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パレット  作者: 青原朔
21/36

-第21章- 深淵をのぞく時

鷹見朗 ―― 公式命令


通知音は、

いつもと同じだった。


特別でも、緊急でもない。

だからこそ、

胸の奥が嫌に冷えた。


【対黒局・上層指令】

【対象:第七ブロック事案】

【責任者:鷹見朗】


端末を開く。


文章は短い。

感情の入り込む余地がない。


現場判断における裁量の逸脱を確認。

今後、同様の事案においては

事前承認を必須とする。


ここまでは、想定内だ。


問題は、その次。


未所属能力者との接触記録について、

詳細な行動報告を求める。

対象は“処理候補”として再評価予定。


——処理。


言葉が、

はっきりとそこにあった。


捕獲でも、管理でもない。

処理。


鷹見は、

しばらく画面を見つめていた。


指が、動かない。


——来たか。


いずれ来ると分かっていた。

だが、

思ったより早い。


統の顔が浮かぶ。


あの穏やかな声。

合理性だけで組まれた論理。


人は、正しさに耐えられませんから。


「……耐えられないのは、そっちだろ」


独り言が、

乾いた室内に落ちる。


報告書のテンプレートが、

自動で開く。


項目が並ぶ。

•接触の有無

•意思疎通の可否

•感情影響の兆候

•黒因子汚染率(推定)


どれも、

あの夜を“材料”に変える質問だ。


鷹見は、

一つ目の項目で止まった。


【接触の有無】


——あった。


だが。


それを書いた瞬間、

少年は“処理候補”になる。


書かなければ、

自分が違反者になる。


「……選択肢がないって顔だな」


誰に向けた言葉でもない。


鷹見は、

深く息を吸った。


そして、

項目を一つずつ、埋めていく。


ただし。


事実を、

全部は書かない。


意思疎通——限定的

感情影響——未確認

汚染率——評価不能


嘘ではない。

だが、

真実でもない。


最後の項目。


【今後の対応方針】


指が、止まる。


——ここに何を書くかで、

——全部決まる。


鷹見は、

ゆっくりと文字を打った。


現時点では、

即時処理は非推奨。

対象は未成熟であり、

環境要因による変動が大きい。


継続観測を提案する。


送信。


端末が、

静かに処理を終える。


取り消しは、

もうできない。


——これで、

——俺も“管理対象”だ。


奇妙な安堵が、

胸に広がる。


逃げなかった。

選んだ。


それだけで、

今日は十分だ。


鷹見は、

椅子にもたれた。


この命令が、

次に何を呼ぶかは分からない。


だが、

一つだけ確信している。


——もう、

——あの少年を

——引き金にかける側には戻れない。


夜の向こうで、

何かが、確実に動き出していた。


それが、

破滅でも、救いでも。


もう、

見なかったふりはできなかった。


_______


昼の街は、相変わらず平穏だった。


サイレンは鳴らない。

黒も出ない。

人は、普通に歩いている。


それが、

どこかおかしく感じるようになってきた。


「……静かだな」


ハルは、無意識に呟いていた。


喫茶アオハラの前を通る。

いつもの匂い。

いつもの音。


なのに。


扉を開けた瞬間、

会話が、ほんの一拍だけ遅れた。


「……いらっしゃい」


青原の声は、変わらない。

けれど、

視線が一度、ハルの影に落ちる。


それだけ。


何も言われていない。

何もされていない。


それでも、

胸の奥がざわつく。


——見られている。


理由のない感覚じゃない。


「ハル」


火憐が、

カウンター越しに手を振る。


「今日、学校どうだった?」


「……普通」


答えながら、

自分で引っかかる。


普通、とは何だ?


