23『猿』京極夏彦
ホラーってもしかしたらエッセイと同じくらい作者と読者が同じ景色を見られるジャンルなのかもしれないなと思うなどしたふとんねこより、久々のご紹介です。
『猿』
京極夏彦
ハードカバーの本は格好良いけど重たいですね。一気読みしたので何度も持ち替え、体勢を変え、首を痛めるなどいたしました。でも楽しかったです。
京極夏彦先生の十二月の新刊でした。
新型コロナの後遺症で抱えた倦怠感からコミュニケーション能力がおかしくなり、長く引きこもっている夫を持つ主人公が、付き合い皆無の曾祖母が山奥の限界集落で亡くなったと言うことで遺産相続関係の話し合いをしに現地へ向かう――前に夫が口にした「猿がいる」に意識を不穏へ持っていかれるところから始まるホラーです。
いつも通りおすすめポイントをばと思いますが、京極夏彦先生の作品をご紹介するのはとても緊張するなどするふとんなのでした。
【言語化された言語化できない恐怖】
怖い――この言葉がたくさん出てきます本作品ですが、何が怖いのか全部きっちり書かれているのです。
漠然とした、日々我々が感じる恐怖。それを先生の筆力でごりごりに言語化されておりますので「あ、わかる」となるんですが……それでも尚「ただ、怖い」となる心地。
それは、言語の外にある我々の根源に関わる恐怖なのかもしれません。
これを読んでいて冒頭の「ホラーってもしかしたらエッセイと同じくらい作者と読者が同じ景色を見られるジャンルなのかもしれないな」と思ったんですよね。
読者が怖いと思う作品は、多くの人間が怖いと感じることを作者が言語化しなければならないわけじゃないですか。
それには、作者もそれを怖いと思っていなければならないんじゃないかと思うんです。
読み終えてから「京極夏彦先生もこういうものが怖いのかなぁ」と思うなどしたりして。
私たちは文章を通して同じ恐怖を共有しているのかもしれませんね。
【在か不在か、やはり在る】
京極夏彦先生がお話を書いた絵本の『いるのいないの』ってあったじゃないですか。
子供向けということもあって、やはりそこにあるのは人間の根源に関わる恐怖なんですけれど、今回の『猿』に似たところがあるなぁと。
おばけなんていない、そう思って我々人間は日々を暮らしておりますが、それでも怖くなるのは「でもやっぱりいるかもしれない」と考えてしまうからで、その恐怖を「でもやっぱりいない!」と振り払った背後に、おばけがいるかもしれないわけです。
それって「おばけなんていない」と思い込んで頑張ろうとしているこっちの領域におばけが無遠慮に踏み込んでくる、嫌、というより厭な気持ち。
それを凄まじい現実感を伴って描き出されておりますので、読んでいる間部屋の隅、ベッドの下、自分の後ろが気になって仕方がなかったです。とても厭。
【付きまとい続ける“猿”】
主人公の夫が冒頭口にした「猿がいる」。これにより主人公は物語の間中ずっと「猿」と感じるものに付きまとわれ続けるのです。
それは視界の端に過った影だったり、山奥だからこそ本物の野猿だったり、新幹線の線路に入り込んだ小動物のニュースだったりするわけですが……
果たして、それは本当に「猿」だったのか、恐怖がたまたま耳にした「猿」の姿をとったのか、そもそもそれは何故「猿」なのか、というぞわぞわが我々読者にも最後まで付きまとい続けます。
我々は、言霊といいましょうか、名付けてしまったが最後それをそれと定義してしまう性分です。だから主人公も読者も、はじめに主人公の夫から「猿がいる」と言われて、不安感でしかなかったそれを「猿」と認識させられてしまうのだと思います。
選ばれたのが「猿」なのが絶妙ですよね。
人に似ていながら人の心は無い(作中で主人公の夫がこう言っていました)、だからこそ怖い。あとシンプルに現代では害獣ですよね。それも怖い。
主人公に影のように付きまとい続けた「猿」が一体何なのか、ぜひ読んで確かめてみてほしいですね。
こんなものでしょうか……
たまぁにしか本棚エッセイを書かないので毎度手探りです。自分のエッセイなのに。
今回の『猿』で「ホラーってもしかしたらエッセイと同じくらい作者と読者が同じ景色を見られるジャンルなのかもしれないな」という知見を得たので、今後のホラー執筆に活かしてみたいと思いました。
そう言えば最近は『近畿地方のある場所について』の流行の結果「~について」っていうタイトルのホラーが増えましたね。後追いの量産品は好きでないので避けております。めっちゃ余談。
全編通して「恐怖とは何か」を突き詰め続けたような『猿』、ぜひ読んでみてください。
それでは、また次回のご紹介にて!!
新年一発目が厭なホラー(褒め言葉)なの、今気づいて複雑です。




