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ワンスが転倒した際に宙に投げられた熱湯は、奇跡的な拡散となり、すべてギャングたちの頭上に降り注いだ。
沸騰してから、まだ数分も経っていないゆえに温度も下がり切ってはいないだろう。いくら空中に放り出された際の空調冷却が働いたとはいえ、人体に触れても苦痛を感じなくなるほどの温度になったとは考えにくい。
「ぎゃっ、ぎゃあっ!?」
「んがぁあああああああ!!」
「あぢぢぢぢっ」
「んだよっ、これはぁぁああああ!!」
全員猿のように吠えながらのたうち回る。
そして、こちらも奇跡的に熱湯を被らなかった男は、ハッとしてワンスの手を掴んでギャングたちから逃亡する。
「お、おい!」
「いいから黙って走りなさい!」
商売道具を搭載した荷車は、すぐ近くにある。長時間放置すれば顔見知りになったとはいえ、貧困極めるホームレスたちの手によって根こそぎ奪われかねない。可能なら今すぐにでも戻りたかったが、男はそれを許さなかった。
「シックサ!」
「ああ、よかった。お戻りになられてなによりです、ご主人様───」
「今すぐここを離れる! この青年も乗せよ!」
「───御意」
男は大通りに停めていた、黒塗りの高級な馬車の前に控えていた長身痩躯にして、優れた容姿をしている執事に叫ぶと、シックサという執事は流麗にして無駄のない動きでドアを開け、男とワンスの搭乗を確認したあとに御者に出すよう命じ、自分も乗る。
「これは………いったい………あ、あなたは?」
「おお、これは失礼。恩人に名乗りもせず無理に同行させてしまいましたな。私はツード・ナンバーズ。以後、お見知りおきを」
「な、ナンバーズですって!?」
ワンスのような低賃金で労働をするしかない最下層に部類するような人間でも、ナンバーズの名くらいは知っている。
いや、知らない方がおかしい。
ナンバーズ社が経営する工場に勤務しているのだから。つまりツードはワンスにとって雲の上の存在に等しい。
「いやはや、あなたは命の恩人だ。普段ならこのようなことにならないのだが………まぁ、恥ずかしながら弟を探していた最中でしてね。弟はあのようなところに顔を出していると情報を得たので。しかし、これはこれで問題だ。治安の悪さは知っていたつもりだったが、まさかここまでとは」
ツードは苦笑しながら頬を掻く。
外の世界を知らない箱入りのお坊ちゃんが、そのまま大人になったような印象。
しかしそれはワンスの妄想だ。偏見でもある。子供のまま大人になった人間が、ナンバーズという商社をこの国のトップを争えるような巨大組織に成長させられるはずがない。
ツードは優秀だ。ただちょっと、普段は絶対に見る必要のない部分を見てしまい、対応に困っただけ。
もしワンスが偶然とはいえ助けに入らなかったとしても、身に着けている金品を譲渡してしまったとしても、ツードにとってなにも経済的な痛手にならないどころか、報復さえ容易い。多分ではあるが、どこかのマフィアに所属しているような風体ではなかった。
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