結の巻 桜メモリアル
困っている僕に桜の苗木を譲ってくれた親切なおばあさん。
おばあさんがまだ20歳そこそこの新婚時代だった頃、大きな戦があったんだって。
彼女の夫は兵隊としてその戦に参戦しなきゃならなくなって、その出発の朝、桜の苗木が植えられた自宅の庭で妻に約束したんだ。
必ず戻ってくると。
そして自分が植えたこの桜の苗木を一緒に育てようと。
だけど夫が戻ってくることはなかったんだ。
激しい戦の中で彼は命を落としたからだ。
僕らNPCはゲームキャラだからゲームオーバーとなってもコンティニューで復活できるけれど、この時に限ってはそうはならなかった。
運営本部が戦の後に大幅なアップデートを行い、この戦で命を落としたNPCを戦死者として設定してしまったからだ。
こうして若き時代のおばあさんは愛する夫を唐突に奪われてしまったという。
遠い目をしたまま穏やかにほほ笑みながらおばあさんは言った。
「ワシは大切な者の手を放してしまったんじゃ」
「おばあさん……」
「NPCというのは時に不条理を受け入れて生きなければならぬ。仕方のないことじゃったんじゃ。じゃが今でも後悔しているのは、自分の子供がじきに生まれてくると知らずに夫が逝ってしまったことじゃ。それを知っていたところで夫の運命は変わらなかったじゃろうが、せめて教えてやりたかったのう。自分の子がこの世に生を受けるのだと」
おばあさんが自分のお腹に夫の子供が宿っていることを知ったのは、夫の戦死を知らされた後のことだったという。
それからおばあさんは子を産み、育て、人生を必死に生きてきた。
だけどそんな日々の中にあって彼女は毎朝、庭の苗木の前に立ち、かつて夫が出かけて行った方角を見つめることを一日もやめられなかったという。
あの日に出かけて行った夫との約束は果たされないまま、待ちぼうけだと分かっていても。
大樹へと成長していく桜を見守りながら、おばあさんは何十年もそれを続けたんだって。
「ワシは心のどこかで夫の死を受け入れていなかったんじゃな。じゃからずっと、この苗木の下で夫を待ち続けていたんじゃ。愚かな婆様じゃよ」
「そんなこと……そんなことありませんよ」
僕はそれ以上どう答えていいのか分からずに黙り込んだ。
彼女が重ねてきた時間は尊くて重い。
僕みたいな若輩が何かを言えるわけがない。
おばあさんがどんな気持ちで苗木の前に立ち続けたのかを考えると、僕はNPCとして生きる不条理に胸が押しつぶされそうになる。
もちろん僕らのゲーム世界は現実世界と同じ時間が流れているわけじゃない。
実際におばあさんが何十年も生きてきたわけじゃないんだ。
だけどそれが設定だとしても、彼女にとってそれは紛れもない現実であり、重ねてきた日々の重さは本物なんだ。
だからこそ僕は気になった。
「どうして……どうしてそんな大切な苗木を僕に譲ってくれたんですか?」
そう尋ねる僕におばあさんは優しい笑みを浮かべて言った。
「時は移ろうものじゃ。年寄りがいつまでもしがみつくばかりでは、この苗木もいい加減重たかろう。未来ある若者に見られてこそ、桜も報われるというもの」
「おばあさん……」
おばあさんはニコニコしながら皆の様子を見回して言った。
「若者よ。おまえさん、随分と仲間に慕われておるのう。おまえさんが積み上げてきた徳のおかげじゃな」
「えっ? いえ僕はいつも皆に助けられてばかりで……」
「全てはおまえさんが築いてきた縁の結果じゃて。いつぞやはワシの曾孫娘まで世話になったのう」
その言葉に僕は首を捻る。
ん?
曾孫娘?
誰のことだ?
「あの、それって一体……」
僕がそう言いかけたその時、おばあさんが腰を上げた。
「さて。そろそろワシはお暇するよ。恩に着るぞ。若者よ。この桜を最後に咲かせてくれて。縁を大事にしなされよ」
「え? 最後って……」
僕がそう言いかけたその時、無風のはずの洞窟内に一陣の風が吹き抜けたんだ。
「うわっ……」
顔に吹き付ける強い風に思わず目を閉じた僕が再び目を開けると……視界いっぱいに桜吹雪が舞い踊っていた。
突然のことに僕は息を飲み、花見を楽しんでいたミランダたち5人も声を失って立ち尽くす。
そんな僕らの目の前にあったはずの桜の苗木は、一本の大きな桜の木に変貌を遂げていたんだ。
「す、すごい……」
その堂々たる満開ぶりと、豪華絢爛に舞い散る桜の花びら。
世にも美しい桜の大樹が突然目の前に現れた。
誰もがその不思議な現象に目を瞬かせていたけれど、桜のあまりの美しさに目を奪われて誰一人としてその場から身動き出来ずにいる。
その時、艶やかな桜の姿を陶然と見つめ続ける僕の耳に、不意におばあさんの声が響いたんだ。
「大切な者と繋いだその手を、決して放さぬようにな」
まるで耳元で囁かれたかのようなその声にハッとして僕が後ろを振り返ると、おばあさんの姿はどこにもなかった。
「あれっ?」
僕は驚いて周囲を見回すけれど、ほんの少し前まですぐそばにいたはずのおばあさんはどこにも見当たらなかった。
ミランダたち5人もおばあさんが突然いなくなったことに驚いて周囲を見回している。
その時、桜の木に変化が起きた。
見る見るうちに太い幹は痩せ細り、背の高い大樹が縮んでいく。
立派な桜の木はあっという間に枯れた苗木に変わり果ててしまった。
あれだけ舞い踊っていたはずの桜の花びらも、まるで夢だったかのように消えていく。
ど、どうなってんの?
