-第30章- ガンマイスター
階段を駆け上がる足音が、かすかに届いていた。
軽い。
急いではいるが、焦ってはいない。
——誰だ。
ホークアイ――須川健は、銃を構えたまま呼吸を落とす。
視線の先、路地の向こうでは、腕章を持たない者たちが対峙していた。
三人。
配置、距離、動き。
「……どういう状況だ」
呟きは、誰にも届かない。
だが、思考の半分はすでに背後へ割いていた。
階段の音が、近い。
振り返った瞬間、視界が埋まる。
無数の氷柱。
空気ごと凍らせたような、鋭い角度。
すべてが、こちらを向いている。
——多いな。
だが、恐怖はない。
「……所詮、氷だ」
引き金にかけた指を、あえて緩める。
撃ち落とす必要はない。
氷は脆い。
触れれば、砕ける。
銃身で弾き、身を捌く。
氷柱が割れ、砕け、視界を遮る。
その数秒。
——来る。
予感と同時に、
魔法使いの背後から、一つの影が飛び出した。
少女。
片手に、ハンドガン。
「……さっきのか」
反射的に狙いをつける。
スナイパーとして、違和感を覚える。
——軽い。
引き金を引いた音が、あまりにも軽すぎた。
何を撃った?
弾道を読むより先に、直感が告げる。
——こいつは、外す。
急所を狙わない。
殺さない撃ち方だ。
その瞬間。
額に、何かが当たった。
衝撃は小さい。
だが、確かに痛い。
「……っ」
次の瞬間、
手と足に、異変が走る。
凍る。
感覚が、急速に奪われていく。
「……なるほど」
理解した時には、もう遅かった。
少女が、銃をこちらへ向けている。
距離は、十分すぎるほど近い。
「チェックメイト」
淡々とした声。
——くそ。
見えていたはずだった。
動きも、意図も。
それなのに。
少女は、躊躇なく引き金を引いた。
ぱしっ。
音は、拍子抜けするほど間抜けだった。
「……冷たい」
思わず、そう漏れる。
「さっきから何撃ってんだ、お前は?!」
苛立ちを隠さず叫ぶと、
少女は首を傾げた。
「これは水鉄砲」
間髪入れず、続く。
「さっきのはエアガン」
言葉が、喉で止まる。
——それに、負けたのか。
視線が、自然と夜空へ向かう。
月が、やけに綺麗だった。
「……完敗だ」
それは言い訳でも、負け惜しみでもない。
ただの、事実だった。
階段の踊り場で、須川は呼吸を整えていた。
逃げる、という選択肢は最初からなかった。
それは判断ではなく、理解だった。
――動けない。
視界の先。
瓦礫の影で、魔法使いと少女が並んでいる。
魔法使いが、少女の頭に手を置いた。
「ヨシヨシ。よくやった」
その仕草は、あまりにも自然で、
戦場の光景としては歪んでいた。
撫でられた少女は、誇らしげに笑う。
撃ったことを、勝ったことを、疑いもせずに喜んでいる。
須川は、銃を構え直そうとした。
だが――
腕が、言うことをきかない。
寒気ではない。
恐怖とも、少し違う。
圧だ。
視線を向けられていない。
敵意も、殺意も感じない。
それでも、
一歩踏み出せば“壊れる”と、本能が叫んでいた。
――近づくな。
空気そのものが、そう命じている。
そのときだった。
背後――
正確には、さらに離れた位置から、視線を感じた。
一つではない。
だが、数でもない。
「……来る気か」
須川は、低く呟く。
その視線は、こちらではなく、
魔法使いの方を見ていた。
接触を図ろうとしている。
だが、距離を詰められない。
須川と同じだ。
いや――
須川よりも、はっきり拒絶されている。
魔法使いが、ふと顔を上げる。
須川ではない。
視線の主でもない。
“場”を見た、という動きだった。
何も言わない。
何も示さない。
それだけで、
空気がさらに重く沈む。
「……冗談じゃない」
須川は、歯を食いしばる。
撃てない。
動けない。
退くことすら許されない。
これは包囲ではない。
制圧でもない。
――支配だ。
少女が、須川の方を見た。
興味深そうに、首を傾げる。
その視線が向いた瞬間、
須川は確信した。
ここは、もう“戦場”じゃない。
夜空で、花火が弾けた。
光が落ち、影が揺れる。
その中心で、
魔法使いだけが、微動だにしなかった。
須川は、引き金に指をかけたまま、
動けずにいた。
逃げていない。
逃げられない。
そして――
終わっていない。




