解決編
そこは昼間事情徴収に集められたのと同じ事務室だった。風花と有働刑事がいた。二人だけではない。事情を聞かれた者たちはみんな同じように集められていた。
「一体全体、なんのつもりなのかね」
有働の声は少し疲れて不機嫌そうだった。
「今回の事件についてお話ししておきたいことがありまして集まり直してもらいました」と風花は部屋にいる人たちの顔を一人一人順番に見ながら、丁寧な口調で話し始めた。
「最初に確認します。
警察は今回の事件を外部からペンションに侵入してきた強盗として捜査をしている。で良いですか?」
「捜査方針をベラベラ喋る訳にはいかんが、まあ、そう思ってもらって結構だ」
「分かりました。
みなさんに集まってもらったのはこの事件のもうひとつの可能性についてお話ししようと思ったからです」
「もうひとつの可能性?」
有働は片方の眉を上げた。
「そう。今回の密室殺人のもうひとつの可能性」
「ごめんなさい、風花さん。
これは密室殺人ではないわ。犯人は窓から侵入しているのよ」
風花の発言に佳苗が口を挟んできた。風花はチラリと佳苗の方へ視線を投げたがすぐに何事もなかったように言葉を続けた。
「私が引っ掛かったのはそこ。
本当に犯人は窓から入ってきたのか?です」
「雪の足跡が残っている。川からペンションまでの、そして反対にペンションから川まで戻っている足跡がはっきりと残っている」と有働はいった。
「残された足跡だけ見ても、川からペンションに来て戻ったのか、ペンションから川まで行ってペンションに戻ってきたかは分からないわ」
「なんだって?」
風花の指摘に有働は驚きの声をあげた。
「犯人は夜霧さんを殺害した後にわざわざ雪の中をペンションから川まで行って戻ってきたと言うのか?
馬鹿な、なんでそんなことをしなくてはならないんだ」
「それについてはおいおい話すとして、そう考えるしかない出来事が少なくとも多々あるの。
一つは窓を割られたときに夜霧のおっちゃんが気づかなかったこと」
「いや、それは前に言っただろ。ヘッドフォンをしていて聞こえなかったと」
「音は聞こえなかったかもしれないけど、寒さは感じたはずよ」
「寒さ?」
「あのおっちゃん、すごい寒がりだったみたい。
エアコンだけじゃ寒いってことでわざわざ暖炉の薪を取りに行かせてる。そんな寒がりな人が割れた窓から吹き込む冷気に気づかないものかしら?とても気になる点よ。
二つ目は、犯人は何でわざわざおっちゃんの部屋に押し入ったか?
仮に犯人が川から歩いてきたとするわ。そうすると到着したのは夜の10時ごろ。この時間だと、ノートパソコンで書き物をしていたおっちゃんの部屋は当然明かりがついている。そして、証言によると武藤さんと佳苗さんが打ち合わせをしていたから武藤さんの部屋にも明かりがついていたはず。
では犯人はなんで明かりのついていない佳苗さんの部屋じゃなくておっちゃんの部屋に入ったのかしら?
私が空き巣なら明かりのついている部屋は避けるわ。
三つ目は、凶器の『白頭くん』をどうして持っていったのか?
私、試しに自分の部屋にあった『白頭くん』を持ってみたのよ。
これが結構重い。1キロはあるかな。こんな重いものを持って雪の中を1時間も歩くのはかなり大変だと思う」
「証拠隠滅のためだろう」
「証拠隠滅?だとしたらなんで川縁に捨てたんだろうって思っちゃうわけよ。
一生懸命持ってきたんだから舟に乗った後適当なところで川に投げ込めばいいんじゃないかなぁ。まるで私は現場からここまで歩いて来たんだってことを伝えたかったみたい」
有働は小さく唸った。
「なるほど、確かに不自然な点がたくさんありそうだが、やはり、最初の質問に戻ってしまう。なぜ犯人はそんな手間のかかることをしたんだ?」
「この事件の発端は多分偶発的だったんだと思うの。
手近にあった『白頭くん』を凶器に使ったところから推測するに犯人は計画的におっちゃんを殺すつもりはなかったはず。なにかのきっかけで感情的になって殺してしまったんだと思うの。
我にかえって、犯人は愕然としたのよ。
殺してしまったこともそうだけど、自分の置かれている環境が期せずして閉ざされた空間になっていることにね」
「クローズドサークル?」
委員長が意味が分からない、という表情を風花に向けた。
「何らかの事情で外部との連絡を絶たれた空間のことよ。
難破船とか、嵐の中の孤島。そして、雪に囲まれたペンション。
クローズドサークル内で殺人が起これば犯人はサークル内の誰かしかいない。
計画的な殺人じゃないからアリバイも作れない。だから、犯人はクローズドサークルを破ることにしたの」
「雪にわざと足跡を残して、あたかも外部からペンションの侵入者があるように見せかけた、と言うことか」
有働刑事の言葉に風花は頷く。
「そう。外部から侵入の痕跡があるならば、多少細部に不審な点があっても自分と犯行を結びつける証拠さえなければ言い逃れができると考えた。
そうですよね。文月佳苗さん」
風花は挑むように文月佳苗を見据える。佳苗は腕をくんだまま、風花の視線を真っ向から受け止めた。口角がつり上がる。綺麗だけれど、どこかいびつな陶磁器を思わせた。
「なんで、私に聞くのかしら?」
「あなたが犯人だからです」
「なにを馬鹿なことを。
私がどんな理由で先生を殺さなくてはならないの?
