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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

美少女達の血が染みついたナイフは、嫌気がするほど手に馴染んでいた。

「なぁ詩織(しおり)、“美少女連続殺人事件”のこと知ってるか?」

「え? 急にどうしたの、政吉(まさよし)?」


 朝、ホームルーム開始前のこと。


 教室では登校した生徒達が、至るところで雑談を繰り広げている。

 そんな中、喧騒に紛れるように二人の生徒が物騒な話題を口にしていた。


「もちろん知っているよ。というか、この辺りの学校に通う生徒なら、知らない人なんていないんじゃない? だって――」

「狙われているのが、ここら一帯の高校生ばかりだから、か?」


 政吉と呼ばれた生徒の言葉に、向かいの席に座る詩織がこくり、と静かに頷く。


 ここ数日、全国ニュースでも取り沙汰されている事件。それがこの“美少女連続殺人事件”というものだ。


 これまでの被害者は計5人。殺害方法は刺殺や絞殺など多岐にわたるが、被害者全員にはある共通点があった。

 この学校を含む地区の高校に通う容姿端麗な女子生徒――いわゆる“美少女”であるという点だ。


 初めの事件から2週間ほど経った今でも、事件の詳細は明らかになっていない。犯人の動機や目的も不明らしい。

 だが、どの遺体も惨殺と呼べるほど顔面や内臓がぐちゃぐちゃに切り刻まれていたことから、犯人は彼女達に相当な憎悪を抱いていたとみられる。

 もしくは、猟奇的な性癖を持つ狂人なのではないかとの見方もあるが、やはり真相は分からない。


「なんだよ、心配させんな。あまりに緊張感がねぇから、てっきり知らねぇのかと思ったぜ」

「えっと、どういうこと?」

「だからさ、次に狙われんのは詩織かもしれないぜ、ってこと。幼馴染の俺としちゃあ不安で仕方ねーよマジで」


 口調は軽いが、真剣な瞳で詩織を見つめる政吉。

 しかし、当の詩織は目をぱちくりさせ、首をかしげている。


「……おい、俺の忠告、聞いてたか?」

「そりゃあまあ……でも、え? なんでわたし? 狙われるのは“美少女”なんでしょ?」

「おいおい、さすがにおまえ危機感、っつーか自覚なさすぎだろ」


 本気で心配になってきたのか、政吉の声音がやや重くなる。

 それでも、詩織には事の重大さがイマイチ伝わっていないようだった。


 一見、能天気にも見える反応。しかし、それもある意味当然といえるかもしれない。


 これまで被害に遭ってきた女子生徒は例外なく、トップアイドルやモデルのような飛び抜けた美貌を持ち合わせていたからだ。

 ただの一般女子高生からすれば、自分がその被害者に名を連ねるなど想像すらできないだろう。


 実際、教室内を見回しても事件に怖がっている生徒はほとんどいない。

 中には「私も殺されちゃうかも~」なんて笑い話のように冗談を言い合う女子生徒も見かけるほどだ。

 あるいは、“自意識過剰な女”というレッテルを貼られることを危惧して、怖くてもわざと平静を装っている生徒も一定数いるかもしれない。


 つまり、少なくとも一部例外を除いては、普通の女子生徒にとって案外無関係な事件なのである。

 もっとも、その一部例外というのがまさに詩織のような容姿端麗な生徒なのだが。



「おまえ鏡見たことあるか? その美貌で、自分は美少女じゃないとか抜かすなんて、世の中の女子全員を敵に回してるぞ」

「そ、そんなに……? そりゃあ、少しは見た目に気を使ってはいるけど……」

「幸いうちの学校からはまだ犠牲者出てねーけどさ、正直それも時間の問題だと思うぜ? で、仮にうちからも犠牲者が出るとすれば、それって学校で一番の美少女、つまり詩織が標的になるんじゃね? 真面目な話」

