003 この匂い。この泡。
私の名前は、漢字で書くならば萌花。今はもう居ない両親が生前必死に考えて付けてくれたキラキラネームだ。カフェインの錠剤みたいな名前だなと思ったものだが、実際本当にそこから付けた名前らしい。理由は特にないとの事。実に両親らしい、私の遺伝子にも影響している適当さだ。
「モカ様! 聖マヌガレット王国、第三王女のフェイン・ル・マヌガレットと申します。以後お見知りおき頂ければ幸いです。」
「あ、あ、あたしは姫さまに仕える魔術騎士のミントっす!」
「ロレッツと申します。メイド長を務めさせていただいております。何なりとご用件をお申し付けください」
こうしてしっかり正面から観察し、肌の色や目の色を確認して、その個人名を聞いた感じ、どう考えても日本人じゃない。ただ、私の知っているいわゆる白人種とも何かが違う気がした。
聖マヌガレット王国という国の事は知らないのだが、私が世界のことを学んだ遠い昔の学園生活の頃に比べて、世界地図は何度も書き換わっている。国が合併したり分離したり名前を変えたりとやりたい放題だから、地球上の何処かにそんな名前の国が誕生していたのかもしれない。
そんな謎国の王女を名乗るフェインちゃんはまだ良い。メイドさんもまぁ良いだろう。問題は魔術騎士を名乗るミントちゃんだ。魔術騎士って何なの……。
一応、一番気になっていた事を聞いてみた。
「私、ドラゴン、なの?」
「……その姿や力を見て、ドラゴンって思わない奴はこの世に居ねえですよ?」
いや、まぁ、確かにそうかもしれないのだが。魔術騎士やドラゴンって。
「私がまだ子供の頃、困り果てた時に使いなさい、と、病床のお祖母様に言われて受け取った単筒に入っていたのが、モカ様を召喚したあちらの『祖母式:伝説のスーパー最強ドラゴン召喚魔法陣』になります。召喚儀式は3人で行いまして、7回目の今回、やっと召喚に成功したのです!」
「触媒が無くなる寸前だったっす。ギリギリで成功しやがりました!」
「私は魔力供給のみですが、成功して良かったです」
「ほう……ほう?」
魔法陣に召喚、触媒と来たか。改めて先程まで私が寝転がっていた布の表面に大きく書かれた魔法陣を眺めたが、何が書いてあるのかはさっぱりわからなかった。
しかし、その布に群がっている光をよく観察してみると、全身を発光させた羽の生えた小さな裸の女子が、ストロー状の物を使って蜜を吸うように布をちゅうちゅう吸っている姿だったのだ。
「この……小さな、子は?」
「小さな子? ああ、その光ってるのは珍しい種類っすけど低級妖精っす。ちょっぴり残った触媒を盗み食いに集まってきたんすね~」
……とりあえず、現時点では情報が少なすぎて、まだ何とも言えないのだが。
今、私が居るこの世界は、どうやら、元の世界ではない事が分かってしまった。小さな妖精さんが羽虫みたいにぶんぶん飛んでるだなんて、実に興味深いのだけど……まぁ、これ、間違いなく夢で確定だろう。
いや、まぁ、こんなお話の途中に現実に戻して申し訳ないのだけど、実際には夢とかいう生易しい代物ではなかったのだが、この時はそう確信していたのだ。まぁ、夢にしては妙に長いし、色々なものの造形がハッキリしすぎている気がしたのだけど……。妖精さん、その辺で自由にうんこしてるんだよ?
語り口調を戻すと。まぁ、戻すもなにも、最初からわりとグチャグチャだったかもしれないんだけど。まぁ取り敢えず、私はこの謎だらけで興味深い世界を探索できる幸運に感謝する事に決めたんだよ。三人娘に、こっちに来て~! というような事を言われたので、行くよ~っ! ってホイホイ付いていってしまうくらいにワクワクしていたのだ。
3人の後に付いていくと、私が召喚されたらしい場所よりももう少し奥のほうに、洞窟の形を利用して間に合せで作られたような、小屋のようなテントのような住居があったんだ。秘密基地って感じがして、年甲斐もなくドキドキわくわくしてしまった。
ワクワク、ドキドキだよ。中身は婆の精神とはいえ、見た目が若くなってるのだから、そのくらい感じても良いじゃないか?
