ep11.その色は毒
数日後 ― 異常発生
数日が過ぎた。
何事もなかったみたいに。
喫茶アオハラは通常営業に戻り、
コーヒーの匂いと、
くだらない会話と、
学校帰りの足音が、
また日常を作り始めていた。
鷹見はまだ店の奥で寝ている。
包帯だらけのまま、
たまに文句だけ言って、
また眠る。
「ゾンビみたいですね」
「本人に言ってみろ、葵」
「それは無理」
そんな軽口が飛ぶくらいには、
空気は戻っていた。
――戻った、はずだった。
そのニュースを見るまでは。
「……なにこれ」
火憐がスマホを覗き込む。
地方ニュース。
小さな記事。
『○○市にて集団失踪』
『住民十数名が同時に意識障害』
『原因不明、感染症の可能性』
「感染症……?」
葵が眉をひそめる。
「でもさ」
ハルが画面を奪う。
写真。
ぼやけた現場。
担架で運ばれる人影。
その肌が――
「……黒くないか?」
不自然に。
血管みたいに。
黒い筋が、皮膚に浮いている。
まるで。
黒に侵食されてるみたいに。
久我が低く言う。
「黒絡みだな」
「でも黒の出現報告は?」
「ゼロだ」
矛盾。
黒がいないのに、
人だけが壊れてる。
「能力者暴走……?」
「いや、違う気がする」
ハルの胸がざわつく。
嫌な予感。
あの夜とは別種の。
もっと、
ねっとりした気配。
「……行こう」
久我が立つ。
「現場見るぞ」
⸻
現地
街は普通だった。
人も歩いてる。
車も走ってる。
なのに。
空気が、重い。
「……臭い」
葵が呟く。
「鉄みたいな……」
血じゃない。
黒の臭いだ。
でも姿はない。
「黒がいないのに、黒の臭いだけする……?」
火憐が小声で言う。
気持ち悪い。
目に見えない。
触れられない。
なのに確実に“いる”。
それが一番怖い。
路地裏。
倒れている男。
まだ息はある。
だが。
皮膚の下を、
黒い粒みたいなものが流れている。
「……なんだこれ」
ハルが膝をつく。
触れた瞬間。
ぞわ、とした。
冷たい。
生き物みたいに、蠢いている。
「黒……?」
「いや……違う……」
言葉が出ない。
理解できない。
黒でもない。
能力でもない。
未知。
「……分からん」
久我が舌打ちする。
「なんだこれは」
全員が黙る。
誰も答えを持っていない。
そのとき。
――不意に。
ハルの視界が、ぶれた。
「……っ」
頭が、軋む。
奥から。
冷たい何かが、せり上がってくる。
「ハル?」
葵の声が遠い。
口が。
勝手に開いた。
自分の意思じゃない。
喉が、勝手に震える。
「――なるほど」
声。
自分の声なのに。
温度が、違う。
低い。
冷たい。
感情が、ゼロ。
全員が凍りつく。
ハル自身も、止められない。
「貴様らは王を探しているのか」
「……は?」
久我が眉を寄せる。
「コレは黒粒子だ」
ハルの口が、淡々と喋る。
まるで講義みたいに。
「効率的に人間を黒へ染める手法」
「感染型」
「拡散型」
「選別不要」
「……賢いな」
背筋が凍る。
その「賢い」が、
本気の称賛に聞こえた。
「人を一人ずつ喰らうより早い」
「都市単位で染められる」
「実に合理的だ」
葵が震えた声で言う。
「……ハル、やめて」
「それ、ハルじゃない……」
ゆっくりと。
ハルの首が動く。
ぎこちなく。
操り人形みたいに。
口角だけが上がる。
あの夜見た笑み。
「私は統」
「傲慢の王だ」
静かに、言い放つ。
空気が凍る。
「そしてこれは」
倒れている人間を見る。
ゴミを見るみたいな目で。
「色欲の王の仕事だな」
「精神汚染型」
「依存・侵食・増殖」
「……ああ」
わずかに、楽しそうに。
「面倒な女だ」
その瞬間。
ハルの視界が戻る。
「――っ、はぁ……!」
崩れる。
膝をつく。
「……な、に……今……」
汗が止まらない。
息が荒い。
「勝手に……喋った……」
久我が低く言う。
「……統か」
葵が唇を噛む。
「王……二人目……」