「そ、そんなことないでしょ! 買いかぶりすぎだって!」

「ちょっと嬉しそうに言ってんじゃねえよ。命狙われるかもしれねえってのに」


 呆れる政吉とは対照的に、詩織は頬を少し赤らめて動揺している。

 殺人鬼への恐怖と、政吉に美少女扱いされた喜びが混線しているようだ。


「とにかく、相手は女子生徒だけを狙って惨殺するサイコパス野郎なんだ。いくら警戒しても、しすぎることはないぜ。そうだよな、真紀(まき)?」

「なんでそこで私に話を振るんですか……」


 政吉からの急なパス回しに、隣の席の真紀は眉根を寄せて振り向いた。

 読んでいた文庫本をぱたんと閉じ、嘆息する。


「今の流れだと、私がサイコパスの気持ちがわかる人間みたいで不服なのですが」

「ん、そうか? まあどっちにしろ、警戒しろってのはお前も同意するだろ」

「まあそうですね。特に詩織さんは、男子からの人気もありますから注意が必要ですよ。私もですけど」

「自ら美少女宣言とは随分な自信だなぁおい。でもまあ、否定はしないでおいてやるぜ。お前の名誉のためにも」

「事実だと思いますけどね」


 なんて、軽口を叩きあう二人とは裏腹に、詩織の表情は先程より不安に染まっていた。


「ふ、二人とも……脅かさないでよ……」

「脅しじゃねえよ、警告だよ。真紀ほど自信たっぷりだと腹立つけどよ、自覚くらいは持っておいた方がいいぜって話だ」

「まあとはいえ、過度な心配は不要だと思いますよ。近隣の高校はほとんどが臨時休校になったみたいですし。多分うちの学校もそろそろ閉鎖になるんじゃないですかね。そしたら、無闇に外を出歩かない限り安全ですから」


 真紀が詩織に微笑みかけたタイミングで、始業のチャイムが鳴った。

 と同時に、担任の教師が教室に入ってきて、教壇に立つ。


 徐々に教室内の喧騒も収まっていく。

 その様子を見計らって、担任教師は普段とは異なる神妙な面持ちで口を開いた。


「はい、えーでは、今日はホームルームの前に、皆さんに伝えるべきことがあります。もう知っている人も多いと思いますが、昨夜、――」


 話題に挙げられたのは、やはり美少女連続殺人事件のことだった。


 男子も女子も、ほとんどの生徒が真剣に耳を傾けている。

 みんな無関心を装っているようで、やはり心の中では気になっているのだろう。


 事件の顛末――次は誰が狙われるのかを。


「…………まさか、ね」


 ポツリ、と詩織の口からこぼれた言葉は、他の誰の耳に届くこともなく、溶けるように消えていった。



 そして、本校においても、明日以降の全学級閉鎖が通告された。









 ――その日の夜。


「詩織さんって、見かけによらず案外図太いですよね」

「え? ど、どの辺が?」

「あれだけ政吉さんに忠告されたにもかかわらず、こんな夜遅くまで学校に居残りしているあたりが」


「私も人のこと言えませんけど」と、真紀は歩きながら肩をすくめた。


 気づけばすっかり日も暮れ、詩織と真紀は人通りのなくなった通学路を歩いていた。

 等間隔に並んだ街灯だけが、二人の前を怪しく照らしている。


「ご、ごめんね、真紀さん。こんな遅くまで手伝ってもらっちゃって」

「そこは別に構いませんけど。図書委員って思ったより大変なんですね」

「今回は特別だよ。どうしても今日中に整理しなきゃいけない書籍が溜まっちゃってて……。明日から学校も閉鎖されちゃうみたいだし」

「図書委員なら他にもいるんですから、分担すればよかったのでは?」

「……分担されたわたしの仕事分がアレだったんだ。今日までさぼってたわたしが悪いんだけど」

「……真面目なのか怠惰なのか、よくわかりませんね」


 責任感をもって仕事をやり遂げたことを褒めるべきか、大量の仕事をいままで放置していたことを呆れるべきか。真紀は苦笑いをこぼす。


「でも、私が手伝って、結果的によかったかもしれませんね。この時間に詩織さん一人で帰るのは危険ですから。連続殺人のこともありますし」

「…………そのことなんだけど」


 ぽつり、と詩織は言葉を漏らす。

 俯いて歩く彼女の肩は、少しだけ震えていた。


「やっぱり……わたし、狙われているの、かな?」

「…………」


 真紀は無言のまま、詩織を見つめる。


 辺りには他に誰もいない。

 二人を取り囲む暗闇が、詩織のつぶやき声を不自然なほど大きく響かせる。


「今朝、政吉に指摘されてから、その……改めて考えてみたんだ。そしたら、だんだん怖くなってきたの。いつか自分も殺されちゃうんじゃないかって。こんなこと、真紀さんにしか相談できないけれど……」