「狭くて汚く、大変申し訳ございませんが……お上がりください」
その住まいの中は、姫様の言葉通りとても狭かったが、汚くはなかった。ここが汚いとするならば、私の家は豚舎の類で確定だ。そして間違いなく、私は豚だ。婆豚だ。
小さな円卓が用意されており、どうやらお茶の準備をし始めたロレッツさんと、周囲に座る姫様とミントちゃん。どうやら座ることを要求されているようなので、尻尾に気をつけながら何とか座ろうと頑張った。
そう、気をつけながら座ったんだけど。上手に座れないんだよ。さすがに尻尾が生えた経験のある人はそうそう居ないと思うのだけど、この時の私の尻には足より太い尻尾が生えているんだ。うまく動かせば何とか座れるんだけど、自分の尻尾に寄っかかって座ってる感じになってしまう。
ちなみにこの問題が大問題になるのはトイレなのだけど、その話は長くなるし、後のお楽しみにしておこう。
「モカ様、この度は我々の都合で召喚してしまい、大変申し訳ございません」
姫様が再び頭を下げてきたのだが、こちらとしては状況が良くわかっていない。知りたいことを列挙して聞きたかったのだが、私の口はそんな器用なことが出来る作りではなかった。
せめて、紙とペンがあれば……と思った所で手が勝手に動き、空中をひねるような動きをして、手を突っ込んですぐに引っ張り出したような感覚の後には、何故か紙の束とペンが握られていた。
「ぐぇ、マジっすか? 今、物を作り出しやがったっすか……?」
いやいや、作り出した感じではない。何か見えないポケットから引っ張り出した感じだったのだが……そういう説明を出来るわけがないので、サッと簡単に絵に書いた説明書きを作ってみた。
「これ、説明」
ひょいと手渡す時に気がついたのだが、2人とも妙にポカーンとした顔をしている。
「やけに書くの早いすね……? えっ、ちょっと姫さま、これ見てくださいよ……」
「すごく絵が上手ね……これって、空中の見えないポケットから取り出した、って事かしら?」
自分でも何なのかは良く分かっていないのだが、なんとなく話が通じそうだったので、とりあえず簡単に質問を書き連ねてみた。
(1)私を召喚した目的は何ですか?
(2)お姫様と聞きましたが、何故こんな暮らしを?
ところが、これを手渡してみると……どうやら文字が読めないらしい。日本語で喋っているのに、日本語の文字が読めないだなんて、一体どういう事なのだろうか?
仕方がないので、私は頑張って先程の文章を朗読する事にしたのだ。
「……いち、わたし、召喚……した、目的……」
私のポンコツな性能を最大限に考慮すれば、大変に頑張っていると言えるのだが、半分も読めていない時点で何も伝わっていない事は明白である。目の前の二人は、私が口下手な事になんとなく気がつきはじめているようで、それでも私の発言の終わりを待ってくれているようだ。
うん、何とも優しい子達じゃないか。まぁ、優しくても別に私の口は回り出さない訳だが。
そんな私の前に、自称メイドのロレッツさんが、不思議な形をした余り見かけない色合いのコップに注がれた飲み物を差し出してくれたのだ。
あっ? この匂い。この泡。これって……?
「取り敢えず、何か体が温まるお飲み物をと思ったのですが、申し訳ございません。マヌガルビーしか在庫がありませんでした。お口に合えば良いのですが……」
「残念ですね、ワインの在庫は切れましたか……」
ワインですって。こういう場合に出す飲み物ってお茶とかなのでは? いや、文化の違いとか色々あるだろうし……と、コップを手に取ってその冷たさに驚いた。そして、この注がれている液体……。これはもう、一気に飲むしか無いだろう!
ごく、ごく、ごくごくごくごく!!
うわっ、うわああああ~~~~!!! これ、これ、これよ!!!