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第1話「まぶしすぎた日常」

 朝の光がカーテン越しに射し込む。スマートフォンのアラームがけたたましく鳴り続け、七瀬陽ななせ・はるは目をしばたたきながら、もぞもぞと布団から這い出た。


 ベッドサイドに置いてあったカーディガンを羽織り、エスプレッソマシンのスイッチを押す。キッチンに立つその背中には、なんとなく疲れが滲んでいた。


「……また月曜日か」


 誰に言うでもなく呟きながら、湯気の立つコーヒーをマグカップに注ぎ、窓辺へと歩いていく。都内の出版社で編集者として働き始めて、もう三年目。新人でもなく、ベテランでもない、なんとも中途半端な立ち位置に自分がいることを、陽は時折意識してしまう。


 仕事は忙しい。原稿の進捗に一喜一憂し、取材先との日程調整に振り回され、夜遅くまでの残業が続くこともある。けれど、それを「嫌い」と思ったことは一度もない。文章が好きで、伝えることが好きで、何より、本が好きだった。


 でも——。


 その“好き”の奥に、ぽっかりと空いた何かがあることにも、陽は気づいていた。手応えのない日々の中で、ふとした瞬間に湧いてくる、説明のつかない虚しさ。

 それは、ちょうど今、窓から見える秋晴れの空のように、どこまでも澄み切っていて、どこまでも届かない。


 マグカップを両手で包み込むように持ち、コーヒーの香りを深く吸い込む。


 ——こういうとき、あの人なら何て言うんだろう。


 ふいに浮かんだ面影に、自分でも驚いた。


 大学時代、出会い、そして別れた彼。

 夢を追いかける彼と、現実を選んだ自分。あの頃はそれが正しかったと信じた。でも、今でもふとしたときに、その選択の先を考えてしまう。


 仕事に出かける支度をしながら、陽は気持ちを振り払うように首を振った。

 いけない、もう前を向いているはずなのに。


 出社すると、すでにオフィスは慌ただしい空気に包まれていた。机の上には赤字入りのゲラが山積みになっており、隣の席の後輩・はるかが小走りで近づいてくる。


「先輩、おはようございます! 例の特集記事、取材日決まりました!」


「おはよう。ありがとう。いつ?」


「明後日の11時、青山のカフェです」


「了解。じゃあ、明日までに資料まとめといてくれる?」


「はい、ばっちり任せてくださいっ」


 遥が明るい声で答え、また慌ただしく戻っていく。その姿を見送りながら、陽は机のスケジュール表に目を落とした。


「……あれ?」


 その欄に書かれた取材相手の名前に、目を見開いた。


 冬馬 圭吾——。


 思わず息を呑んだ。まさか、そんな偶然があるだろうかと、すぐにスマートフォンで名前を検索する。


 表示された画像に、時が止まったように感じた。


 変わったようで、変わっていない。そのまま時が止まっていたような顔。

 写真の向こうから、かつて自分を見ていた瞳が、こちらをまっすぐに見つめている気がした。


「本当に……あの冬馬?」


 胸の奥で、何かが動き出した。


 もう二度と会うことはないと思っていた人。その人が、自分の仕事で、しかも取材相手として再び目の前に現れようとしている。


 いくつもの記憶が、堰を切ったように押し寄せてくる。

 楽しかった日々も、苦しかった別れも、ぜんぶ。


 パソコンの画面に映る彼のプロフィール写真を、陽は静かに閉じた。


 窓の外では、午後の光が秋の街を優しく照らしていた。

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