始まりの日
早朝も早朝、薄暗く朝とも付かない時間帯に家を出て最寄りの駅に行き、始発にサラリーマンの皆さんと一緒に乗る。毎日一時間半も掛けて小中高一貫校に通っており、いつもは眠ってやり過ごしていたがその日は眼が冴え、ぼーっと目の前で揺れる人たちを見ていた。
道中暇をしていたところ、突然隣に隣に座っていた人から本を一冊渡される。見れば可愛らしい絵柄と共に、長いタイトルが目に入り驚く。
自分はアニメとか漫画は好きで読むので知識があり、よく見るとこれは最近流行っている異世界系の小説だと分かった。
なんでこれをと思い渡してきたのかと不審に思い相手を見たところ、女子だが制服が同じで見覚えのある顔をしている。
髪を三つ編みにし眼鏡をかけ、日本人離れしたスラリとした鼻に切れ長の目を見て
「あれ、天使」
名前を思い出し口にすると、彼女はこちらの膝に本を置きバッグから新しい本を出して読みだす。
珍しい名前だから憶えているが、同級生であったことは一度しかなく普段話しをする間柄でもない。始発から乗っていて隣が出て行った覚えがないので、恐らく最初からずっと隣にいたのだろう。
声も掛けずに本を渡してくるなんて、名前だけでなく本人も変わっているらしい。有難く読ませてもらうよと感謝の言葉を口にし、早速渡された本を読む。
内容はよくある異世界物だったが、それだけに読みやすく熱中している間に駅についてしまい、天使に袖を引っ張られなければ乗り過ごしていた。
感謝し本を返そうとするも貸しておくと言われ、それは悪いからと返そうとしたが、彼女の友達が駆け寄って来て連れて行ってしまう。
「よっす仁太。珍しいな他のクラスの女子と話してるなんて……シャイは卒業かな?」
「おう良太。今日は珍しい日らしい」
呆然としながら彼女の背中を見送っていると、突然肩を組まれる。隣に居たのは目鼻立ちの整った、アイドルグループにいそうなイケメン、幼馴染の阿久津良太だった。
容姿もさることながら性格も明るく取っ付きやすく、シャイで平凡なこちらとは違い、女子からの人気は凄まじい。
彼はここからそう遠くない場所に住んでおり、翌日試験の時などは宿泊させてもらっている。いつも悪いなと言うと小学校から一時間半も掛けて通う、お前の役に立てるなら嬉しいよと言う。
両親は教育熱心と言う程ではなかったが、通勤電車など小さい頃から揉まれていた方が楽になる、という考えから恵速大学附属小学校を受験した。
良太とは受験の時に隣の席になりそれからの付き合いになるけど、互いの家を行き来したりするほど仲良くなれたのは本当に運が良い。
通学までに時間が掛かる関係で皆と遊ぶ時間が作れず、仲良くなり辛かったが彼が積極的に話しかけてくれた御蔭で、クラスにも溶け込め今も皆と仲良くやれている。
駅から商店街を通り坂を上がったところに学校はあり、校門前にいる先生に挨拶をして中に入った。朝の天使との件以外は特に何事もなく過ぎ、下校時間となって皆に挨拶し教室を出る。
駅に着き電車に乗る時、彼女が居ないか見回したがいなかった。今朝の事とか聞きたいと思ったが仕方ないと思いつつ、貸してもらった小説を読みながら帰路につく。
小説を渡された日から毎朝同じ電車で会うものの、本を貸してくれる以外は基本何もしゃべらない。よく分からないが貸してくれる本は面白いし、無理に話させるのも申し訳ないので、そのまま過ごしていた数週間後の放課後。
家の最寄り駅に着き電車を降りると、珍しく天使が横に来て一緒に改札まで移動する。これまでは気付いた時にはもう改札を通り過ぎていたので、突然の行動になぜかドギマギしてしまう。
良太だったらこういう場合はどうやって会話をするのだろうか。頭の中の幼馴染の動きを再生してみたけど、間の悪いことに彼女に無視された場面が出て来てしまった。
本を借りている話はしていないものの、どうも以前のことが気になったらしく、なんとか情報を聞き出そうとしてくれたようだ。
あの誰とでもすぐに打ち解けられる良太をもってしても、話が出来ないとすれば自分などには到底無理だろう。
こう書くと天使は無口キャラに思えるが、同性の友だちとは普通に会話している。異性が苦手だとしたら後ろ向きではあるけど、同じ学校であることと小説以外に共通点があるなと思った。
改札を出てからも同じ道を歩いており、なんだか分からないけど物凄く緊張する。今まで女子と二人きりで並んで歩くなんてない人生だったから、どうしていいかわからない。
無言で歩く時間が続き、つばを飲み込むのすら怖くなってきた。このままだと呼吸も出来なくなりそうなので、思い切って話をしようと口を開いた瞬間
「逃げろ!」
突然大きな声が飛び込んでくる。何があったのか辺りを見回したところ、夕焼けに染まる街路樹が両側に並ぶ道の真ん中に、全身黒ずくめの格好にマスクをした人がナイフを持って立っていた。
目を凝らして見るとそのナイフは装飾が凝っているだけでなく、なぜか黒い煙を出しているように見えた。
相手の動きを警戒しつつ、天使にそのことを話すと見えるのと返される。ラノベの読みすぎだろうと思ったけど、どうやらそうでもないらしい。
逃げるにしても二人で背を向けて逃げ出せば、彼女が一番に狙われる危険があると考え、遮るように前に出た。
「どけ……どけ……」
うわ言のように繰り返しながらこちらに近付いてくる。相手をけん制しようとバッグを盾のように持ち突き出す。
「あwrdbg79p423-0@え5あえ!」
言葉とも付かない声を上げながら、ナイフを振り回しつつ突っ込んできた。バッグに入っている物でナイフを受け振り回そうと考え身構えたけど
「危ない!」
久し振りに聞く天使の声は良い声だ、などと呑気に思っている場合じゃない。盾にしようと思っていたバッグは真っ二つに切り裂かれ、制服も斬られている。
あのまま受けていたら腕も斬られていたかもしれない。慌てて彼女の手を取り走り出す。
「こっちへ!」
一日のほとんどを学校と通学時間に割かれ、残りは課題と予習に吸われており、地元だというのに道が分からない。
誰の声かは知らないけど、逃げろと警告してくれた声と似ているし、藁にも縋る思いで指示に従い走った。
店の裏路地を駆け抜けていた時、先の方に人が多くいる場所が見えてくる。あそこに出ればきっとなんとかなるはずだ! そう思い必死に走っていると
「え!?」
「キャアッ!」
突然エレベーターで下へ降りる時の一瞬の浮遊感があった後で、景色が上へ移動して行き手を伸ばすも届かず、そのまま遥か上へいってしまい暗闇に包まれた。
・
・
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―やぁ、初めまして。僕の声が聞こえるかな?
