ep4.メディカルノート
夜は、静かだった。
祭りの翌日。
提灯は外され、
花火の燃えカスだけが道路の隅に残っている。
街は、もう日常に戻っていた。
……はずだった。
「……っ、やめ、て……!」
細い声が、路地の奥から漏れる。
鷹見の足が止まる。
考えるより先に、
体が動いていた。
「……ちっ」
舌打ち。
「ほんと、性分だな」
角を曲がる。
黒が三体。
犬みたいな子因子。
そして。
腰を抜かした女子高生。
足首を切ってる。
血が出てる。
逃げられない。
「……あーあ」
鷹見はコートを脱いだ。
「運が悪かったな、嬢ちゃん」
黒が振り向く。
次の瞬間。
一体の首が、消えた。
音が遅れて追いつく。
鷹見の蹴り。
ただの蹴り。
能力じゃない。
純粋な暴力。
「動くな」
低い声。
「三十秒で終わる」
黒が飛びかかる。
腕を掠める。
裂ける音。
血が滲む。
でも止まらない。
踏み込み。
拳。
叩き潰す。
子因子が砕ける。
残り一体。
少女に迫る。
「……させるかよ」
無理な体勢で割り込む。
背中に爪。
深く抉られる。
「……っぐ」
それでも。
腕を掴み、
コンクリに叩きつけた。
鈍い音。
沈黙。
終わり。
静かになる。
少女が震えている。
「……だ、大丈夫ですか」
「俺はな」
鷹見は苦笑する。
「お前は?」
少女は足を押さえる。
出血がひどい。
「……歩け、ない……」
「だろうな」
鷹見はしゃがんだ。
ポケットから、古びた手帳を取り出す。
黒いカバー。
何の変哲もないノート。
開く。
ページに、赤い線が走る。
【バフ:転写】
鷹見の足首に、ナイフで浅く切れ込みを入れる。
同時に。
少女の傷が、すっと消えた。
血も止まる。
「……え?」
「立て」
「……え、でも」
「いいから」
少女が立つ。
普通に歩ける。
「……な、なにそれ……」
「医療だよ」
軽く笑う。
「俺がちょっと痛いだけだ」
鷹見の足首から、血が滲んでいた。
背中も腕も、ボロボロ。
「家まで送る」
「……ありがとう、ございます……!」
少女は何度も頭を下げる。
鷹見は目を逸らす。
「……礼はいらん」
ぽつり。
「ガキが無事なら、それでいい」
夜風が吹く。
少し冷たい。
傷口がじんじんする。
でも。
悪くない痛みだった。
「……あーあ」
空を見上げる。
「やっぱ向いてねぇな、俺」
「命令される側」
小さく笑う。
「守る側の方が、性に合ってる」
⸻
■ 翌朝 ―― 喫茶アオハラ
「……鷹見さん、それ」
火憐が最初に気づいた。
「その包帯、どうしたの?」
「ん?」
鷹見はコーヒー豆を挽きながら答える。
「あー、ちょっと転んだ」
「絶対嘘だろ」
ハル即ツッコミ。
「転んで背中まで怪我しねぇよ」
葵がそっと覗き込む。
「……血、滲んでる」
「気にすんな」
「気にするよ!」
珍しく火憐が声を荒げる。
「何があったの!」
一瞬、沈黙。
鷹見は、少しだけ困った顔をした。
それから。
ぽつり。
「……ガキ助けただけだよ」
「え?」
「黒三匹」
「は?」
「それだけ」
当たり前みたいに言う。
武勇伝でも、誇りでもない。
ただの報告。
それが。
逆に重い。
ハルが、ぽつりと呟く。
「……やっぱこの人、バケモンだろ」
「違う」
鷹見は即否定。
「ただの大人だ」
カップを置く。
優しく。
「子供守んのが仕事だろ」
その言葉が。
店の中に、静かに落ちた。
葵が小さく笑う。
「……じゃあ、店長だね」
「は?」
「うちの」
一瞬の沈黙。
火憐が吹き出す。
「それいいじゃん」
ハルも笑う。
「決まりだな、店長」
鷹見は頭を掻いた。
「……勝手に決めんなガキども」
でも。
その声は、少しだけ柔らかかった。
窓の外。
朝日が差し込む。
喫茶アオハラは、今日も静かに始まる。
もう。
鷹見朗にとって。
ここが、帰る場所だった。
_____
夜風が、鉄の匂いを運んでいた。
焦げたアスファルト。
割れた窓ガラス。
街灯の下に、倒れている影。
「……っ、隊長……!」
若い声が震える。
鷹見は走らなかった。
歩いて近づいた。
慌てない。
焦らない。
現場では、冷静さがすべてだと、
昔から叩き込まれてきた。
倒れているのは、能力者の青年だった。
まだ十代だろう。
胸を押さえ、苦しそうに呼吸している。
「……黒、じゃ……ない……」
「急に、体が……」
痙攣。
皮膚の下で、何かが蠢く。
血管に沿って、黒い筋が走る。
「……因子反応……?」
近くにいた対黒局の残党が呟く。
「そんな……埋め込み型なんて、聞いてな――」
「下がれ」
鷹見が言った。
短く。
命令の声。
全員が反射的に距離を取る。
鷹見は膝をつき、
青年の胸に手を当てた。
脈はある。
だが。
――中に“異物”がある。
人のものじゃない。
黒だ。
無理やり、ねじ込まれた黒。
「……実験かよ」
ぽつりと漏れる。
怒鳴らない。
ただ、低い。
メディカルノート。
能力が発動する。
自分の体が、紙みたいに「媒体」になる感覚。
青年の損傷が、鷹見の体へ移る。
肺の痛み。
焼けるような苦しさ。
血が逆流する。
「……っ、ぐ……!」
吐きそうになるのを、飲み込む。
だが青年の呼吸は、安定していく。
代わりに。
鷹見の胸が、焼ける。
「……これで、いい」
小さく呟く。
だが。
問題は治癒じゃない。
原因だ。
黒因子。
こんな技術。
こんな非道。
こんな「人間の使い方」。
鷹見は、知っている。
嫌というほど、知っている。
昔。
対黒局にいた頃。
「効率化」の名の下で。
「管理」の名の下で。
人が、道具にされた光景。
机の上の資料。
数字になった命。
“成功率”という単語。
そして。
あの会議室。
あの男。
感情のない目。
「資産は管理されて初めて価値がある」
「野放しは損失だ」
あの声が、脳裏に蘇る。
「……統」
自然に、名前が出た。
確信だった。
こんな真似を、
理屈で正当化できる人間は。
あいつしかいない。
「……またか」
小さく笑った。
自嘲だった。
「まだやってんのかよ……」
拳が、ゆっくり握られる。
怒鳴らない。
殴らない。
でも。
胸の奥で、何かが音を立てて切れた。
部下二人の顔が浮かぶ。
あの日の、血。
守れなかった背中。
全部、繋がる。
「……俺は」
声が、低く落ちる。
「人を守る側だ」
一歩、立ち上がる。
胸は痛む。
呼吸も浅い。
それでも。
視線だけが、鋭い。
「……あいつだけは」
静かに。
静かに。
断言する。
「絶対に、許さない」
それは怒りじゃない。
復讐でもない。
もっと冷たい。
処理。
排除。
決定。
“敵”と認定した瞬間だった。
遠くで、無線が鳴る。
「……統が動いた」
「本部から直接出向くとの――」
鷹見は振り向かない。
ただ一言。
「ちょうどいい」
そして歩き出す。
止めるために。
終わらせるために。
今度こそ。
自分の手で。




