事件編
「雪、本降りだね」
窓の外を眺めながら風花は言った。
「天気予報だと今夜半まで降り続けるそうですよ。でも日が代わる頃には止むそうで、明日は晴天とか、言ってました」
「ふ~ん」
風花は窓を閉めると部屋の真ん中に設置されたダブルベッドにダイブする。このダブルベッドを見て発した愛の一言、これ三人一緒に寝れるじゃん、で一人一部屋の計画を急遽、三人相部屋へと変更したのだ。
「雪とかダルいし、スキーとかは明日にするかぁ。今日はもうずっとゴロゴロしてたい気分」
「それもいいですよ。下で和菓子バイキングやってますので行きますか?」
「和菓子?ケーキじゃなくて、和菓子バイキング?」
「です。白頭郷は珍しい和菓子の特産品が沢山あるんですよ。おまんじゅうとかようかんとかの食べ放題です」
「へ~、良いね、それ」
風花は俄然和菓子バイキングに乗る気になる。そこへ愛の声が割って入ってきた。
「ねー、ねー、この暖炉使えるのかな?」
風花と委員長の視線が暖炉の前にしゃがんでいる愛に注がれた。愛はさっきから壁にあるレンガ造りの暖炉にご執心だった。
「使えますよ。愛さん、寒いですか?」
「ううん。エアコン効いてるから寒くはないけど、せっかく暖炉があるから使ってみたいな、って思ってさ」
「使うもなにも燃やす木がないじゃん」
「そうなのよね」
愛は炭も灰もない綺麗に清掃された暖炉の底を傍らにあった火かき棒で寂しそうに撫でる。
「薪なら受け付けで言えば貰えますよ」
委員長の言葉に愛の顔がぱっと明るくなった。
「そなんだ!」
「はい。暖炉の使いたいお客様は結構いますので。ただ、中毒や火事が怖いので受け付けで注意事項とかをちゃんと説明するシステムになっているのですよ」
「じゃあさ、さっきの和菓子バイキングのついでに薪とかもらってこようよ」
風花は既に手にした部屋の鍵をクルクル回しながら行く気満々であった。
「一束で良いですか?」
喜代美が受け付けのカウンターの上に紐で括られた薪の束をひとつ置いた。
「うわっ、結構迫力ある」
「重いですよ」
「あー、大丈夫。アイが持つから」
「持つの私か!」
「そりゃそーでしょ。言い出しっぺなんだから」
ワイワイ言いながら和菓子バイキングに向かう三人。「あの、すみません」と声をかけられた。振り向くとメガネの女性が立っていた。夜霧光太郎の横にいた女性であった。
「あっ、愛人さん」と薪を肩に担いだ愛がポロリと口を滑らせる。思いがけない愛の言葉に女性はポカンと口を開け、固まる。
すかさず「馬鹿っ」と風花に足を蹴られた。
「あ、痛っ。何すんの」
「何すんの、じゃないよ。恥ずかしいでしょ」
「プッ、クスクス」
小競り合いする風花と愛を見て女が笑い出した。
「やはり、そう見えましたか?
文月佳苗と申します。
夜霧の秘書をしております」
文月と名乗り、女はぺこりとお辞儀した。二人も慌ててお辞儀を返す。
「あは、あはははは、これは大変失礼いたしました」
風花はややひきつった笑い顔で答える。
「いいえ。夜霧の横にいると良く勘違いされますので慣れてます」
文月は鷹揚に笑い、ところで、と話題を変えた。
「その薪はどこで手に入れれるのでしょうか?内の先生は寒がりなものでエアコンだけでは寒い寒いとうるさいのです」
「それなら受け付けで言えば貰えますよ」
「そうですか」
委員長の答えに文月は礼を述べると去っていった。その後ろ姿を見守りながら風花は息を吐いた。
「あー、もう止めて。汗かいたわ」
「いいじゃん。別に怒ってなかったし」
「顔に出してないだけよ。目は笑ってなかったから。怖い怖い」
□□□
ガツン
ガツン
ドアが激しく揺れ、木片が飛び散った
ガツン
ドアを突き破り凶悪な刃が銀色に蛍光灯の光を反射した。
ガツン
木の板が弾け飛び、大きな亀裂が走る。そこらか鬼気迫る男が顔を覗かせ、ニヤリと笑う。
委員長はびくりと体を震わせ、隣にいる愛にしがみついた。愛も緊張した面持ちで委員長の肩を守るように抱きしめた。
やっほぃ。ジャック・ニコルソン。
風花はポテトチップを一枚口に放り込み、カリカリと噛み砕いた。
誰だ、こんな雪のペンションでシャイニングなんて見ようと言った奴は?
