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パレット  作者: 青原朔
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ep17.感染者

路地に、まだ甘い匂いが残っていた。


鉄でも、血でもない。


花みたいで、

砂糖みたいで、

どこか胸がざわつく匂い。


「……まだ漂ってるな」


久我が鼻を鳴らす。


ハルの足元には、気絶した能力者が転がっている。


瞳孔が開いたまま、

うわ言のように何かを呟いていた。


「好き……かわいい……」


「会いたい……」


同じ言葉の繰り返し。


感情だけが肥大して、

中身が抜け落ちたみたいな声。


「……気味悪ぃな」


ハルが顔をしかめる。


葵がしゃがみ込んだ。


指先で、男の頬に触れる。


「……零、わかるか」


一瞬。


葵の影が揺れた。


瞳の色が、ほんの少しだけ変わる。


「――うん」


声色が変わる。


冷たい、もう一人の声。


「これ、“黒”だね」


「しかもかなり細かい」


空気中に手をかざす。


「粒子状」


「散布型」


「効率重視のやつ」


「……効率?」


久我が眉を寄せる。


零は淡々と言った。


「人間を直接襲うより、こっちの方が早い」


「勝手に汚染されて、勝手に壊れてくれるから」


さらりと恐ろしいことを言う。


ハルの喉が鳴った。


「……王か」


零が小さく笑う。


「多分ね」


「私と同じ“王クラス”」


「雑魚じゃ無理」


沈黙。


風が吹く。


黒い粒子が、ふわ、と舞った。


光に当たって、きらきらして見える。


綺麗だ。


――だから余計に、気持ち悪い。


「……どう動く」


ハルが言う。


「別れるか?」


即答だった。


「バカ言うな」


久我。


「精神系だぞ」


「単独行動した瞬間、終わりだ」


「固まって動く」


零も頷く。


「うん」


「これ撒いてるやつ、たぶん“遊びタイプ”」


「一人になったやつから落とす性格してる」


「絶対分断してくる」


ハルは舌打ちした。


「最悪じゃん」


「王ってのはだいたい最悪だよ」


零が肩をすくめる。


久我が前に出る。


「隊形決めるぞ」


「俺が前」


「来たら全部俺が受ける」


零が横に並ぶ。


「私が索敵」


「濃度、位置、気配、全部見る」


ハルは影を踏む。


「……俺が回収」


「ダイブで救出と奇襲」


自然に役割が決まる。


誰も反論しない。


それが一番しっくりきたから。


三人は並ぶ。


即席のチーム。


でも。


今までで一番、“戦える形”だった。


歩き出す。


粒子の濃い方へ。


一歩進むごとに、


甘ったるい匂いが強くなる。


遠くで。


ガラスが割れる音。


次の瞬間。


「――ッ!!」


影の奥から、誰かが飛び出してきた。


目が焦点を失っている。


腕に黒い血管みたいな線。


「会わせろォォォ!!」


叫びながら突っ込んでくる。


「チッ」


久我が一瞬で間合いを潰す。


腹に拳。


肺の空気を叩き出す。


男が崩れ落ちる。


「……これ、全員感染型かよ」


ハルが呟く。


零が小さく言った。


「ねぇハル」


「なに」


「たぶんさ」


少しだけ声色が低くなる。


「この王――」


「“人間を材料”だと思ってるタイプだよ」


ぞわり、と背中が粟立つ。


「……性格、最悪だな」


「うん」


零が笑う。


「たぶん私より」


その言葉が、


冗談に聞こえなかった。


三人は歩く。


黒粒子の源へ。


王の匂いのする方へ。


まるで。


向こうから「おいで」と呼ばれているみたいに。


路地の奥へ進むほど、匂いは濃くなっていった。


さっき倒した男は、もう動かない。

呼吸はしているが、意識は戻る気配がない。


壊された、というより――

置き去りにされたみたいだった。


「……おかしくねぇか」


久我が、足を止めずに言った。


ハルも同じ違和感を抱いていた。


「何が」


「襲ってくる数が少なすぎる」


拳を軽く握り直す。


「これだけ粒子撒いてんなら、もっといていいはずだ」


零が、空気に触れるように手を滑らせる。


指先の感覚だけで、世界を読んでいる。


「うん」


「濃度は上がってる」


「確実に中心に近づいてる」


「でも」


そこで言葉を切った。


ハルが横目で見る。


「でも?」


零は、少しだけ困ったように笑った。


「敵意が、薄い」


沈黙が落ちる。


「……は?」


久我が振り向く。


「敵意が薄い?」


「うん」


零は頷いた。


「普通はさ、王の領域に近づくほど、攻撃性が増すの」


「排除しようとする」


「縄張りだから」


「でも、これは違う」


指先で空をなぞる。


