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パレット  作者: 青原朔
10/36

-第10章- 嫉妬の黒

夜が、終わらなかった。


黒の気配は消えた。

サイレンも鳴らない。

街は、もう安全なはずだった。


それでも、

ハルの中では何かが終わっていなかった。


「……葵」


振り返る。


水卜葵は、街灯の下に立っている。

いつもと同じ顔。

いつもと同じ立ち方。


「さっきの」


短く切り出す。


「助けない方が早い、って」


葵は、一瞬だけ考える仕草をして、首を傾げた。


「……言った?」


その反応が、答えだった。


「覚えてない?」


「うん」


即答。


「なんで?」


困ったように笑う。


「そんなこと、私なら言わないと思う」


ハルは、一歩近づく。


距離を詰めるためじゃない。

逃げ道を、塞ぐためだ。


「じゃあ、誰が言った」


空気が、張りつめる。


葵は、視線を落とす。


「……わからない」


その声は、嘘じゃなかった。


「でも」


小さく続ける。


「言われた気は、する」


ハルの喉が鳴る。


「……中から?」


問いは、もう曖昧じゃなかった。


葵は、答えない。


代わりに、

影が、ほんの少しだけ揺れた。


街灯の光が、

彼女の足元で歪む。


「ねえ」


声がした。


それは、葵のものだった。

けれど、温度が違う。


「そんな顔しなくてもいいじゃん」


ハルの背筋が、凍る。


「君が考えてたこと、

私は言っただけだよ」


視線が、合う。


その目は、

感情を測る目じゃない。


判断を測る目だった。


「あーあ」


小さな笑み。


「やっぱり、バレちゃったか」


ハルは、息を吐く。


怒りはない。

恐怖も、ない。


ただ、

確信があった。


「……お前は、誰だ」


その問いに、

彼女は首を傾げる。


「名前?」


一拍。


「今は、まだいいでしょ」


笑みが、深くなる。


「大事なのはさ」


一歩、近づく。


「これからも、

私の判断が必要になるってこと」


ハルは、目を逸らさなかった。


「……必要かどうかは」


言葉を切る。


「俺が決める」


その返答に、

彼女は楽しそうに笑った。


「うん」


「それでいい」


夜は、静かだった。


でも、

もう戻れない場所に、

二人は立っていた。

_____


決めるのは、俺だ」


ハルの言葉に、

彼女は一瞬だけ目を細めた。


怒っていない。

否定もしていない。


ただ、測っている。


「うん、知ってる」


軽い返事。


「だから今まで、任せてたんだし」


その言い方が、

妙に引っかかった。


「……今まで?」


問い返すより早く、

彼女は続けた。


「でもさ」


何でもない調子で、

肩をすくめる。


「それ、いつまで続けるつもり?」


ハルは黙る。


沈黙の質が、変わる。


「だって」


一拍。


「星崎アマネを探してるんでしょ」


空気が、落ちた。


音が、消える。


街灯の光だけが、

やけに白く見える。


「……なんで」


声が、低くなる。


「その名前を」


彼女は、少しだけ首を傾げた。


「あれ?」


本当に不思議そうに。


「言ってなかったっけ」


——言っていない。


フルネームは、

誰にも。


「おかしいな」


くすっと笑う。


「でも、合ってるでしょ」


ハルの指先が、微かに震える。


「……誰から聞いた」


「誰から、ね」


彼女は考えるふりをして、

すぐにやめた。


「それ、重要?」


その問いが、

決定的だった。


「私は」


一歩、近づく。


「君が何を探してるか、知ってる」


「どこまで行く気かも、知ってる」


「そして」


視線が、まっすぐに刺さる。


「そのために、

どこまで切れるかも」


ハルは、息を吸う。


——こいつは。


——俺の外側にいる。


「……星崎は」


名前を口にするだけで、

胸が軋む。


「どうして消えた」


問いは、鋭く、短い。


彼女は、すぐに答えない。


代わりに、

ほんの少しだけ、楽しそうに笑った。


「あー……」


間を置く。


「それは、まだ教えない」


ハルの眉が、わずかに動く。


「でも」


続く言葉は、

ひどくあっさりしていた。


「“どうやって”消えたかなら、知ってるよ」


世界が、音を取り戻す。


遠くで車が走る音。