あー、私だよ。と思いながら風花は時計に目をやった。既に夜中の零時を回っている。
画面でニコの旦那が女に斧を振り下ろす。
「ひゃぃ」
委員長が可愛らしい悲鳴をあげながら体をびくんと飛び上がらせた。愛も顔をひきつらせている。
「ふぃ~、怖かった。変な汗かいちゃった」
「私もです」
無事エンドロールが流れる中、少し涙目になりながら愛と委員長は互いに手を取り合ってが安堵の息を漏らしていた。
いや、委員長はともかく愛、あんたは日本刀をブン回す相手を叩きのめせるんだから、なぜこんなのを怖がる。と風花は秘かに思ったが指摘するのをやめた。ただ、「ならお風呂にでも行くかね」とだけにとどめた。
ペンションのお風呂は本館と別館を繋ぐ渡り廊下の途中にあった。通路の真ん中辺り、廊下の左右に扉があり、それが大浴場だった。
「おーー、露天風呂?」
浴場の天井を見た愛は感嘆の叫びを上げた。大浴場の天井はガラス張りで、澄んだ星空を存分に眺めることができたのだ。
「すごい。今にも落ちてきそうだ」
夜半から雪が止むと天気予報でも言っていたが止むどころすっかり晴れ上がり、無数の星が輝いていた。愛は一糸纏わぬ姿で星空を惚けたように見つめていた。
「きれい……」
委員長も頬赤らめほぅとため息をついた。
星空のことではない。委員長の視線は愛の後ろ姿に注がれていた。
メリハリのある肩甲骨が天井から差し込む銀色の光りに照らされ、さながら天使が羽を広げげているような美しい陰影を形作っていた。しなやかで張りのある背筋の真ん中を背骨がまるで定規で引いたような直線を描き、完全な半球のようなお尻へ繋がっていた。
「愛さん、すごい。本当にきれい……」
うわ言のようの委員長が呟いていると、肩越しに風花が顔を覗かせ、胸をガン見する。
「いや、委員長もかなりすごいよ」
「きゃあ!ふ、ふ、風花さん、何を見てるのですか!」
「なにって、委員長のたわわな乳」
「乳とか言わない!いやらしいです」
「いいじゃん。委員長、すごく立派なんだから。もっと胸を張ってよ。愛より何倍も大きいよ」
胸を両手で隠してしゃがみこむ委員長に風花はケラケラ笑いながら言う。
カコーン!
洗面器が風花の頭を直撃して、とても良い音を響かせた。
「止めんか。このセクハラ大魔王」
「ぐぅあ、アイ。本気で殴ったなぁ~」
が、愛はガン無視をする。
「さ、委員長。バカは放っておいてあっちで流しっこしよう」
「ふぇ、な、流しっこですか?!」
「うん。やだ?」
「い、いえ、とんでもないです。むしろ、ぜひ!」
委員長は目を輝かせ、愛の手を包み込むようにぎゅっと握った。
「あ~、極楽、極楽」
大浴場の湯船で大の字になりながら、風花は親父のようなセリフ何度も繰り返し呟いた。
同じ湯船に愛も委員長も使っている。
閉じていた目を開くとガラス越しに満天の星空が見える。親父臭かろうがなんだろうがこれを極楽以外になんと表現すれば良いのか風花には分からない。
かすかに入り口の戸が開く音がした。
音の方を見ると湯煙の中を一人の女が入ってくるのが見えた。
「あらっ」と女が少し驚いたように言った。文月佳苗であった。
□□□
「それはね、かなり昔の話ね」
と佳苗はいった。
受け付け前のソファに風花たち三人と佳苗が腰を下ろして談笑をしていた。
大浴場で一緒になってすっかり打ち解けていた。裸の付き合い恐るべしである。
「確かに夜霧は猟奇的な殺人描写と奇想天外なトリックで話題になりました。だけど、満足な部数がでたのはデビュー作とその後の数冊だけ。それ以降は沢山だしてはいたけど鳴かず飛ばずだと思うわ」
「そうなんですか。ペンションに缶詰になるからてっきり人気作家かと……あっ、す、すんません」
愛がまたもや舌を滑らせる。佳苗はクスクスと笑う。今度は本当におかしそうに笑っていた。
「あなた、正直な子ね。夜霧は人気作家よ。
最近復活したのよ。『成美おばさんの学食お悩み解決メニュー』シリーズでね」
「それ、私、聞いたことあります」と委員長が言った。
