-第26章- 意思
ドアベルが鳴った。
乾いた音だった。
いつもの客が入ってくる時より、少しだけ短く、迷いがない。
ハルは反射的に顔を上げる。
立っていたのは、久我だった。
昨日と同じ服装。
同じ無表情。
違うのは、目だけだった。
「……また来た」
火憐が小さく言う。
「邪魔か」
久我はそう言いながら、勝手知ったるようにカウンターへ向かう。
客は少ない。
それでも、店の空気が一段、引き締まったのが分かった。
「今日は飲まない」
席に腰を下ろす前に、久我は言った。
「話をしに来た」
ハルは、視線を逸らさなかった。
「……昨日の続き?」
「そうだ」
久我は椅子に座らず、立ったまま店内を一度見回す。
豆の袋。
カップ。
窓の外で揺れる提灯。
「夜祭りが始まる」
確認するような口調だった。
「始まる前に、線を引いておきたい」
「線?」
火憐が眉を上げる。
「どこまで手を出すか、だ」
その言葉に、葵がわずかに肩を強張らせた。
久我はそれを見逃さない。
「勘違いするな」
久我は、ゆっくりと言った。
「俺は、お前らを捕まえに来たわけじゃない」
「でも、狩りの人でしょ」
ハルが言う。
「能力者狩」
久我は否定しなかった。
「ああ。そう呼ばれてる」
一拍、間を置く。
「だからこそだ」
久我は、ハルを見る。
「今夜は、黒だけじゃない」
「……能力者も、か」
「非所属は、狙われる」
その言葉に、店内の空気が一瞬、冷えた。
「対黒局も、自警団も、
“捕獲”の部隊を出す」
「捕獲、ね」
火憐が鼻で笑う。
「言い方変えただけで、やってること同じじゃん」
「違う」
久我は即座に返した。
「殺さない。
だからこそ、逃げ場がなくなる」
ハルは、拳を握った。
「……それでも行く」
「分かってる」
久我は、視線を外さない。
「だから確認に来た」
一歩、カウンターに近づく。
「目的は何だ」
ハルは、少しだけ息を吸った。
「探してる人がいる」
「誰だ」
「青原さんと……星崎アマネ」
名前を出した瞬間、
葵の指が、布巾を強く握りしめた。
久我は、その反応も見ている。
「指名手配中だ」
「……知ってる」
ハルは頷く。
「理由は、はっきりしてない」
「十分だ」
久我は言った。
「今夜、お前らが動く理由としては」
沈黙。
外で、試験点灯された提灯が一つ、灯る。
「協力はする」
久我は続けた。
「だが条件がある」
「俺たちも、だ」
ハルは即座に返した。
「捕まる気はない」
久我の口元が、わずかに歪んだ。
「同じだな」
「……え?」
「俺もだ」
その一言で、場の空気が変わる。
「今夜、俺たちは
“どこにも属さない”」
久我はそう言って、背を向けた。
「夜になったら、また来る」
ドアベルが鳴る。
外に出る直前、久我は振り返らずに言った。
「準備しとけ」
「祭りは、静かじゃ終わらない」
ドアが閉まり、
店内には、コーヒーの香りだけが残った。
誰も、すぐには口を開かなかった。
窓の外で、提灯がまた一つ、吊られていく。
夜は、もう逃げ場を残していなかった。
店の外が、少しずつ暗くなっていく。
提灯の明かりが、一本ずつ確かめるように灯っていく。
昼と夜の境目が、曖昧になる時間だった。
ハルは、店の裏口に出ていた。
通りから外れた場所。
誰もいない。
風が吹いて、紙くずが転がる。
それだけで、やけに音が大きく感じた。
——逃げる、って選択肢はない。
頭では分かっている。
でも、胸の奥がざわつく。
「……俺、何やってんだろ」
誰に聞かせるでもなく、呟いた。
黒を倒してきた。
力も、増えた。
でも、それは前に進んだ証じゃない。
「探してるだけだ」
自分に言い聞かせる。
青原。
星崎アマネ。
名前を思い浮かべるたび、
何かが欠けている感覚だけが、強くなる。
「……借りるつもりはない」
ハルは、拳を握った。
黒の力を、欲しいと思ったことはある。
楽になるからだ。
速いし、強い。
でも。
「使うなら、自分の意思だ」
言葉にして、ようやく腹に落ちる。
誰かに押されて進む夜じゃない。
選んで立つ夜だ。
背後で、足音がした。
振り向くと、そこには美波がいた。
いつからいたのか分からない。
相変わらず、距離の取り方がうまい。
「……緊張してる?」
からかうでもなく、素直な声。
「まあ、な」
「そっか」
それだけ言って、美波は並ぶ。
二人で、提灯を見る。
「夜祭りってさ」
美波が言う。
「楽しいもの、だと思ってた」
「俺も」
「でも今日は違う」
ハルは頷いた。
「うん。違う」
沈黙。
それでも、不思議と重くはなかった。
「大丈夫だよ」
美波が、ぽつりと言った。
「久我さんもいるし」
「……それだけじゃないだろ」
「ばれた?」
小さく笑う。
「ハルがいるから」
その言葉に、胸が少しだけ熱くなる。
「守るとか、守らないとかじゃなくて」
美波は続ける。
「ちゃんと立ってる人、嫌いじゃない」
ハルは、答えなかった。
でも、視線は逸らさなかった。
店の中から、火憐の声が聞こえる。
葵の足音も。
戻る時間だ。
「行こう」
ハルは言った。
夜は、もうすぐだ。




