-第18章- 対応
サイレンが鳴るまで、あと十分。
神木ハルは、街灯の影に立っていた。
夜に備える、というよりも、もう夜の一部になりつつある感覚に近い。
風は冷たい。
それなのに、寒さは感じなかった。
「……来るな」
独り言のように呟いた直後、
路地の奥で気配が歪む。
黒。
以前なら、数や動きを確認していた。
火憐や葵の位置を確かめて、合図を待っていた。
でも今は違う。
ハルは、一歩踏み出した。
影が、足元から自然に伸びる。
命令したわけでも、意識したわけでもない。
ただ、そうなるのが当然みたいに。
ダイブ。
次の瞬間、視界が切り替わる。
黒のすぐ背後。
迷いはない。
躊躇もない。
触れた影が、黒を包み込む。
抵抗はあった。
けれど、それは「強さ」じゃなかった。
遅れただけだ。
黒が、ほどける。
取り込まれる感覚は、もう痛みを伴わない。
代わりに、胸の奥が静かに満たされる。
——足りる。
そう思った。
戻ったとき、
火憐と葵は少し離れた場所に立っていた。
「終わった?」
火憐の声。
「ああ」
短く答える。
それ以上、言葉は要らなかった。
怪我もない。
街も壊れていない。
成功だ。
葵と目が合う。
彼女は何か言いたげだったが、
結局、何も言わなかった。
それでいいと思った。
考える時間は、もう要らない。
「次、行ける?」
火憐が言う。
「行ける」
即答だった。
影は、まだ足元に残っている。
以前より、離れにくくなっている気がした。
でも、不快じゃない。
むしろ——
安心感があった。
歩きながら、ふと思う。
迷わなくなった。
判断が速くなった。
守れる範囲が、確実に広がっている。
なら、それでいい。
失ったものがあるかどうかは、分からない。
けれど、失う前に守れたものは、確実に増えている。
それが正解じゃない理由を、
ハルは見つけられなかった。
夜は、まだ続く。
黒も、きっとまた現れる。
そのたびに、
同じようにやればいい。
そうすれば、間に合う。
そうすれば——
大丈夫だ。
まだ、戻ろうと思えば戻れる。
「もっとだ、もっとよこせ」
無意識に出た言葉だと、ハルは気づけなかった。
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ライトは、挨拶代わりに点いた。
「——動くな」
声は、以前と同じ男だった。
対黒局、前線部隊のリーダー。
違うのは、
確認が一切ないこと。
所属も、意図も、聞かれない。
ライトが、一直線にハルを照らす。
影が、沈黙する。
前よりも、はっきりと。
「……抑え込めてるな」
部下が低く言った。
「想定内だ」
リーダーは淡々と答える。
「前回、言ったはずだ。
次は対応になる」
火憐が一歩、前に出かけて止まる。
「何する気だよ」
「分類する」
それだけ。
「未所属。
高頻度接触。
黒への親和性、異常値」
言葉が、機械的に並ぶ。
「まだB相当だが、
進行速度が早すぎる」
ハルは、静かに言った。
「結果は出てる」
「分かってる」
即答。
「だから、今だ」
ライトが、さらに近づく。
影が、足元でわずかに軋む。
——抑えられている。
ハルは、そこで初めて理解した。
自分が止められているんじゃない。
“抑制できる存在”として見られている。
「お前は危険だ」
リーダーは言った。
断定だった。
でも、敵意はない。
「敵だからじゃない。
変化を自覚していないからだ」
葵が、息を詰める。
ハルは、目を逸らさなかった。
「……対応って、捕まえることか」
「今は違う」
一拍。
「だが、線は引く」
ライトが消える。
「次に黒を取り込む現場を確認したら、
その時は“保護”じゃ済まない」
保護。
その言葉が、やけに重い。
「協力しろとは言わない」
リーダーは背を向けた。
「ただ——
これ以上、独りで強くなるな」
去り際、
一瞬だけ振り返る。
「それはもう、
人間のやり方じゃない」
夜が戻る。
影は、何事もなかったように足元へ戻る。
ハルは、深く息を吐いた。
問題ない。
まだ。
——もっとだ。
声は、もう隠れなかった。