それに忘れたのかしら。犯行のあった10時には私は武藤さんと打ち合わせをしていたし、ドアには鍵も掛かっていた」
「理由は恐らく、あなたが夜霧光太郎のゴーストライターだったからよ」
「ゴーストライターだって!」
武藤が文字通り飛び上がらんばかりの声をあげた。実際に数センチ腰が浮いていたかもしれない。
「夜霧光太郎の今話題の本を電子書籍で読んでみたの。
『成美おばさん』シリーズだっけ。
うん、面白かった。私たちの世代のことを良く知ってるって感心しちゃった。
だから、なおさら思ったの。あんなムサイおっさんには絶対書けないって。
犯行時刻が10時というのは犯人が川からペンションまで歩いてきた前提の話よ。ペンションから川へ行って戻って来たのなら、犯行時刻はまるっきり反対の解釈になる。つまり、雪の止んだ9時から10時の間になるのよ。
私の考えはこうよ。
武藤さんが部屋を出ていって9時頃にあなたとおっちゃんは執筆のことかなにかで言い争いになった。そして、あなたは衝動的におっちゃんを殺害してしまった。
冷静になって焦ったあなたはさっき言ったようにクローズドサークルを破ることを思いつく。そのためにまず、目撃者になる可能性のあった武藤さんをどうにかしなくてはならなかったの。
あなたは部屋に戻ると薬、確かに不眠症で医者に通っているっていってたから、睡眠導入剤が睡眠薬を処方されてるんだと思うのよ。で、その薬をコーヒーに入れて飲ませた。
そして、おっちゃんの部屋に戻ると窓ガラスを割り、ペンションから川まで歩いていって『白頭くん』を捨ててまた戻ってきた。ペンションに戻ったのが多分零時半ぐらい。
その後、凍えた体を暖めるためと、返り血を洗い流すためにお風呂に入った」
「鍵は?ドアの鍵はどう説明するつもり」
「ああ、あれ?
あれはもう、推理小説では超古典って感じよ。
朝、あなたと愛ちゃんがおっちゃんの部屋に入った時、鍵はあなたが持っていた。
そして、愛ちゃんが割れた窓に気をとられている隙に鍵を置いて、あたかも最初から部屋にあったと錯覚させた。
どうかしら?」
風花が話終えると事務室は沈黙に包まれた。佳苗も黙りこくったままだ。ただ、微かに肩が震えていた。震えは徐々に大きくなり、やがて、佳苗の口から笑い声が漏れ始めた。
「フフッ、フッ、フフフフ。
風花ちゃん。あなた、才能があるかも。小説を書いてみたらいかが?
とても独創的で面白い発想ができる人よ。
で、証拠は?可能性としてはあり得なくもないけど、今の話を裏付ける証拠はあるの?」
今度は佳苗が射すくめるような鋭い視線を風花に浴びせかけた。
「そのオレンジのインナー、似合ってますね」と風花は言った。緊張感のない、普段の日常会話のような物言いだった。それだけになにを企んでいるのか推し量れず佳苗は戸惑う。
「昨夜のお風呂場でもその服でしたよね。
でも、最初に会った時、昨日のお昼頃は赤のニットじゃなかったですか?」
風花の指摘に委員長が小さく、「そう言えば」と呟いた。
「今、そのニットはどこにありますか?」
「えっ?そ、それが今、なにか関係あるの?」
佳苗の声が少し震えていた。
「衝動的な行動だったから犯人は返り血を浴びているはずです。当然、その時着ていた服にも沢山血がついていると思うの。
佳苗さん、着ていた赤のニットは今どこにありますか?」
「もう無いわ。破ってしまってね。嫌になっちゃたから暖炉で燃やしたわ」
「燃やしただって?!」
驚きの声を上げたのは有働刑事だった。
「破れたかなにか知らないが、そんな言い訳が通ると思っているのか」
有働刑事の目が険しくなった。あからさまに怪しんでいる。しかし、そんな有働を佳苗は冷ややかな目で眺めるだけだった。
「一体なんの言い訳を私がしなくてはならないのですか?自分の服をどうしょうと私の勝手でしょう。それが罪に問えるのですか?」
開き直りとも思える物言いに有働は言葉をつまらせた。確かにこれ以上の追求は難しい。
「服はいつ破けたんですか?」
風花が落ち着いた声で質問した。
「先生の部屋を出て、自分の部屋に戻ってからよ」
「何時頃の話ですか?」