空が、やけに暗い。
昼なのに。
世界が、また一段階、
深いところに落ちた気がした。
夜は、やけに静かだった。
風もないのに、街路樹の葉が擦れる。
しゃら、しゃら、と。
誰かが、服の裾を引きずって歩くみたいな音。
「……なぁ」
ハルが足を止めた。
「気づいてるか」
「……うん」
葵も、小さく頷く。
火憐は言葉を出さない。
ただ、箒を握る手に力が入っている。
違和感は、ずっと前からあった。
黒の気配とも違う。
敵意でもない。
殺気でもない。
もっと気持ち悪い。
例えるなら――
湿気。
空気が、まとわりつく。
呼吸するたびに、
肺の奥がじっとり濡れていくみたいな感覚。
「……人、減ってない?」
火憐が呟く。
確かに。
さっきまで人通りがあった商店街が、
妙に空いている。
逃げたわけじゃない。
悲鳴もない。
争った形跡もない。
なのに。
「いない」。
まるで最初から存在しなかったみたいに。
「……黒か?」
ハルが影に手を伸ばす。
ダイブの準備。
そのとき。
葵が、小さく首を振った。
「違う」
声が、やけに冷静だった。
「黒じゃない」
「もっと……やな感じ」
ぞわり、と背中が粟立つ。
零が沈黙している。
それが一番怖い。
いつもなら、
「来るよ」とか「殺す?」とか、
何か言うはずなのに。
――何も言わない。
それはつまり。
零ですら、様子を見ている相手。
その時だった。
「……あ」
火憐が、指をさす。
路地の奥。
街灯の下。
誰か、いる。
小柄な影。
女の子、か?
俯いて、じっと立っている。
逃げもしない。
隠れもしない。
ただ、そこにいる。
「……一般人?」
「いや……」
ハルは首を振る。
違う。
違和感の“中心”が、
あそこにある。
ゆっくり、近づく。
足音がやけに響く。
コツ、コツ、コツ。
距離、十メートル。
影が、動く。
五メートル。
街灯の光が、顔を照らす。
――ツインテール。
黒とピンクのリボン。
フリルだらけの服。
やたらと可愛い。
やたらと、作られた「女の子」。
なのに。
喉が、締まる。
本能が、後退れと言っている。
「……あれ?」
少女が顔を上げる。
ぱち、と目が合う。
にこ。
笑った。
その笑顔が。
信じられないくらい、優しかった。
「迷子?」
甘い声。
鈴みたいに軽い。
「夜、危ないよ?」
距離、一歩。
近い。
近すぎる。
気づいたら。
もう、手が届く位置にいた。
(速……っ)
誰も動きを見ていない。
歩いた様子もない。
ただ。
“もうそこにいる”。
「怪我してない?」
少女が、葵の手に触れる。
ひやり。
氷じゃない。
なのに冷たい。
「……っ」
葵の呼吸が、一瞬止まる。
その瞬間。
頭の奥に、何かが流れ込んだ。
甘い匂い。
懐かしい温度。
誰かに抱きしめられてる感覚。
「大丈夫だよ」
「私がいるから」
「寂しくないよ」
脳が、勝手に安心しようとする。
まずい。
これ――
気持ちいい。
「……離れろ!」
ハルが腕を引く。
少女は抵抗しない。
ただ、首を傾げる。
「えー?」
拗ねた声。
「なんで?」
「私、なにもしてないのに」
本当に、心底、不思議そうに。
「優しくしただけだよ?」
笑う。
ふわ、と。
「……あ」
その瞬間。
ハルは気づく。
周囲の路地。
ビルの影。
電柱の下。
気づかなかっただけで。
何人もいる。
何十人も。
同じ目をした人間が。
ぼうっと立っている。
全員。
同じ表情。
同じ微笑み。
同じ方向を見ている。
――少女を。
「……依存」
久我が低く呟く。
「洗脳じゃねぇ」
「もっとタチが悪い」
少女は、くすっと笑う。
「ひどいなぁ」
「ちゃんと好きにさせてるだけなのに」
そして。
名乗るみたいに。
甘ったるい声で言った。
「はじめまして」
「色欲の王」
「魅魅だよ?」
にこ。
「ねぇ」
一歩、また近づく。
「あなたたちも、私のこと」
「好きになって?」