「てことは、自覚はあるんですね?」


 真紀の問いかけに、詩織は小さく頷いた。


「なら、まずは気をつけましょう。今まで以上にね。自分は大丈夫だって高をくくっていると、いつか痛い目見ますから」

「……うん。…………真紀さんも、ね」

「もちろん。まあもっとも、仮に私を殺しに来る奴がいたら、返り討ちにしてやりますけど」

「アハハ、なにそれ」


 真紀の言葉に、ほんの少しだけ表情を緩める詩織。

 ――と、



 ……………………コツリ。



「……あれ?」

「どうかしました?」

「いま、足音が……」

「足音?」


 真紀は後ろを振り向くと、訝しげに首を傾ける。


「誰もいないじゃないですか」

「え……?」


 つられるように、詩織も恐る恐る振りかえる。


 そこには誰もいない。

 暗く静寂な通学路だけが広がっている。


「……気のせい、かな?」


 再び前を向いて歩き出す二人。



 …………コツリ、…………コツリ、…………コツリ



「……ッ!?」


 詩織が立ち止まり、振り返る。

 暗く、飲み込まれそうなほど深い闇。

 そこには誰もいない。


「大丈夫ですか、詩織さん?」

「ま、真紀さんは聞こえなかったの?」

「……はい、何も」


 真紀の回答は、逆に詩織を不安にさせたようだ。

 震える詩織の肩に、真紀が手を添える。


「神経質になりすぎですよ、詩織さん。普通、誰かが人を襲うときは一人の時を狙います。逆に言えば、私と二人でいる間は安全なはずです」

「そ……そう、かな……?」

「はい。先ほど気をつけろとは言いましたが、警戒しすぎて疑心暗鬼になるのも良くないです。一旦落ち着いて――」



 …………コツリ



 過敏になった二人の神経が、かすかな音を拾う。

 そして振り返る。今度は真紀も表情を強張らせて。


「……やっぱり、気のせいじゃないよ!」

「…………ですね」

「逃げよう真紀さん! 早く!」


 詩織は真紀の手をとると、弾けるように走り出した。


 右に、左に、暗い路地の間を抜けていく。

 自分がどこを走っているのかも分からなくなる。

 それでも足を止めるわけにはいかない。詩織はがむしゃらに走り続けた。


 そして、いくつ目か分からない角を曲がったところで、足を止める。


 行き止まりだ。


 無機質なコンクリート塀と生け垣が、無情にも彼女の逃げ道を塞いでいる。


「だ、だめ……! 一旦戻ろう、真紀さ――」


 詩織は再び真紀の腕を引こうと、手を伸ばした。

 しかし、その手は空を切る。


「…………え?」


 振り向いて、絶句する。

 そこに真紀はいなかった。


 逃げるのに必死で、周りが見えていなかったのだろう。

 いつの間にか、真紀とはぐれてしまったようだった。


 詩織の表情から血の気が引いていく。

 手足は震え、呼吸は荒くなり、今にもパニックになりそうなほど瞳が揺れている。


 闇が不気味なほど静かに広がっている。たった一人、彼女を取り囲むように。



 …………コツリ、…………コツリ、…………コツリ



 靴の音が近づいてくる。さっきよりもハッキリと音を響かせて。


 詩織は涙のにじむ目をぎゅっとつぶった。


 これは、単なる足音だ。自分とは無関係だ。

 そう願うように、あるいは息をひそめるように、耳を塞いで、しゃがみ込む。

 恐怖で足がすくむ彼女にできることは、ただそれだけで。



 …………コツリ



 足音が、詩織の真後ろで止まった。


 詩織は、振り返ることができなかった。いや、動けなかった、という方が正しいだろうか。

 彼女の表情が、恐怖から絶望へと変わる。


 そして、足音の主が声を発する。



「おまえ、何してんだこんなところで?」



 聞き馴染みのある声だった。

 反射的に、だが恐る恐るといった様子で、詩織が振り返る。


 政吉だった。


 見知った友人が、不思議そうな表情で彼女を見下ろしている。


「制服姿ってことは……今から帰りかよ。いくら何でも遅すぎだろ」

「な、なんだ、政吉かぁ……!」


 心底呆れたようにため息をつく政吉。

 そんな日常的な光景に、緊張の糸が切れた詩織はペタンとお尻をついて、その場でへたり込んでしまった。


「もう、脅かさないでよ!」

「驚いたのはこっちだっての。もうとっくに帰ったのかと思ってたのに」

「それは……って、政吉こそ、どうしてこんなところに?」

「散歩がてらコンビニに寄った帰りだよ。俺、この辺住んでっからさ」