黒粒子が、ふわりと揺れた。


「むしろ――」


「歓迎してる」


その言葉に、ハルの心臓が一拍遅れた。


歓迎。


王が。


自分たちを。


「……罠か」


久我が呟く。


「罠っていうか」


零は首を傾げる。


「誘導、かな」


その瞬間だった。


――カラン。


どこかで、金属が揺れる音。


三人が同時に止まる。


前方。


曲がり角の先。


何も見えない。


でも。


匂いだけが、明らかに違った。


濃い。


さっきまでの“残り香”じゃない。


発生源そのものの匂い。


「……いるな」


久我が低く言う。


拳をわずかに上げる。


ハルの影が、足元で揺れる。


ダイブの準備。


零の瞳が、完全に切り替わる。


索敵の目。


そのとき。


ふわり、と。


黒粒子が、逆流した。


今まで漂っていたはずの粒子が、


まるで意志を持っているみたいに、


一点へ集まり始める。


曲がり角の向こう。


誰かが、そこに立っている。


まだ見えない。


なのに分かる。


空気が、変わった。


温度が、変わった。


重力の向きすら、変わった気がした。


零が、小さく呟く。


「……あ」


その声には、


初めて、明確な緊張が混じっていた。


「見つけた」


違う。


見つけたんじゃない。


――見つけられた。


ハルは、無意識に拳を握っていた。


心臓の音が、やけに大きい。


逃げたいわけじゃない。


でも、本能が理解している。


これは、


今までの黒とは、根本的に違う。


王。


そのとき。


角の向こうから、


ゆっくりと、


影が一歩、


こちらへ伸びた。


まるで。


「やっと来たね」


そう言われているみたいに。


黒粒子が、止まった。


いや――違う。


止まったように見えて、


すべてが、こちらを見ている。


空気そのものに、意識が宿ったみたいだった。


久我が一歩前に出る。


拳を下げない。


「……出てこい」


低い声。


威圧。


それでも。


返事は、すぐには来なかった。


代わりに。


――ふふ。


笑い声。


耳元じゃない。


背後でもない。


頭の奥。


直接、触れられたみたいな距離。


ハルの背筋が、ぞくりと震える。


「……ッ」


零の瞳が、細くなる。


「精神干渉」


小さく、警告する。


遅かった。


――来てくれた。


声は、女だった。


高い。


柔らかい。


なのに、


触れられた場所から、じわじわと熱が広がる。


――ずっと待ってたの。


甘い。


砂糖より甘いのに、


舌に残るのは、焦げたみたいな苦さ。


――ねぇ。


――どこまで来れるか、試してたの。


久我が舌打ちする。


「姿を見せろ」


即座に返す。


「隠れて喋るしかできねぇのか」


沈黙。


一秒。


二秒。


そして。


――ひどいなぁ。


少しだけ、


拗ねたみたいな声。


――ちゃんと見てるよ?


その瞬間。


ハルの視界が、揺れた。


目の前の路地。


壁。


地面。


全部そのまま。


なのに、


**“誰かに見下ろされている感覚”**だけが、はっきりとある。


上じゃない。


下でもない。


内側。


「……ッ」


ハルが歯を食いしばる。


心臓の鼓動が、速い。


理由が分からないのに、


鼓動だけが、速い。


――ああ。


声が、少し近づく。


――やっぱり、いいなぁ。


――あなた。


止まる。


ハルの呼吸が、止まる。


零が、すぐに割り込む。


「ハル、聞くな」


「遮断しろ」


「意識を――」


遅かった。


――ねぇ。


声が、優しく撫でる。


――好きだよ。


その一言で。


世界の輪郭が、わずかに滲んだ。


久我が吠える。


「ハル!!」


その声で、


意識が戻る。


ハルが、はっと息を吸う。


「……っ、くそ……」


額に、汗。


今の一瞬で、


何かを、掴まれかけた。


零が、低く言う。


「……色欲」


初めて、


明確な敵意が混じった声だった。


「王」


沈黙。


そして。


嬉しそうに、


声が笑う。


――あ。


――やっぱり、わかるんだ。


――同じ王だもんね。


黒粒子が、ふわりと舞う。


包囲するわけでもない。


触れるわけでもない。


ただ。


そこにいる。


――大丈夫。


――取らないよ。


――まだ。


その“まだ”が、


約束じゃなく、


予告だと分かる。


――もう少しだけ。


――近づいてきて。


――ね?


その瞬間。


ハルの足元の影が、


わずかに、


勝手に伸びた。


まるで。


自分の意思とは別の何かが、


前へ進もうとしているみたいに。


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