「さあ、9時から10時の間かしらね」
「おっちゃんの部屋から一旦自分の部屋に帰ってから、武藤さんの部屋に行ったんですね」
「そうよ。言っておきますがその時には服は破けていて着替えています」
「武藤さんの部屋を後にして、もう一度おっちゃんの部屋に戻ったんですよね」
「ふふ、引っかけようとしてもダメよ。
武藤さんの部屋から出てから先生の部屋には一度も寄ってないわ」
「昨夜の9時におっちゃんの部屋を出たのが最後でそれ以降にはおっちゃんの部屋には行っていない?」
「行ってないわ。次の日の朝までね」
「本当に?」
「しつこいわね。そうよ」
風花は静かに目を閉じた。ポケットに手を突っ込むとごそごそとなにかを取り出した。
「ジャーン。これな~んだ」
緑色のキャップのついたチューブだった。
「夜中にみんなで塗ったハンドクリームだよ。
佳苗さんも塗ったよね」
「それがなんだと……あっ!」
佳苗の顔がみるみる白くなった。
「有働さん。おっちゃんの部屋の鍵にこのクリームの成分がついているか調べてみると良いよ。このクリームが鍵についていたら、それは一体何時ついたのか?
誰がつけたのか?
念のために言っておきますが愛ちゃんはべとつくのが嫌だってつけていません。
ねっ、とても興味が出てくるでしょ?」
□□□
「スキーとボードどっちやろっか?」
受け付けのソファに腰掛け、風花はかれこれ10分は悩んでいた。隣で同じように腕をくんだ愛が神妙な表情で悩んでいた。
「あーー、やっぱ、降参!
ねー、ねー、結局さ、あのおじさんの机の上に置いてあったのってなんだったの?」
「えっ?なにまさか、そのことを悩んでたの?」
「そーだよ。もう気になって気になって」
「あれはね――」
その時、背後から男の声がした。二人が振り向くと有働刑事がたっていた。
「やあ、見つかったよ。
君の忠告通りにトランクを入念に調べたら、発見できた。いや、本当に君は凄いな」
「それで証拠になりそう?」
「ああ、ばっちり血痕が付着しているから証拠として申し分ないよ。さすがにあれを見つけらたら、あの女史、観念してポツポツ話始めた。まあ、君の推察通りだったけどね。
『こんなショボい小説がそれでも本になるのは俺の名声のお陰だ。お前は一生ゴーストライターをしていろ』と言われてカッとなったんだそうだ」
有働刑事はこの上なく上機嫌らしく、惜しげもなく捜査上の秘密を話して聞かせてくれた。
「なに?何が見つかったの?」
今一つ置いてきぼりな愛は有働と風花の顔を交互に見ながら答えをねだる。
「さっきの質問の答えよ。
机に置いてあったのは佳苗さんが書いた手書きの原稿よ。そして、殴打したときに血痕が付着した正真正銘の動かぬ証拠よ」
「しかし、なんだなぁ。なんであんなヤバい物を処分しなかったんだろうなぁ」
有働は不思議そうに首をひねる。
「服とか燃やせても自分が精魂込めて書いた原稿は焼けなかったってことかな。
それが小説家の業ってやつなんでしょう」
風花はそういうとコーヒーを運んでくる委員長に笑顔を向けて手を振った。
2020/01/15 初稿
《主な登場人物》
・神凪 愛
高校二年生。
神凪流古武術宗家の一人娘にして、次期継承者。
古武術ちょっと役に立ったが、別にドアを壊す必要はなかった。
後からペンションのオーナーと警察のヒトからめっちゃ怒られた
・今春 風花
愛の親友 愛称 ふぅちゃん
ついに本名が出た。設定も決まった
更に姉が二人居ることも判明した
・茴木 涼子
委員長
容姿端麗、性格よし、頭よしの天が二物も三物と与えちゃった人
愛への愛が深く尊い
作者的にはいじりやすいとても便利なキャラクター
・富樫昌信
ペンション白頭のオーナー
・富樫喜代美
ペンション白頭の従業員
昌信の妻
・木崎透
ペンション白頭の従業員
・夜霧光太郎
推理作家
ペンション白頭に執筆に来ている
『来た 見た 死んだ』的なキャラクター
・文月佳苗
夜霧の秘書
眼鏡の美人
外観はおとなしそうだが腹黒い
・武藤洋介
出版社 伯文社の編集者
缶詰にした夜霧の監視者
別名スーツの男
・有働帯刀
刑事(警部補)
今回の殺人事件の担当