ep74.観測者
鏡の向こうで、
火が上がる。
黒が蠢く。
りりが動き、
対黒局が騒ぎ、
暴食が笑う。
全部、見えている。
佐久間咲は、動かない。
「手を出す?」
誰に聞くでもなく、呟く。
少し考えて、
小さく首を振る。
「ないな」
あの子たちは、最高傑作だ。
白パレット。
黒パレット。
時間。
魔法。
王。
人。
失敗も、迷いも、全部込みで。
あれが完成形。
「僕が手を出したら」
「それはもう、設計ミスだ」
鏡に映るハル。
零と魅魅を守るように立つ姿。
天音の強さ。
夢魔の均衡。
「想定外があるから、面白い」
少しだけ、柔らかく笑う。
「予定通りの世界なんて、退屈だ」
観測する。
干渉しない。
必要なら言葉だけ落とす。
それが咲のスタイル。
「神様ごっこは、青原に任せるよ」
皮肉でも嫉妬でもない。
純粋な事実。
青原は“確信”。
咲は“観測”。
役割は違う。
そして。
「最後まで見る」
鏡の奥で、静かに目を細める。
「君らが、どこまで壊して、どこまで救うのか」
世界は崩れかけている。
でも。
それでも。
彼女は楽しんでいる。
残酷じゃない。
壊れてるだけ。
鏡の街は、音がない。
灰色の建物。
風もない。
時間すら止まっているみたいな世界。
佐久間咲は、ひとり立っている。
さっきまでの高笑いはもうない。
両手をポケットに突っ込んで、遠くを見る。
鏡の向こう――表世界。
そこでは今も混乱が続いている。
王が動き、
対黒局が揺れ、
りりが動き、
暴食が暴れ、
火憐が堕ちていく。
全部、見える。
全部、観測できる。
「……やっぱり」
小さく呟く。
「間違ってなかった」
春は取り込まなかった。
零も、魅魅も、夢魔も。
神にならなかった。
効率を選ばなかった。
それが――嬉しかった。
ほんの少しだけ。
胸の奥が軽くなる。
「安心した」
ぽつりと漏れる。
もし春が迷わず吸収していたら。
もし完成を選んでいたら。
それは成功。
でも。
どこかで、少しだけ。
“つまらなかった”。
鏡の表面に、母の姿が重なる。
十四歳の自分。
結晶を握った夜。
「救うんでしょ」
あの時は、壊れてなかった。
正しかった。
今も、正しいはず。
はずなのに。
「……なんで少しだけ」
口元が緩む。
「嬉しいんだろ」
春が神にならないことが。
効率を捨てることが。
感情論を選ぶことが。
鏡越しに、彼らを見る。
零が立ち、
魅魅が笑い、
天音が静かに睨み、
夢魔が面倒そうにしている。
「ちゃんと育ってる」
本当に、ちゃんと。
十年前の選択は、
間違いじゃなかった。
でも。
指先が、少しだけ震える。
「……でも」
小さく、苦笑する。
「このままだと」
りりが動く。
暴食が目を覚ます。
対黒局が蠢く。
均衡は崩れる。
観測しているだけでは足りない。
青原は“確信”で動く。
咲は“観測”で動く。
違いはそこだ。
「僕は」
鏡に手を触れる。
「どこまでいけるかな」
その声は、さっきより静かだ。
高笑いの余韻はない。
代わりにあるのは、
ほんの少しの安心と、
ほんの少しの焦り。
そして、
抑えきれない好奇心。
「春」
鏡越しに呼ぶ。
「神にならないなら」
「人間のままでどこまで行けるか、見せてよ」
微笑む。
それは狂気じゃない。
観測者の笑み。
でも。
壊れているのは確かだ。