 言葉の通り、政吉はラフなスウェット姿で、手にはコンビニ袋をさげていた。

 先ほどの緊張感が馬鹿みたいに思えるほど、警戒心の欠片もない恰好。


「つーか、今朝学校であれだけ警告したのに、夜に出歩くとか何考えてんだよ」

「うう……そういう政吉こそ、無防備じゃん」

「俺はいいだろ別に。てか、にしても何でこんなところに? この道、通学路から結構外れてるだろ」


 言われて初めて気がついたように、詩織は周囲を見回した。

 どうやら知らないうちに、見知らぬ道に迷い込んでいたようだ。


「……ここ、どこだろう?」

「ハァ……ったくしょうがねぇな」


 政吉は嘆息すると、詩織に手を差し伸べ、立ち上がらせる。


「確か、詩織ってバス通学だったよな? バス停の場所なら分かるし、送ってってやるよ」

「え……いいの?」

「構わねぇって。こっちな」


 そう言うと、政吉は迷うそぶりもなく歩き出した。

 詩織はほっとした様子で後をついていく。


「あ、そういえば真紀さん見なかった?」

「真紀? いや、会ってねえけど、一緒だったのか?」

「うん。でも途中ではぐれちゃって……」


 と、そこでふと詩織が立ち止まり、後ろを振り向いた。


「…………あれ?」

「ん? どうした?」

「……ううん、何でもない」


 そう口では言いつつ、詩織の顔には不安の色が戻っていた。

 政吉は後頭部を掻くと、気を使ってか、普段より柔らかい口調で言う。


「ひとまず詩織を送るのが先だ。真紀のことなら、後で俺が探しておいてやるよ。だから安心しろ」

「う、うん……ありがと」


 その言葉に詩織はうなずくと、再び前を向いて歩きだした。



 どこまでも続く夜道を歩いていく。

 同じような光景が、永遠に続いていくような錯覚。



「……誰もいないね」

「元々この辺は人通り少ないんだよ。夜は特にな」

「…………なんか、助けを呼んでも誰も来なさそう」

「分かってんなら、のこのこ出歩いてんじゃねえよ美少女め」



 しばらくすると、やや大きな通りが見えてきた。

 街灯に照らされたバス停の看板が、遠くからでもはっきりと視界に移る。


「ここまで来ればどの道に出たかわかるだろ?」

「う、うん。ありがとう政吉。……あっ、バス!」

「お、しかもベストタイミングじゃん」


 詩織達がバス停に到着したとき、ちょうど遠くからバスのライトが近づいてくるのが見えた。

 程なくしてバスが止まり、扉が開く。

 詩織は一度周囲を見回すと、ようやく安心した様子で乗り込んだ。


「ったく、世話が焼けるなホントに」


 窓から手を振る詩織に手を振り返しながら、苦笑する政吉。

 バスが出発し、遠ざかっていくと、再び静寂が訪れる。



「……さぁて、と」



 薄暗いバス停の前に、政吉だけが取り残される。

 政吉は軽く伸びをすると、静かに口を開いた。


「そんなところで何突っ立ってんだ、真紀?」


 政吉の言葉に、背後にいた真紀が意外そうな顔をする。


「知ってたんですか? 私がついてきていたこと」

「当たり前だろ。なんで声かけてこねえのか気にはなってたけど。まあともかく、探す手間が省けてよかった」


 少しの間、沈黙が訪れる。

 二人の間を風が吹き抜け、街路樹の葉を揺らす。


「…………二人きりだな、真紀」

「……そうですね」

「つまり、今からここで何が起ころうと、目撃者は俺と真紀以外誰もいない、ってことだ」


 政吉が真紀の方を向いて、笑った。

 それはまるで、いたずらを仕掛けるときの少年のような、無邪気で楽し気な表情で、


「んじゃ、せっかくだし今から俺と夜のデートでもどうだ? ハハ、なぁんて――」


 瞬間、鈍色の光が煌めいた。


 ガサリと音を立て、政吉の手からコンビニ袋が落ちる。


 とっさに身をよじる政吉。

 だが、躱しきれなかったのか、両手で左の脇腹を押さえて苦悶の表情を示す。

 手からは血がこぼれ、服に赤いシミを作っていた。


「…………なに、しやがる……!」


 笑顔から一転、怒りと混乱を綯交(ないま)ぜにした眼で、政吉は血の付いたナイフを握る女――真紀を睨みつける。


「あらら、ちょっとズレちゃいましたね。お腹の真ん中を狙ったのですが」

「……テメェ、何の、冗談だ……!」

「冗談? フフ、この状況で冗談なんかするわけないじゃないですか」


 クスクスと嗤う真紀に、政吉は左手を突き出し、彼女に静止を促す。

 この状況においても、まだ政吉は勘違いをしていた。


「護身の、つもりか……? なら、誤解だ……! 俺は、おまえを襲う気なんか、微塵も……」