風が、電線を揺らす。


「第三者の能力」


淡々とした声。


「名前を、世界から消すやつ」


ハルの中で、

何かが、はっきりと形を持つ。


「……お前」


言葉を選ばず、言う。


「いつからそこにいる」


彼女は、肩をすくめた。


「だから、まだ答えない」


悪びれもせず。


「でもさ」


一歩、距離を詰める。


「もう引き返せないってことだけは、

分かったでしょ」


ハルは、目を逸らさなかった。


「……分かってる」


その返答に、

彼女は満足そうに頷く。


「じゃあ」


にこりと笑う。


「ちゃんと、使ってよ」


その言葉が、

“協力”なのか、“支配”なのか。


まだ、判断はつかなかった。


夜は、

静かに、深くなっていく。


______



沈黙が、少し長すぎた。


ハルは、視線を逸らさないまま言った。


「……一つ、はっきりさせる」


声は低い。

でも、揺れていない。


「お前が何者かは、今はいい」


彼女は、楽しそうに瞬きをする。


「へえ」


「でも」


言葉を切る。


「この先、一緒に動くなら条件がある」


一拍。


「勝手に判断しない」


彼女の笑みが、わずかに薄くなる。


「人を切る判断をするなら」


「理由を言え」


「結果だけじゃなく、選択肢を出せ」


空気が、張る。


「それと」


ハルは、続けた。


「葵の身体を壊す判断は、許さない」


言い切った。


「彼女は道具じゃない」


「俺たちは、目的のために動いてる」


「でも」


視線が、まっすぐ刺さる。


「人を捨てるために、進んでるわけじゃない」


沈黙。


夜風が、街灯を揺らす。


彼女は、しばらく何も言わなかった。


そして。


「……なるほど」


小さく、息を吐く。


「ちゃんと条件出すんだ」


からかうでもなく、

怒るでもなく。


ただ、確認する声。


「でもさ」


首を傾げる。


「それ、全部“理想論”だよ」


ハルは、眉を動かさない。


「潰してみて」


その返答に、

彼女は少しだけ、目を細めた。




「まずね」


指を一本、立てる。


「勝手に判断しない、ってやつ」


「無理」


即答。


「だって、君」


一歩、近づく。


「考えるより先に、結論出すでしょ」


言葉が、鋭い。


「さっきのこと」


名前は出さない。

でも、共有されている。


「君、迷った?」


ハルは、答えない。


「次」


指が、二本になる。


「理由を言え、ってやつ」


「言えるよ」


軽く言う。


「黒を倒すため」


「効率がいいから」


「被害が減るから」


一つずつ、並べる。


「でもそれで、納得する人いる?」


沈黙。


「最後」


三本目。


「葵の身体を壊す判断は許さない」


ここで、声の温度が変わる。


「それ、一番無責任」


ハルの喉が鳴る。


「私がいなかったら」


彼女は、静かに言った。


「さっき、あの子どうなってたと思う?」


言葉は、優しい。


だから、余計に刺さる。


「自分がやったこと、覚えてない」


「でも結果は残ってる」


「それ、壊れないと思う?」


ハルは、拳を握る。


「私はね」


彼女は続ける。


「守ってるんだよ」


「君より、ずっと近くで」


「君は“救う人”」


「私は“壊れないようにする人”」


視線が、重なる。


「役割、違うでしょ」



長い沈黙のあと、

ハルは息を吐いた。


「……分かった」


彼女が、微笑む。


「全部、撤回する?」


「しない」


即答。


「条件は変えない」


「ただ」


一歩、踏み出す。


「お前が正しい場面もあるって認める」


その言葉に、

彼女は一瞬だけ、目を見開いた。


「だから」


ハルは続ける。


「俺が止める」


「お前が切るなら、俺が見る」


「お前が守るなら、俺は逃げない」


夜が、静かに沈む。


彼女は、しばらく黙っていた。


そして。


「……ほんと」


小さく笑う。


「厄介な人だね」


一歩、距離を取る。


「いいよ」


肩をすくめる。


「その条件、飲む」


「ただし」


視線が、鋭くなる。


「後悔しても、戻らない」


ハルは、頷いた。


「最初から、そのつもりだ」


二人は、並んで歩き出す。


まだ、名前はない。

でも、並んでいる。


それが、

この夜の結論だった。


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