正体不明のテキスト群 1
センゼリエ・アールニグ‐推定五百年前の王朝テバリンの宮殿跡から発掘されたテキスト群の一部。彫り込まれた銅板はさび付いており、いまだ完全復元に至っていない。触るとその形状を変化させるテキスト群は、時間と、また日光量によってもその形質を変容させる。人の魂に反応しているのか、他の動植物に触れても反応はない。または、見る者の知覚そのものを変質させていると言う学者もいる。(ユーグリア・コークヴァッヘ‐一八二~二三三)そのテキストはひとつの銅板におさまらず、複数の銅板に同じ形状が見られた。センゼリエは剣を携える男を象徴していて、他にも牡牛であったり、海亀であったり、星であったり、山であったりを表している。それらは先述した形質によっては、他のテキスト群と組み合わせることによって複数の意味を有する。そして、それらは時と空間によっても意味が異なる。たとえば夜の十一時にテキストを認識すると、それは浅はかな知見を森の奥深くに眠る動物たちの魂に当てはめて、命の選別を執り行う儀式に必要な生贄となる巫女の子宮を意味する。たとえば朝の四時にテキストを認識すると、それは人間のいない文明の海の上になによりも大きい木の葉が落ちて大地が揺れた後にゆっくりと沈んで海洋生物に蝕まれ、最後の葉脈がオオクロドムルングクジラのフラクタル構造体に成り代わる様を意味する。アールニグは高度三千メートルにおいて認識すると、悪魔がこちらを見ているずっと見ているあなたが幸せな時も不幸せな時も死ぬまでこちらを見つめている、という意味になる。深海百メートルを超えて認識すると、教室の片隅であなたは泥水が入った水筒から水を飲み空を見上げ死体になった学友を踏んで歩く、という意味になる。
なぜこのようなテキストが生まれたのか、どうしてテバリンはこのようなテキストを生み出すに至ったのか、そしてこれらの意味を持つテキストを使うことがあったのか、今日まですべてが不明のままである。
トルヴルヌグルズググ‐西暦一九九一年、当時二十歳の柿沼孝二がアルバイトの帰り道に落ちていたノートを拾い、中を確認したところ、このテキスト群を発見した。ノートはどこにでも売っているような平凡な変哲のないノートで、ページの所々は破けていたという。ノートの最後のページにこのテキストを発見すると、それが柿沼の知る言語で書かれていないにも関わらず、読解に成功する。高校を卒業してフリーターで生計を立てている柿沼がなぜこのテキストを解読することができたのかを調べるため、言語研究者たちがあらゆる言語や未解明の言語を柿沼に読ませたが、そのどれも解読することはできなかった。そのテキストは柿沼によれば、意味がひとつしか存在しないにも関わらず、このテキストだけでほぼすべてのコミュニケーションが可能であるらしい。コミュニケーションは人間に限らず、あらゆる動物、植物ともコミュニケーションが可能なのだという。このテキストを用いることで意味をテキストではなく意味そのものとして伝える役割を果たし、そして交換される意思はこのテキストを媒介して行われる。つまり、携帯電話を繋ぐ中継伝播基地のような役割を、このテキストは果たしているのだという。このテキスト自体に意思はないが、受け取った意思を別の生物にダイレクトに送信することができる。柿沼がノートを手にしてテキストを認識した時、どのような信号を受け取ったのかと問うたところ、「俺はなにも知らないし、知る必要はない。そして、あなたたちは知らない方がいい。トルヴルヌグルズググによって繋がる意思は、この世の理を超えて宇宙に拡散していく」とだけ言い、その一か月後、柿沼は自ら命を絶っている。