「誤解、ですか……。この期に及んで、()()()()()()()()()()()()()()姿()だということに、まだ無自覚なんですね?」


 不気味な笑みが、街灯の光で照らされ、浮かびあがる。


 政吉の瞳が、動揺に揺れる。

 気づいてしまったようだ。真紀が自分を襲った本当の理由に。


「…………ウソ、だ……そんな、わけ……」



 信じたくなかったのかもしれない。自分の友人が殺人鬼であることを。

 そして、()()()()()その標的となりえることを。



「これじゃ詩織さんのこと言えませんよ? ――ねぇ、“政吉春奈(まさよしはるな)”さん?」



 虚ろに見開く彼女の瞳は、はっきりと政吉の姿を捉えていた。


 ラフな格好でありながら、詩織に負けずとも劣らぬほど端正な顔立ちをしたボーイッシュな美少女の姿を。


 そして、滴る血を振り飛ばしながら、ナイフが突き出される。


「…………ふ、ざ、けるなぁッ!!」


 混乱の中、政吉が動けたのは、男勝りで好戦的な性格からだろうか。

 一瞬の隙をついて、政吉のハイキックが真紀の右手を弾いた。

 カランッと音を立て、ナイフがアスファルトの地面に落ちる。


「へっ! ナメんじゃねぇよ! ――ッ」


 刹那の出来事だった。


 バチッ!という放電音とともに、政吉が膝から崩れ落ちる。

 暗い笑みを浮かべる真紀の左手には、スタンガンが握られていた。


「残念でしたね。私も予備の武器くらいは用意してますよ」


 慣れた手つきでスタンガンを操作しつつ、真紀は政吉に馬乗りになった。


 その顔は陶酔に満ちていた。

 まるでご馳走を前にした蛇のように、舌で唇を湿らせて、嗤う。


 彼女の表情を見て、政吉の顔が青ざめる。

 だが、身体が思うように動かせないのだろう。必死でばたつかせる手足は虚しく空を切るばかりだった。


「暴れちゃダメですよ。きれいな体をメチャクチャにしたいのに、初めから傷がついてちゃ興ざめですもの」

「や……め、ろ…………ッ!」


 いくら叫んでも、いくらもがいても、痙攣する政吉の喉からは、か細い喘ぎ声しか漏れてこなくて。

 彼女の首筋に、再びスタンガンが押し当てられる。

 気づけば、政吉の目からは涙が流れていた。



「い、やだ…………! だれ、か……たす、け――」



 バチッ!と光が弾けると同時、政吉の体がビクリと跳ね、そのまま動かなくなった。


 真紀は一度立ち上がり、落としたナイフを拾う。

 そして、政吉の近くに歩み寄ると、恍惚とした表情で彼女の体を撫で始める。


「本当にいい顔立ちと体つきですね。……ふふ、ゾクゾクしちゃいます」


 うつ伏せの政吉を仰向けにさせ、彼女の顔、胸、お腹と順番に、愛おしそうに指を滑らせる。

 そして、お腹のところでスウェットをめくり、素肌にナイフの刃を立てる。


「でも、もうお別れです。――さようなら、政吉さん」


 真紀は狂ったような笑みを浮かべて、右腕を振り上げた。

 そして、鈍色に輝くナイフを、彼女の体に突き刺し――――




「……………………え?」




 カランッ、と、真紀の手からナイフがこぼれ落ちた。


 一体、何が起きたのか分からない。


 そんな表情で、真紀は()()()()()()()()()()()()を呆然と見下ろした。


「…………な、にこ、れ……?」

「散々他人を刺し殺しといて、自分がやられたら『何これ?』は無いんじゃない?」


 先程までの愉悦が嘘のように、真紀の表情が恐怖に塗り替えられる。

 ドクリドクリと脈動に呼応するように、傷口から服が赤く染まっていく。


 政吉の隣に、崩れるように倒れる真紀。


 その忌々しい殺人鬼の背中から、()()ナイフを引き抜いた。


「あ、なた……は、だ、れ………?」

「同じクラスメイトなのに、誰だなんて酷いじゃないか。ずっとキミ達のこと近くで見ていたのに、さ」


 教室でのやり取りも、下校中の会話も、僕は全部知っている。

 ずっと後ろから監視し続けていたのだから。


 もちろん、彼女達の観察は今日に始まったことじゃない。

 あの事件から毎日毎日、朝も夜も雨の日も休日も、見張り続けた。

 もはやストーカーと呼ばれても否定できないだろうね。感情は全く真逆なものだけど。


「例の連続殺人事件。キミが犯人だろうという推測は、前から僕の中で立っていたんだ。でも確証がなかった。だから、悪いけどキミ達を尾行させてもらったんだよ。犯行の決定的瞬間を捉えるためにね」


