継承
「おつかれ様でしたー!」
2年になって最初の薙刀部の練習が終わり、汗を制汗剤でどうにかしてから制服に着替える。
「櫛稲ー、コンビニ行こー」
「ごめん咲野香! 先月推しの解散ライブがあって今月お金ないの!」
「あららそいつは……つまりこれからお金が貯まるってことだね?」
「悲しい現実を突き付けないで! あーもう思い出したら涙が……」
「はいはい、ゆっくり感傷に浸りなー」
咲野香は相変わらず遠慮がない。その分こっちも言いたいことを言えるので良いのだが、もう少し言葉を選ぶと言うことを覚えた方がいい。京都人として。いや、アタシも人のことが言えるほど雅ではないのだが。
コンビニをスルーして帰りを急ぐ。目に誘惑を入れてはいけない。冬が終わって日は高くなってきつつあるが、部活後はさすがに暗い。たとえ不審者が現れても返り討ちにしてやる気概があるので問題ないのだけれど。
ふと、路地の方から咳き込む声が聞こえた。気になって見てみればオジサンが一人壁にもたれて座っていた。ちょっと心配になって声をかける。一応警戒しつつ。
「ちょっとオジサン大丈夫? ……って、血出てるじゃん?!」
そのオジサンの腹部は切り裂かれており、大量の血が出ていた。まだ息をしているのが不思議なくらいだ。
慌てて駆け寄るが、こういう時ってどうすればいいの?! 止血? いや無理があるよこの大きさは!
あたふたしていればオジサンが喋りだす。
「ちと、ドジっちまってな……もう永くねえ」
「え、目の前で死の宣言しないでよちょっと! ええと、救急車救急車……」
スマートフォンを取り出そうとするアタシを手で制してなおも喋る。
「嬢ちゃんには悪いが、俺の使命を継いでもらうぜ。ここで出会ったのが運の尽きだと思って諦めてくれ」
「使命って何さ?! 遺言とかいいから死なないで!」
アタシの言葉は無視されてオジサンはアタシの手を掴み、何かぶつぶつと詠唱のようなものを始める。
「八百万の神々よ。今この時より、我の命此処に潰える。故に新たなる侍を見出さん。祇園大明神よ、この者に新たなる祝福を与え給え」
オジサンの詠唱が終わると、オジサンから繋がった手を通じて白い光がアタシの胸に届き、体の中に沈んでいく。
「え……? なんかあったかいような、力が湧いてくるような……? オジサン今何したの?」
しかし目をやった先に、先ほどまでいたオジサンは影も形もなくなっていた。
「あれ?! オジサン?! ……どこ行っちゃったのよもう」
しばらく途方に暮れていたが、どうすることもできなくなったことを認識した。
「はあ、帰るか。なんだったんだろ……」
そう独りごちり、路地を出た時、何かの気配を頭上に感じる。バッと上を向けばそこには自身の体長の三倍はあろうかという大きさの爬虫類のようなものが飛んでいた。全身を鱗に覆われ、蝙蝠のような翼を羽ばたかせ、二つの金色の目玉に浮かぶ縦長の黒い瞳孔でこちらを睨んでいる。
「な、何、あれ……」
考える猶予をもらう間もなく、その怪物はこちらに襲いかかってくる。
『……矛を構えよ』
突然脳内に声が響く。
「いや、アタシが持ってるのは薙刀で……っていうか何この声は?」
しかしいつの間にかアタシの手には一柄の矛が握られていた。催事で使うものかの様に飾り付けられており、しかも刀身は淡く光っている。
「え、何これ? てかもう変なの来るし! ええいどうにかなれーーー!」
今しがた手に入れた矛を目の前の怪物に向けて一払い。怪物の喉元を抉る確かな手応えと共に、怪物の絶叫が聞こえる。
「なんか効いてるっぽい! このまま行くよ! 薙刀部の次期エースを舐めるなー!」
怪物が怯んでいるのをいいことに一気に畳み掛ける。胴、羽、額、目、そして口の中へと五連撃を浴びせる。すると怪物は断末魔の絶叫を上げ、ズシンと地面に打ち付けられる。そして不思議なことに、その体は黒い霧となって消えていった。
「はあ、はあ、何とかなった……。それにしても、訳わかんないことばっか起きたわね」
一息つくと、いつの間にか矛も消えていた。怪物もオジサンも跡形もなく消え、疲労感だけが残った。
「考えてもわかんないし、帰ろ……」
この時はまだ、自分がとんでもない使命を継がされたのだとは気付いていなかった。これから先、何度あのオジサンを恨むことになるだろうか。