逃げ道を教えてくれていた声が聞こえ、逃げている途中だったことを思い出し目を開けるも、真っ暗な空間のままで戸惑う。
なにか見覚えのあるものは無いかと見回したが無く、気を失って夢でも見ているのかと頬をつねってみたが、痛みがあるので夢ではない。
助けを求めようと胸ポケットに入れた携帯を取ろうとしたものの、手は服ではなく自分の素肌に触れ見れば裸になっていて驚く。
―おはよう。なんとか助けることには成功したけど、完璧にとはいかなかった。
変な男に襲われていたがソイツからは逃げられたらしい。代償として異世界に連れて来ざるを得ず、さらには天使が行方不明と言われ言葉を失う。
―悪いけど君はあの子を助けに行ってくれないか? 本来なら僕が直ぐに対応したいところだけど、彩乃を襲った連中の身元を調べないといけない。最悪全部消し飛ばして助けるけど、出来ればそれはしたくないんだ。
彩乃って天使のことだよなと思いつつ、助けるのは当然としても自分には何の能力も無いし、なにより異世界っていうのはさすがに冗談でしょ? と聞くと突然体が光り出す。
徐々に光は広がって行き、真っ暗な空間も光に覆われ眩しくて目を瞑る。
―冗談じゃないんだ悪いけど。見てごらん。
眩しさも無くなったので言われた通りに目を開けてみたけど、飛び込んできた景色に絶句した。自然豊かなどこかの高い丘に立っていて先の方を見たところ、距離がだいぶ離れているのにはっきり見える鳥が飛んでおり、明らかに自分の知っている世界の生き物ではない。
―こういう世界、君も好きだろう? ようこそ僕の世界へ。
間違いなく別の世界に飛ばされたと認識させられた上に、僕の世界とか言っている人物と会話している。情報が多すぎて処理しきれず眩暈がして来た。
―幸い丁度元仲間が作ったボディがあったから、先生からくすねて君に当てた。これで防御力も裸でも高いし他の能力も普通の人間より上だ。
ボディとか何を言ってるのか分からないし、普通の人間より上で天使を助けられるのかと聞くも、それは君の頑張り次第だと言い出す。
頑張りも何もこちとら勉強メインで生きて来た人間であり、運動神経は悪くないにしても格闘技なんてならって無いし、戦うなんて想像もしたことが無い。
―それは困ったね。あの子が選んだんだから素養はあるに違いない。となるとやはり教師が必要かな……ああ、丁度一人暇している奴がいるな。彼を君の教師役として任命しよう。
素養だの教師だの分からないことばかりだが、何にしても早く天使を助けないといけないので、さっさとして欲しいと急かす。
―やる気になってくれて結構。あの子は殺されることはないから安心していい。ただ誰かが助けないと逃げられないのは確かだ。この星的に言うと一番悪くて偉い奴のところにいる。何心配するな、彩乃も力があるし、自分の身はある程度守れるしそうしてあるから。
いやもうそこまですべてお見通しで配慮できるなら、自分でやった方が早くないっすかと言うも、片手間でやるのはきついから君にお願いしたいという。
たしかに片手間でやられて天使に何かあったら困るので、わかりましたと引き受けた。
―じゃあ教師役はここに呼んだから、あとは彼に事情を話して協力を仰いでくれ。彼にだけは異世界から来たことや、彩乃の名前を名字から全て伝えて欲しい。そうすれば手取り足取り面倒を見てくれる。ではまた!
よく分からないが言われた通りにしようと決め、その教師役が来るのを待つ。
「あれ、裸の少年が一人だ。可笑しいなクロウの気配がした気がしたが……」
「え!?」
丘の下の方から声がし登ってきたのは、熊の頭をした筋骨隆々でスラックス一丁の変わった人物だった。異世界のスタートからとんでもないのが来たぞ、と思い肝が冷える。
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