 そして、どうやら僕の推論は正しかったようだ。


 途中、足音に気づかれたり、詩織を追いかけるのに必死で真紀を見失ったことは想定外だった。

 てっきり次の標的は詩織だと思い込んでいたから、そっちばかり気を取られていたのが良くなかったのかもしれない。

 けど、何とか目的を果たすことはできたし、結果オーライかな。


 真紀の体を蹴って仰向けにさせる。

 彼女の表情が絶望に染まる。

 せっかくの復讐だ。殺人鬼の顔が後悔に歪むところを拝んでやろうじゃないか。


「喜べよ、美少女の死体が大好きなんだろ? 今から見せてやるからさ」

「……お、願い……許、して……ッ!」

「許すわけないだろ」


 僕は躊躇なく、彼女の喉元にナイフを突き刺した。


「いくらおまえが謝罪の言葉を並べたって」


 ナイフを引き抜いては刺す。引き抜いては刺す。

 何度も、何度も、何度も。


「僕の姉ちゃんは、もう帰ってこないんだよッ!!」


 差し込んだナイフで、そのまま喉を引き裂いてやる。


 鮮血が間欠泉のように湧く。

 ドクリドクリと地面に流れ落ちて、やがて勢いも無くなって。

 血だまりに一筋の涙をこぼしながら、殺人鬼はぐったりと動かなくなった。


 静寂の中、僕の鼓動だけが耳奥でうるさく響く。

 人殺しの実感は、まだない。

 ただ虚無感だけが僕の心を飲み込んだ。


 足元をふらつかせながら立ち上がる。

 死体の処理もしなきゃいけないけど、とてもそんな気にはなれなかった。


「……そういえば、犯行動機、聞きそびれたな」


 一瞬だけそんなことを考えて、すぐに首を振る。


 どうせろくな回答なんか返ってこないだろう。あの喜色に染まった顔を見れば、容易に想像がつく。

 奴を殺す前に聞いていたら、怒りで吐き気が込み上げてきたかもね。


 ふと、隣で眠るように気絶する少年――いや、少女が視界に入る。


「……ごめんな政吉、囮に使ったりして」


 幸い、彼女に大きな外傷はないし、呼吸も心臓も止まってない。しばらくすれば何事もなく目を覚ますだろう。それまでに僕は立ち去ることにする。


 だけどその前に、僕は彼女に語りかけた。


 美少女連続殺人事件は終わった。被害者は二度と戻ってこない。

 だけど、せめて政吉には……唯一生き残れた彼女には、伝えたかったんだ。


「どうか生きてくれよ。……姉ちゃんの分も」






 ***




 バスが発進し、しばらく窓の外に向けて手を振る。

 政吉が見えなくなると、わたしはバスの背もたれに身を預けた。

 深く、深く息を吐いて、脱力する。


「………………た、助かったぁ……」


 殺されるかと思った。


 あのとき後ろから聞こえた足音。あれは間違いなくわたしと真紀さんを狙っていた。

 だから、政吉と会ったときはホッとした。足音は彼女のものだと思ったから。

 でも違った。政吉と合流した後も、誰か足音が消えることはなかった。


 真紀さんのものでもない、何者かにジッと観察されているような感覚。

 ……いや、“ような”じゃなくて、本当にそうだったんじゃないかなって、わたしの勘は言っている。


 覚悟した。ついにその時が来たんだって。


 わたし達がやったことを考えれば、いつわたし達を憎む者が現れてもおかしくない。

 だけど……いざ本当に命が狙われたとき、こんなにも心が壊れそうになるなんて思わなかった。


