当に、


“敵”なのか。


胸の奥で、


何かがまた、揺れた。


それが何か、


まだ言葉にはできない。


でも、確実に。


神木ハルという人間を、


変えていく何かだった。


その夜は、


静かに終わった。


そして――


翌日。


日常は、


何事もなかったかのように始まった。


――はずだった。


教室の空気が、妙だった。


ざわざわしている。


落ち着かない。


普段なら、朝はもっと緩い。


眠そうな顔や、


どうでもいい会話が、


だらだらと流れているだけの時間。


なのに今日は違う。


全員が、どこか浮ついている。


「なぁ、聞いた?」


「転校生来るらしい」


「しかも女子」


「マジで?」


「朝礼で紹介するって」


噂が、教室中を巡っている。


ハルは、窓際の席で、


黙って外を見ていた。


胸の奥に、


昨夜の余韻が残っている。


甘い匂い。


涙。


約束。


(……まさか)


嫌な予感がした。


根拠はない。


でも。


“王”と約束をした翌日が、


普通に終わるわけがない。


チャイムが鳴る。


朝礼の時間。


担任が入ってくる。


「えー、今日は転校生を紹介する」


教室の空気が、一気に跳ねる。


「入ってきてくれ」


ドアが、開いた。


その瞬間。


ハルの心臓が、


止まった。


入ってきたのは――


見間違えるはずもない。


黒髪のツインテール。


整った顔立ち。


少しだけ気だるそうな目。


そして。


“あの笑顔”。


「色乃魅魅でーす」


教室に向かって、


軽く手を振る。


その声は、


昨夜と同じだった。


完全に。


同じ存在だった。


「……は?」


誰かが、呟いた。


それが誰だったのか、


分からない。


たぶん、自分だった。


アオハラ組の全員が、


固まっていた。


葵も。


火憐も。


そして、ハルも。


唖然としている。


当然だった。


昼間だ。


太陽が昇っている。


光の中だ。


黒は、


活動できないはずだ。


それが、


この世界の前提だった。


なのに。


魅魅は、


何事もない顔で、


そこに立っている。


そして。


ハルを見た。


一瞬だけ。


視線が合う。


魅魅は、


誰にも気づかれないように、


ほんの少しだけ――


ウインクした。


心臓が、


跳ねた。


(……来た)


約束を、


守りに。


休み時間になった瞬間。


魅魅の周りには、


人だかりができていた。


「どこから来たの?」


「前の学校どこ?」


「かわいい!」


「彼氏いる?」


質問の嵐。


笑い声。


興味。


好奇心。


“普通”の転校生として、


完全に受け入れられている。


ハルは、


それを無視して、


人混みをかき分けた。


「ちょっと」


魅魅の手を掴む。


その瞬間。


魅魅は、


嬉しそうに笑った。


抵抗しない。


むしろ、


待っていたみたいに。


ハルは、そのまま、


廊下へ引っ張り出す。


人気のない場所まで連れて行き、


壁に押し付けた。


壁ドン。


「……どういうつもりだ」


低い声。


怒りと、


困惑と、


恐怖が混ざった声。


「それと」


睨む。


「どうやって昼間に活動してる」


魅魅は、


一瞬だけ、


きょとんとした顔をした。


それから、


くすっと笑う。


「王クラスになるとね」


指先をくるくる回す。


「因子の密度を高めるだけで、昼間でも生活できるの」


当たり前のように言う。


「知らないわけないよね?」


魅魅の視線が、


ハルの後ろへ向く。


そこに立っていたのは――葵。


いや。


「嫉妬さん?」


その呼び方に、


空気が凍る。


葵の影が、


わずかに揺れた。


でも。


零は、出てこない。


沈黙。


「……そうなのか?」


ハルが振り返る。


葵は、


少しだけ気まずそうに目を逸らした。


「……聞かれたことないし」


小さく言う。


つまり。


知っていた。


黙っていた。


「おい」


ハルが呆れる。


魅魅は、


楽しそうに笑う。


「ということで」


一歩、近づく。


ハルのすぐ目の前。


「よろしくね♡」


甘い声。


その指先から、


ほんの微量――


黒粒子が、


ふわりと零れた。


一瞬だけ。


本当に一瞬だけ。


でも、


それで十分だった。


この空間にいる、


全員を、


壊すには。


「……っ」


ハルの目が鋭くなる。


魅魅は、


囁いた。


「約束、忘れてないよね?」


微笑む。


でも。


その目の奥には、


確かに、


王がいた。


「破ったら――」


魅魅は、


教室の方をちらりと見る。


「この学校の子、みーんな」


言葉を、


最後まで言わない。


でも。


意味は、


十分すぎるほど伝わった。


人質。


学校全体が。


生徒全員が。


魅魅の、


“檻”になった。


「……お前」


ハルは、低く言う。


魅魅は、


無邪気に笑った。


「だって」


小さく、


本音を漏らす。


「逃げられたら、困るもん」


その笑顔は。


王で。


少女で。


そして、


孤独だった。


こうして――


色欲の王、


色乃魅魅との、


“学校生活”が始まった。

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