白い手
私の手は、光に当たると、わずかに薄く透明になる。まったく透明になりきる前に、私の手は手としての原型を留め、握ったり、伸ばしたりすれば、その輪郭ははっきりと手の形を伝える。白い手は、もう、私の思い通りには動いてくれない。
交通事故に遭ったのが三年前。肩から先が全く動かなかったけれど、死ぬも狂いでリハビリをして、どうにかここまで動かせるようになった。まだ痛みもあるし、無理に動かそうとすれば痺れて数時間は痛みが引かない。そんな私の手が、見つめ続けているといつの間にか肌の色を失っていくのだと気がついたのは、一週間前、お風呂に入っている時だった。私は、湯船に浸かる私の手先が屈折してゆらめいて、元の形を失っているさまを見るのが好きだった。こんな風に、自由自在に動いたらいいのに、そんな空想を実現してくれるような気がしていたからだ。だけどそんな手を見つめていると、次第に浴槽の色に溶けだして、ぼやけていくのがわかった。初めは、目の錯覚だと思った。目を擦って凝らして見てみても、やはり変わらない。浴槽から腕を持ち上げ、光にかざすと、やはり、私の手は薄く白んで、わずかに浴室の天井の景色を写している。私は一度目を離し、もう一度手を見ると、いつの間にか元に戻っていた。私の、もともとの肌の色だった。
「気のせいなんじゃないかな。疲れているんだよ」
あなたはそういうけれど、そんなんじゃない。私は確かに、何度もこの目で手が透明になるところを見ている。そう言っても信じてもらえないのは、他人の前ではまったく手は透明になってはくれなかったからだ。どうしてこの手は、透明になるときとならないときがあるんだろう。思うように動かなくなった私の手は、指は、もう私に隷属されない、べつの生き物になってしまったのだろうか。そんなバカみたいなことを考えた。
それでも、あなたにそっと触れられると、温かくて気持ちいい。心が安らぐ。落ち着く。ずっとこうしていたいと思う。たとえ、上手く動かすことができなくても、手の感触は、たしかに私の心を動かしている。隷属はしていなくても、繋がっている。奇妙な繋がりだと思う。もしかしたら、手が無ければこの心地よさを知ることができない私の方が、手に依存しているといえるのかもしれない。白い手は、たしかに血が通っていて、体温をもっている。
この手が透明になりきるまで見つめて、全く動かすことができないまま、やがて私とのつながりを断ち切ってしまったあとは、私はどうやってあなたに繋がればいいのだろう。そんなことを考えると怖くなって、想像が現実になる前に、私は自分の手から目を逸らした。何も見えない暗闇の中、手探りであなたの身体を捕まえる。