授業。

雑談。

笑い声。


全部、あった。


でも、

距離があった。


席の周りが、

少しだけ広い。


視線が、

必要以上に外れる。


「……あれ?」


葵が、首を傾げる。


「なんか、今日さ」


「空気、変じゃない?」


ハルは、

頷かなかった。


でも、否定もしなかった。


——感じているのは、自分だけじゃない。


「……気のせいだよ」


そう言って、

カップに手を伸ばす。


指先が、

一瞬だけ冷えた。


影が、

勝手に揺れる。


「……やめろ」


小さく言うと、

影は大人しくなる。


従う。


そのことが、

怖かった。


「ハル?」


青原が、

静かに声をかける。


「最近、夜に動きすぎだ」


責める口調じゃない。

確認でもない。


忠告だ。


「……分かってる」


即答。


嘘じゃない。

自覚はある。


「でも」


言葉が、続かない。


——止まれない。


理由を言語化する前に、

青原が続けた。


「対黒局が、動いてる」


空気が、変わる。


「未所属の能力者を、

 “把握”し始めた」


葵が、

わずかに肩を強張らせる。


火憐が、

視線を伏せる。


「……捕まる?」


ハルが聞く。


青原は、

一瞬だけ間を置いた。


「まだ、だ」


その“まだ”が、

一番重かった。


「でも」


青原は、

ハルを見る。


まっすぐに。


「お前は、

 もう“普通の未所属”じゃない」


その言葉が、

胸に落ちる。


——違う。


否定したい。

でも。


「……俺、

 何かしたか?」


青原は、

すぐには答えなかった。


代わりに、

カップを置く。


「したよ」


静かな声。


「生き残った」


ハルは、

笑えなかった。


それは、

誇りでも、罪でもない。


ただ、

選ばれたという事実。


店の外で、

誰かが足を止める音がした。


視線が、

一瞬だけ、扉に集まる。


通り過ぎる。


それだけ。


それなのに。


ハルの背中に、

冷たい汗が滲んだ。


——来る。


まだ、捕まらない。

まだ、照らされない。


でも。


世界はもう、

距離を測り始めている。


影が、

静かに、長く伸びた。


それは、

夜を待っているみたいだった。


夕方になると、

胸の奥が静かになる。


理由は分からない。

分からないのに、

それが嫌だった。


窓の外は、まだ明るい。

人の声もある。

車の音も、生活の匂いも。


全部、ちゃんとある。


「……今日は、出ない」


独り言は、

何度目か分からない。


昨日も言った。

一昨日も。


影は、

何も答えない。


それが、

逆に落ち着いた。


時計を見る。

まだ、サイレンまで時間がある。


——まだ。


その言葉が、

頭の中に引っかかる。


「……待ってるみたいだな」


誰にともなく言って、

自分で気づく。


夜を。

黒を。

あの静けさを。


気づいた瞬間、

喉の奥がひりついた。


——違う。


待ってるんじゃない。

備えてるだけだ。


そう言い聞かせる。


影が、

ゆっくりと伸びる。


夕陽のせいだ。

ただの、光の角度。


それなのに。


「……戻れる」


声に出す。


「まだ、戻れる」


影は、

否定しない。


肯定もしない。


それが、

一番怖かった。


玄関の鍵を、

確かめる。


閉まっている。

今日は、出ない。


そう決めたはずなのに、

耳が外の音を拾っている。


遠くで、

誰かがドアを閉める音。


笑い声。


日常。


その中に、

自分がいない気がした。


時計を見る。


また、見てしまった。


——まだ。


胸の奥で、

小さな衝動が動く。


零じゃない。

声でもない。


もっと手前の、

自分自身。


「……夜が来るだけだ」


そう言って、

ソファに背を預ける。


目を閉じる。



______


会議室へ向かう廊下は、やけに明るかった。


白い照明。

磨かれた床。

規則正しく貼られた注意喚起のポスター。


すべてが「正しい組織」の顔をしている。


——それなのに。


鷹見朗は、胸の奥に残る違和感を振り払えずにいた。


夜の現場。

人型の黒。

報告書には残らない、判断の空白。


そして何より。


統という男の存在。


理路整然としていて、冷静で、非情。

だがどこか、人間の感情を「理解しているふり」をしている。


理解しているのではない。

知っているだけだ。


それが、鷹見にはどうしても引っかかっていた。


ポケットの中で、小型カメラの感触を確かめる。

違反行為だ。

処分対象になる可能性もある。


それでも、必要だった。


——もしも、あれが本当に“黒”なら。


疑うだけでは足りない。

確かめなければならない。


鷹見は、会議室の前で足を止めた。


部下が一人、控えている。

ジャッチ能力を持つ、若い隊員。


視線が合う。


「……準備は」


「いつでも」


短い返答。

余計な感情はない。


それでいい。