皆が困惑して顔を見合わせる中、ジェネットは神妙な顔つきで告げる。
「あのご婦人。何か様子がおかしいと思いました。食事も口にされませんでしたし、まるで生気を感じさせませんでした」
ジェネットの話にノアも追随する。
「老婆は篝火の前に立っても影がなかったぞ」
「てめえノア。そういうことは早く言えよ」
文句を言うヴィクトリアの隣でアリアナが青ざめた顔をしていた。
「も、もしかして、あのおばあさんって……ゆ、ゆゆゆ、幽霊ぃぃぃ?」
「うるさいアリアナ! ガタガタ騒がない。落ち着きなさい」
皆が動揺する中、僕は枯れた苗木にそっと手を触れた。
おばあさん。
彼女がどういう存在だったのかは僕には分からない。
でも不思議と僕の心に驚きよりも温もりを残してくれたんだ。
彼女はもしかして……旦那さんのところに行ったのかな。
大切な人と引き離される人生が、彼女にとって不幸なだけのものだったのか、僕には分からない。
でも、最後に桜を見つめるおばあさんは満足そうに微笑んでいてくれた。
きっと、おばあさんの人生は辛いことばかりじゃなく、楽しいこと嬉しいこともあったはずだよね。
そう思ってさっきまでおばあさんが座っていた場所を見つめていると、唐突にこのフロアに一匹のコウモリが紛れ込んできた。
そのコウモリを見た途端、ジェネットがサッとその場に片膝をついて畏まる。
するとコウモリはそんなジェネットの肩にピタッと止まった。
そしてその口から人間の言葉が発せられた。
『相変わらず騒がしい奴らだな』
こ、この声は……神様?
神様ってのはジェネットの直属の上司であり、このゲームの顧問役を務める人だ。
僕らのために色々と力を貸してくれる偉い人だった。
以前もそうだったけど、神様は部下である科学者ブレイディの薬液を使って色々な動物の姿に変身するんだ。
今日はコウモリか。
僕は戸惑いながら神様に声をかけた。
「またブレイディの薬ですか。最近、動物の姿にハマッてるんですか?」
『まあな。色々とバリエーションがあって思いのほか楽しいのだよ』
そう言うと神様は枯れてしまった苗木に飛び移った。
その後、ジェネットから報告を受けた神様は苗木の分析をして真相を割り出してくれたんだ。
僕がおばあさんから譲り受けた苗木には強力な魔法がかけられていた。
それは桜の成長と老化を止め、花を咲かせた状態を保てる時魔法だったんだ。
そしてその時魔法をかけた主があのおばあさんだという。
彼女の名前はカヤ。
かつては王宮付きの優秀な時魔道士であり、数年前に引退してからは息子家族と共に城下町で暮らしていたんだけど、昨年亡くなってしまったんだって。
その話を聞いてアリアナは「やっぱり幽霊!」と卒倒していたけれど、神様が言うにはプログラムの残滓があの苗木に残っていて、僕らに幻を見せたんじゃないかということだった。
それもこれも、おばあさんが自分が亡くなった後も効果が持続するほどの強力な時魔法をかけたせいだと神様は考えているようだった。
「しかし、いかに強力な魔法とはいえ、術士が死んだ後も永続的に効果を保てるわけではない。必ず終わりの時は来る」
おばあさんの魂が宿るその桜が最後に大きく咲き誇ったのは、その時魔法の効果がいよいよ切れる寸前の最後の灯火のようなものだったのではないか、と神様は推測した。
そしておばあさんが僕に言っていた曾孫娘というのは……。
「マヤちゃんだったのか」
それは以前のバレンタイン騒動の時に城下町で出会った幼い少女だった。
迷子になっていた彼女を僕は母親の元へと送り届けたんだけど、その時にマヤちゃんはアリアナの凍りついたチョコレートを偶然発動した時魔法で24時間前の状態に戻してくれたんだ。
確かマヤちゃんの曾祖母がかなり高名な時魔道士だと言っていたよね。
それがカヤおばあさんだったんだ。
カヤさんはあの時も僕を見ていてくれたんだね。
こうして僕らの初めてのお花見は、ちょっと不思議な余韻を残しつつ幕を閉じた。
★☆☆☆☆☆
その翌日。
僕は枯れた苗木の鉢植えを傍らに置き、ミランダと通常業務に就いていた。
「ねえミランダ」
「何よアル」
「この苗木なんだけど……」
「洞窟の裏手の山なら日当たりがいいわよ。そこにでも植えておきなさい」
「えっ?」
「あそこならちょくちょく様子を見に行くことも出来るでしょ」
彼女の言葉に僕は思わず驚いて目を見開いた。
たとえ土に植えたとしても、枯れてしまったこの苗木が再び花を咲かせることはない。
それでも僕はどうしてもこの苗木を捨てる気にはなれなかったんだ。
これはカヤさんが生きた証だから。
僕はそっと苗木に手を触れた。
そんな僕を見てミランダはフンッと鼻を鳴らす。
「あんたの言いそうなことは大体分かるわよ。いいんじゃない? 初めての花見の記念に残しておけば」
「ミランダ……ありがとう」
縁を大事にする。
今日も目の前にいてくれるミランダを見つめながら、僕はカヤさんが残してくれた思いを胸にしっかりと刻んだんだ。
そんな春の日の出来事だった。
【完】
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回作の掲載時期はまだ未定ですが
長編となる『だって僕はNPCだから 4th GAME』の構想を練っております。
いずれ皆様にお届けするつもりですので
その時はまたよろしくお願いいたします。