-第13章- 日和
——神木ハル
朝の教室は、少しうるさい。
窓の外から差し込む光が眩しくて、
ハルは目を細めながら席についた。
「眠そうだな」
後ろから、軽い声。
振り返ると、火憐が腕を組んで立っている。
「昨日、夜更かし?」
「……まあ」
曖昧に返すと、火憐は納得したように頷いた。
「顔に出やすいよね、あんた」
それだけ言って、自分の席へ戻っていく。
ハルは小さく息を吐いた。
昨日の夜のことが、
喉元まで上がってきて――
すぐ、引っ込んだ。
今は昼だ。
サイレンも鳴らない。
黒も出ない。
それだけで、
世界はずいぶん静かだった。
「ハルー」
前の席から、葵が振り返る。
「今日の小テストさ、数学だっけ?」
「国語」
即答すると、葵は目を見開いた。
「ほんと!? やば、全然見てない!」
「大丈夫だろ」
「その“だろ”が信用ならないんだけど!」
そんな会話に、周りがくすくす笑う。
ハルも、つられて少しだけ笑った。
——こういう時間、
久しぶりな気がする。
チャイムが鳴り、
先生が入ってくる。
ノートを開いて、
板書を書き写す。
文字は普通に並んでいるのに、
どこか、頭が軽い。
「……まあ、いいか」
小さく呟いて、
考えるのをやめた。
昼は、そういう時間だ。
⸻
——水卜葵
昼休みの廊下は、賑やかだ。
購買のパンを抱えた生徒が走っていくのを眺めながら、
葵はベンチに腰を下ろした。
「はい」
隣に、紙袋が差し出される。
火憐だった。
「余ってた」
「ほんと?」
中を見ると、好きな味。
「ありがと!」
素直に言うと、火憐は少しだけ照れたように視線を逸らした。
「別に」
パンをかじりながら、
葵は空を見上げる。
雲がゆっくり流れている。
「……平和だね」
「昼だから」
火憐は即答する。
「夜と比べるな」
「だってさ」
葵は笑う。
「昼は、ちゃんと世界が続いてる感じする」
火憐は何も言わなかった。
でも、否定もしなかった。
その沈黙が、
なんだか心地いい。
遠くで、誰かが笑っている。
誰かが呼び合っている。
——今日は、考えなくていい。
葵はそう決めて、
パンをもう一口かじった。
胸の奥は、静かだった。
少なくとも、今は。
⸻
——火野火憐
放課後、三人で並んで歩く。
特別な話はない。
部活のこと。
テストのこと。
帰りにどこ寄るか、みたいな話。
「寄り道する?」
葵が言うと、
ハルが少し考えてから頷いた。
「コンビニくらいなら」
「決まり!」
火憐は、その背中を一歩後ろから見ていた。
二人とも、普通だ。
笑っているし、
肩の力も抜けている。
——守る必要は、今はない。
そう思って、
胸の奥が少しだけ緩む。
夕焼けが、街を染める。
夜までは、まだ時間がある。
「……この時間、嫌いじゃない」
ぽつりと漏れた言葉に、
葵が振り返る。
「珍しいね、火憐がそんなこと言うの」
「たまには、ね」
火憐は笑った。
本当に、少しだけ。
——このまま帰れたらいいのに。
その考えを、
すぐに打ち消す。
今日は昼だ。
それで、十分。
三人の影が、
ゆっくりと伸びていく。
_____喫茶アオハラ
喫茶アオハラの裏口を出ると、夕暮れの空気が肌に触れた。
夜になるには、まだ少し早い。
「今日は、移動の話をしよう」
先を歩く青原が、前を向いたまま言った。
「移動?」
火憐が聞き返す。
「今までは、たまたま近かっただけだ。
この先、そう都合よくはいかない」
言葉の端が、やけに現実的だった。
三人が足を止めた空き地で、青原は振り返る。
「まず、魔法使いの二人」
葵と火憐を見る。
「君たちは、飛べる」
一拍。
「……は?」
火憐が間の抜けた声を出した。
「飛ぶって、あれですか。
空を?」
「そう」
「……箒で?」
青原は、当然のように頷いた。
「基本だよ」
「基本って何!?」
火憐が思わず叫ぶ。
葵は半信半疑で、足元に置かれた箒を見下ろした。
「……本当に、浮くの?」
「試してみるといい」
恐る恐る跨がった瞬間、
足元の感覚がふっと消えた。
「……っ!」
体が、浮く。
高くはない。
でも、確かに地面から離れている。
「……すご」
葵の声が、少し震えた。
火憐は目を輝かせる。
「なにそれ!
絵本じゃん!
ほんとに飛んでるじゃん!」
葵がバランスを取るように空中で揺れる。
「ちょ、ちょっと怖いけど……楽しい」
その様子を、ハルは下から見上げていた。
しばらく黙ってから、ぽつりと漏れる。
「……ずるい」
二人が振り返る。
「なにが?」
「楽しそうすぎる」
視線は、箒の先。
「俺、それできないし」
青原が、ハルを見る。
「君には、別の手段がある」
「別の?」
青原は、ハルの足元を指した。
伸びる影。
夕暮れに濃く落ちた、地面の黒。
「黒の性質を使う。
影を通路として扱う」
「……潜る、ってこと?」
「通称は、ダイブ」
ハルは一瞬だけ迷ってから、影に足を踏み出した。
次の瞬間、
体が沈む。
水に落ちたような感覚。
音が遠ざかり、世界が反転する。
そして――
少し離れた影から、ハルは顔を出していた。
「……できた」
「え、なにそれ」
火憐が引く。
「格好いいけど、普通に怖いんだけど」
葵も空中から身を乗り出す。
「でも、それ……」
火憐が真顔になる。
「飛んでる人と、潜ってる人で、
どうやって話すの?」
沈黙。
影の中から、ハルが言う。
「……確かに」
青原は、少しだけ口元を緩めた。
「だから、これも用意した」
コートの内側から、小さなケースを取り出す。
「通信機。インカムだ」
「……そこは現代なんだ」
火憐が即座にツッコむ。
「魔法世界どこ行った」
「便利なものは、使う主義でね」
青原は淡々と言った。
「飛ぶ。潜る。
方法は違っていい」
三人を見る。
「ただし、
必ず繋がっていること」
葵はインカムを耳に当てて笑う。
「なんか、冒険前って感じ」
「修学旅行より危険だけどな」
火憐が肩をすくめる。
ハルはインカムを受け取り、影から完全に戻った。
空と、地面と、影。
三人はそれぞれ違う場所に立っている。
それでも、声は届いていた。