扉が開く。


会議室には、すでに幹部たちが揃っていた。

中央に、統。


いつも通りの穏やかな表情。

いつも通りの落ち着いた姿勢。


何も知らない顔。


——本当に、何も知らないのか。


会議が始まる。


被害状況。

出動記録。

能力者の消耗率。


数字が並ぶ。

言葉が流れる。


鷹見は、統から目を離さなかった。


瞬きの回数。

間の取り方。

誰かが感情的になったときの、わずかな口角。


——人間を、上から見ている。


そう思った瞬間、

鷹見はポケットの中でスイッチを入れた。


小型カメラが、静かに起動する。


部下の耳元に、インカム。


「……確認を」


一瞬の沈黙。


会議は続いている。

誰も、気づかない。


数秒後、インカムに声が返る。


【間違いありません】


呼吸が、止まる。


【S級、人型】


統が、書類をめくる音。


【傲慢の黒です】


世界が、静かに歪んだ。


それでも。


会議室は何事もなかったように進む。


統は淡々と指示を出し、

幹部たちは頷き、

誰一人として、異常を口にしない。


——なぜだ。


なぜ、誰も気づかない。

なぜ、ここまで来て何も起きない。


会議は、問題なく終了した。


椅子が引かれ、人が立ち上がる。

雑談すら交わされる。


統は、鷹見に一瞥もくれず、

静かに会議室を後にした。


まるで——

すべて把握した上で、許容しているかのように。


扉が閉まる。


鷹見は、ようやく息を吐いた。


「……やっぱり、か」


部下が、声を潜める。


「どうしますか」


問いは重い。

だが、答えはまだ出ない。


その夜、鷹見は上官を訪ねた。


「もし仮に」


静かな執務室で、言葉を選ぶ。


「組織の中に、完全な人型の黒が潜入していたとしたら。

 どう判断されますか」


上官は、即座に首を振った。


「そんな事態、あるわけがない」


即答だった。


「仮定の話です。もし、仮に——」


「仮にそうだとしてもだ」


上官は、椅子に深く腰掛ける。


「我々は上に従う。

 君たちは命令通り、黒を狩ればいい」


「……全員を、ジャッチさせますか?」


一瞬の沈黙。


だが返ってきたのは、冷たい言葉だった。


「そこまで疑う必要はない。

 組織を疑う行為の方が、よほど危険だ」


会話は、それで終わった。


廊下に出た鷹見は、壁に背を預ける。


疑念は、晴れなかった。


晴れるどころか、

居場所が無くなったという感覚だけが残った。


その頃。


統は、すでに知っていた。


カメラの存在も。

ジャッチの結果も。

鷹見の迷いも。


そして、静かに結論を下す。


——消す必要がある。


誰をか。


それは、まだ言葉にならない。


______


書類の山は、減っていなかった。


減らしているはずなのに、

机の上は、朝と変わらない。


「……おかしいな」


独り言は、誰にも届かない。


対黒局のフロアは、静かだった。

仕事がないわけじゃない。

ただ、皆が“待っている”。


次の命令を。

次の判断を。


その中心に、自分がいる。


端末が震えた。


【次期夜間対応班 指揮官指名】

【対象:鷹見朗】


短い通知。

説明も、理由もない。


——指名。


鷹見は、画面を閉じなかった。

閉じられなかった。


栄誉だ。

信頼だ。

そう言われる立場だ。


でも。


「……逃げ道、塞いできたな」


椅子に深く腰を下ろす。


これは昇進じゃない。

配置換えでもない。


逃がさない、という意思表示だ。


周囲の視線が、少しずつ集まる。

期待。

安堵。

そして、無言の圧。


——あなたが決めてくれ。


そう言われている。


鷹見は、ライトを手に取った。


人か、黒かを分ける光。


握ると、

やけに軽い。


「……これで、全部決めろってか」


決められるわけがない。


あの夜を見た。

氷の向こうで、

少年と黒が話していた。


あれを、

照らせばいい?


白と黒に、

分けられる?


「……できるわけないだろ」


ライトを置く。


代わりに、

胸元のバッジに触れた。


対黒局。

守るための組織。


でも今は、

守る順番を決める場所だ。


端末が、もう一度震える。


【夜間対応:本日】

【指揮開始:日没後】


——今日、か。


息を吐く。


逃げるなら、

今しかない。


でも。


「……逃げたら、誰が残る」


自分に言い聞かせるように、

呟く。


守りたいものは、

まだある。


守り方を、

間違えたくないだけだ。


鷹見は、立ち上がった。


書類を揃え、

端末を持ち、

ライトを腰に下げる。


廊下を歩く足音が、

やけに大きく響く。


窓の外を見る。


空は、

少しずつ色を失っていた。


——夜が来る。


止められない。


それでも。


「……指揮、取ります」


自分の声は、

思ったより静かだった。


夜は、

もうすぐそこまで来ている。



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