 怖い。

 もういっそ殺されたほうが楽になるんじゃないかとさえ思える。

 だけど、自分の中の生存本能が、吐き気と寒気を生み出して強烈にそれを拒んでいる。


 震える両手を開いて、見下ろす。

 手のひらはジットリと手汗で濡れていた。

 気持ち悪い。でも……あの日の感触に比べたら、全然マシだ。



 わたしが初めて人を殺した、あの日。

 わたしをずっと虐めていた女の血が、手に、顔に、服に、べっとりとこびり付いた、あのときの感触は今でも忘れられない。



 視界のすべてが真っ赤に染まって、背徳感と達成感が同時に脳を襲って、麻薬のように感情を狂わせた。

 それは快楽に似た感情だったのかもしれない。

 あの瞬間から、わたしの日常は二度と後戻りできないほどに壊れてしまったんだ。



「……大丈夫かな、真紀さん」


 ふと、自分の相方のことが心配になる。


 わたしの秘密を知っていて、それどころか彼女自身も快楽殺人に手を染める、わたしの唯一の理解者にして共犯者。


 あのとき、真紀さんとはぐれてしまったのは、単にわたしが急に走り出してしまったからだろうか。

 それとも、彼女がわざと単独行動をとったのだろうか。……誰か標的になりえる人物を見つけたから。


「まさか、政吉のこと襲ったりしない、よね……?」


 もし政吉を殺せば、それはわたし達を追跡していた誰かにとって決定的な証拠となってしまう。

 そんなチャンスを、果たして復讐者は逃してくれるだろうか。


 それに……政吉がいなくなれば、わたしは本当の意味で日常を失うことになる。

 彼女はわたしにとって、たった一人の“普通の”親友だから。


 もちろん、いつかはわたしの本性がバレるときが来るかもしれない。

 そしたら、わたしの手で…………ダメだ、想像したくない。浮かんだ最悪な妄想を、親友の表情を、頭を振ってかき消す。



 気分転換に窓の外をぼんやりと眺める。

 ふと、道を歩く女子学生らしき人物に目が止まった。


「…………あの子、わたしよりかわいい」



 ――――ドクリ



 わたしの中の、ドス黒い感情が蠢いた。



 理性が止まれと叫んでいる。

 もうやめてって、泣いている。



 だけど、気づいたときには身体が勝手に動いていた。



 降車ボタンを押す。直後、バスは近くの停車所でエンジンを止めた。

 バスから降り、反対方向へと歩き出す。

 そして、カバンから取り出した手袋をはめながら、周囲を見回す。



 監視カメラは、ない。



 ――わたしは、かわいい女の子になりたかった。

 誰よりもかわいい女の子に。



 メイクの練習も、スキンケアも、ファッションの勉強だって、誰よりもした。

 だけど、どんなに頑張ったって、わたしよりかわいい女の子はいなくならないわけで。



 でも、初めて人を殺したあの日から気がついたんだ。

 このまま、自分よりかわいい女の子を醜い死体に変え続けていけば、いつか自分が一番になれるんじゃないか、って。



 わたしは、わたしの中に潜むどろりとした黒い化け物のような感情に操られて、

 暗い闇の中、カバンから凶器を取り出し、女の子の後を追いかける。




 美少女達の血が染みついたナイフは、嫌気がするほど手に馴染んでいた。

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