-第31章- プランA
西側の路地は、祭りの音から完全に切り離されていた。
花火の反響は建物に吸われ、
残るのは、足音と呼吸音だけ。
「神木くん、ストップ」
呼び止められ、ハルは反射的に足を止めた。
街灯の下に立つ男――
喫茶アオハラのマスター、青原。
その背後に、二人の少年がいる。
時矢。
そして、火野亜蓮。
「……なんで」
火憐の声が、掠れた。
理由も説明も追いつかないまま、
ただ目の前の現実だけが突きつけられている。
「ごめん、姉ちゃん」
亜蓮が一歩前に出る。
落ち着きすぎている声だった。
「今は、止まって」
「止まってる場合じゃ――」
「今はアマ姉が仕事中だから」
時矢が、淡々と告げる。
“仕事”。
その一言で、
ここが感情の再会ではないと、全員が理解した。
ハルが一歩前に出る。
「青原さん。説明してください」
青原はすぐには答えなかった。
視線を路地の奥へ向ける。
――まだだ。
零は完全には出きっていない。
須川と、あの場は、まだ動いている。
(だから、ここで時間を作る)
最初から、プランAしかなかった。
久我の強さも。
須川の判断力も。
零の“圧”も。
全部、計算済みだ。
「……久我さん」
青原が視線を戻す。
少し離れた位置に立つ男。
久我は、腕を組んだまま黙っていた。
「あなたがここに来ることも、想定内です」
久我の眉が、わずかに動く。
「ほう」
「今夜、あなたに頼みたいのは一つだけ」
青原は、はっきり言った。
「“話す時間”をください」
「……誰のだ」
「彼らの」
青原の視線が、一人ずつをなぞる。
ハル。
火憐。
時矢。
「それぞれが、
それぞれに“話すべき相手”と」
久我は鼻で笑う。
「その代わりに?」
「須川さんと、僕が話します」
その瞬間、空気が変わった。
久我の視線が鋭くなる。
「……条件交渉か」
「いえ」
青原は否定する。
「これは“交換”です」
沈黙。
久我は一歩、前に出た。
「信用しろと?」
「今は、それしかありません」
青原の声は、静かだった。
(久我は引かない。
だから――止める)
次の瞬間。
久我が踏み込んだ。
速い。
音が遅れて追いつくほど。
だが――
青原は、すでに動いていた。
空気の色が、わずかに変わる。
青空システム。
夜空が晴れたわけじゃない。
ただ、“可能性”の密度が変わる。
青原の手に、剣が現れる。
借り物の能力。
ソードマスター。
剣と拳がぶつかる。
金属音が夜に跳ね、
衝撃が腕を通して骨まで響いた。
(……やはり、パワーは上)
久我の一撃は重い。
純粋な肉体の完成度。
青原は距離を取る。
次の瞬間、
手元の武器が変わった。
銃。
美波の能力――
ガンマイスター。
発砲。
牽制。
久我が身を翻し、距離を詰め直す。
「器用だな」
「これが僕の能力なんで」
青原は淡々と返す。
「やれることは、やるさ」
剣。
銃。
距離と間合いを切り替えながら、
あくまで“足止め”に徹する。
殺さない。
倒さない。
――時間を作る。
そのとき。
足音が、路地に戻ってきた。
「……ダメだった」
息を切らしながら現れたのは、星崎アマネ。
その表情だけで、結果は分かった。
零の圧。
近づくことすら、できなかった。
青原は、内心で頷く。
(だから、プランAだ)
青原は銃を下ろし、一歩引いた。
「久我さん」
声を張る。
「時間をください」
「神木くんには、アマネを」
「火野さんには、亜蓮を」
「そして――」
視線を、時矢へ。
「あなたには、彼を」
久我は、青原を睨んだまま動かなかった。
数秒。
永遠のように長い沈黙。
そして――
「……いいだろう」
低く、久我が言った。
「今夜だけだ」
拳を下ろす。
「話は、後だ」
それだけ言って、久我は一歩退いた。
青原は、静かに息を吐く。
――時間は、作れた。
理由も、答えも、
この場では交わさない。
交わすのは、
それぞれが向き合うための“余白”だけ。
夜祭りの喧騒が、
少しずつ、路地へ戻ってくる。
物語は、まだ分岐の途中だった。
久我が一歩、引いた。
それだけで、路地に張りつめていた圧が、わずかに緩む。
勝敗はついていない。
ただ――今は、殴り合う理由が消えた。
久我は低く言い切る。
「条件は守れ。
話す“時間”だけだ」
青原は短く頷いた。
「十分です」
久我はそれ以上言わず、インカムに指をかける。
操作は迷いがない。
「こちら久我。第二班」
一拍。
『美波だよ。対象は拘束完了』
その直後、
通信に別の声が割り込んだ。
『……ねぇ』
どこか間の抜けた、けれど張りつめた声。
『そろそろ離してもらえないかな……』
一瞬、誰も言葉を挟まない。
『仕事があるんだけど。
さっきからインカムで怒られてるんですけど』
須川健の声だった。
苛立ちよりも、困惑が勝っている。
逃げようともしない。
状況を把握しようともしない。
ただ、
現場を“仕事”として処理している声。
久我は短く息を吐いた。
「須川」
『はいはい、須川です』
「動くな。今からそっちに行く」
『……了解。
あの、撃たれたりはしないよね?』
「しない」
『それは助かる』
通信が切れる。
久我は、何事もなかったかのように続けた。
「須川を連れて来い」
『了解』
再び、通信が途切れる。
その一連を、青原は黙って見ていた。
自分から、インカムには触れない。
「……段取りがいいですね」
青原が言う。
「時間を作るって言っただろ」
久我は視線を逸らしたまま答える。
「作るなら、俺がやる」
それから、時矢の方を見る。
「来い」
命令ではない。
だが、拒める響きでもない。
美波が一歩、前に出る。
「話、聞かせて」
その声は柔らかい。
けれど、視線は逸らさない。
「今すぐ答えなくていい。
でも――逃げられると思わないで」
時矢は、青原を見る。
判断を仰ぐ目。
青原は、はっきりと頷いた。
「行っておいで」
「……でも」
「大丈夫だ」
青原は、静かに言った。
「今夜は、
奪うための夜じゃない」
時矢は小さく息を吸い、久我と美波の後を追った。
三人の足音が、路地の奥へ消えていく。
残されたのは、青原、ハル、火憐、亜蓮。
そして――
まだ終わっていない夜。
ハルは、アマネを見た。
言葉が、出ない。
「……ハル」
先に、アマネが口を開く。
「時間、もらったよ」
それは、
“話していい”という合図だった。
火憐も、亜蓮と向き合う。
弟は、気まずそうに視線を逸らし、それでも言った。
「……久しぶり」
「ほんとだよ」
火憐は笑えなかったが、背は向けなかった。
青原は、一歩引いた場所でその光景を見守る。
――これでいい。
今夜は、
戦うために奪った夜じゃない。
話すために、久我が奪った夜だ。
遠くで、花火が一発、上がる。
合図のように、
それぞれの時間が、静かに動き始めた。




