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パレット  作者: 青原朔
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ep75.こんな朝がいつまでも

瓦礫の上に置かれた簡易テーブル。


青原が湯を落とす。


静かな朝だった。


裏世界だということを忘れそうになるくらい。


香りが立つ。


春が、ふっと息を吸う。


「……青原さんのコーヒー、久しぶりだな」


その声は、少しだけ軽い。


葵も小さく頷く。


「うん……落ち着く」


青原は何も言わない。


カップを差し出すだけだ。


久我が受け取り、ひと口。


「……悪くねぇ」


美波が両手で包むように持つ。


「なんか、普通だね」


普通。


その言葉が、ほんの少しだけ刺さる。


魅魅が春の影からするりと出てくる。


「へぇ」


春の肩に顎を乗せる。


「そんなに特別なの?」


「重い」


春が肩を払う。


魅魅は笑う。


「でもさ」


カップを覗き込む。


「こういうのって、“戻る場所”ってやつ?」


零が、ぴくりと反応する。


葵の中で、冷気が揺れる。


「……それは」


静かな声。


「春の場所」


魅魅が視線を上げる。


「へぇ?」


零が続ける。


「私たちは、あとから来た」


言葉は穏やか。


でも、境界線を引いている。


春が眉をひそめる。


「何の話だよ」


魅魅はくすっと笑う。


「昨日さ」


わざとゆっくり言う。


「春、私の方、先に見たよね?」


空気が止まる。


葵の指先が、カップを強く握る。


零の気配が濃くなる。


「……それは」


零が、静かに言う。


「私が前に出なかっただけ」


魅魅は笑みを崩さない。


「でも“選ばれた”のは私」


「違う」


零の声が低くなる。


周囲の温度が、わずかに下がる。


魅魅の瞳が細まる。


「何が?」


零が一歩前に出る。


葵の身体で。


「春は、選んでない」


「選べないだけ」


魅魅の眉がわずかに動く。


「へぇ。随分自信あるんだ」


「あるよ」


零は即答する。


「私の方が、春を知ってる」


その言葉は、鋭い。


魅魅の口角が上がる。


「長さで勝負?」


「違う」


零の視線が、まっすぐ春に向く。


「隣にいる重さ」


春は目を逸らす。


逃げるように、コーヒーを飲む。


苦い。


魅魅が一歩、近づく。


「でもさ」


春の胸元を軽く指で押す。


「昨日、私のこと庇ったよね?」


「……」


「零より先に」


零の瞳が揺れる。


ほんの一瞬だけ。


葵が小さく言う。


「れいは、私のだから」


今度は魅魅が止まる。


視線が葵に向く。


「へぇ」


「じゃあ春は?」


葵は、答えられない。


春も、答えない。


その沈黙が、一番うるさい。


青原が静かに言う。


「若いですね」


久我が鼻で笑う。


「朝から修羅場かよ」


でも誰も本気で笑っていない。


零がぽつりと言う。


「……私は、選ばれなくてもいい」


「でも、軽く扱われるのは嫌」


魅魅の目が細くなる。


「軽くなんてしてないよ」


「してる」


零は言う。


「“遊び”で触る」


「“本気”で触る」


「その差、分かるでしょ?」


魅魅の笑みが、少しだけ消える。


春がようやく顔を上げる。


「お前ら……」


その声は、疲れている。


魅魅が春を見る。


零も見る。


同時に。


春は気づく。


視線の重さ。


自分が、軸になっていること。


そして、どちらも傷つけかねないこと。


遠くで、裏世界の空が、わずかに軋む。


誰もまだ気づかない。


暴食は、境界の向こうで目を覚まし始めている。


でも今は。


コーヒーの湯気が揺れているだけ。


零と魅魅の間に、見えない火花が散る。


春はその真ん中で、


ただ、苦いコーヒーを飲み込んだ。

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