「ある総合学園の学食の一見冴えないおばさんが食堂での学生の他愛ない話から事件を解決するお話ですよね。今の高校生や大学生の流行りものをいち早く題材にしていてお洒落で人気ですよね。
そうか。あれ、あの方が書かれているのですか」
「お洒落ねぇ。とてもあのむさいおっさんからそんな話が出てくるのは思えないけど。あちゃ。私も口が滑っちゃった」
てへペロ、とする風花。佳苗は大声で笑いだした。
「いえ、あなた、今のは絶対確信犯でしょ」
四人で一緒に声に出して笑いだした。
「うん、ところで、佳苗さんも小説書くんですか?」
一頻り笑ったところで風花が質問すると佳苗の笑みがすっと消える。
「あら、なんで?」
「う~ん、さっきから右手中指が気になって……」
中指?と呟きながら佳苗は自分の指を見た。
「それペンたこですよね。キーボードやパット全盛時代に珍しいなって思ったんです」
「あらまぁ、油断ならないわ。ホームズ張りの観察力ね。
そうね、正直に言うわ。夜霧の秘書は世を忍ぶ仮の姿。その実は推理小説家志望の古風な女よ。キーボードをちまちま叩くよりペンで紙に書いた方が早いし、集中力が出てくるタイプなのよ」
「素敵です!どんなのを書いてられるんですか?」
「つまんない作品よ」
委員長の質問に佳苗は素っ気なく答えた。なにか少し気まずい雰囲気が漂い、会話が途切れる。そんな空気を打破しようと風花がポケットからもぞもぞと緑色のチューブを取り出した。
「じゃーん!」
「あっ、それ例のハンドクリーム?」
「そそ。お肌ツルツルになるっていうやつ。
夕方に気になっていたので買ってみました。
と言うことで使ってみませんか?
夜塗っておくとクリームの有効成分が染み込むのと保湿効果でツルツル、プルンプルンになるそうです」
「ふ~ん。小説のネタになりそうね」と佳苗もは興味を示した。
結局、愛を除く三人が入念に手にクリームを塗り込んだ。愛は手がベタベタするのは苦手だとどうしても使おうとはしなかった。
「変わった匂いですね」と委員長が自分の手の匂いを嗅ぎながら言った。
「それね。沈香の匂いらしいわ」
「えっ?チン「それ、昼間やったネタですから!」」
ボケようとした佳苗を風花がすかさず止める。佳苗は少しつまらなさそうに口を尖らせ、クスクスと笑い始める。風花も同じように笑い始める。その後、ガールズトークは二時間ほど続き、解散したのは夜中の3時頃だった。
□□□
物心ついた時には既に空気のようにしている習慣が愛にはあった。毎朝の古武術の型の鍛練がそれである。その習慣が強固な体内時計を作り上げていた。その為、どんなに遅く寝ても6時にはくっきりと目が覚めた。
まだ眠っている風花や委員長を起こさないように部屋を出ると、渡り廊下へと向かった。
そして、渡り廊下で静かに型の練習を始めた。
無心に鍛練をする事、一時間ほど経った頃、
別館の方でなにやら物音がするのに愛は気付いた。何事かと思い、別館を覗いて見ると佳苗が頻りにドアをノックしていた。
「先生。先生。起きて下さい。先生!起きて下さい」
「どうかしたんですか?」
愛の言葉に佳苗は振り返った。その顔は少し青ざめていた。
「ああ、愛ちゃん。先生が全然起きないの」
「すっかり寝込んじゃってるんじゃないんですか」
「かもしれないけど。もう何度もノックしてるのに全く反応がないなんておかしい。なにか胸騒ぎがするわ。愛ちゃん。申し訳ないけど受け付けにいって誰かを呼んで来てくれないかしら。マスターキーを持ってきてもらって」
愛はドアノブをガチャガチャと触って見た。確かに鍵がかかっていた。
「開けるだけなら、マスターキーは要りませんよ」
愛はそう言うとドアノブ付近に両手をあてがう。
「どういう意味」
訝しくおもう佳苗に少し下がるように言うと、愛は呼吸を少し整える。
「ふん!」
バキン
ドアに衝撃がかかりドアノブが脱落する。
「ほら、開きました」
事も無げに言うと、愛はドアを開けて中に入る。見ると窓際の机に夜霧光太郎が突っ伏している。
「なんだ。やっぱり寝てるんじゃないですか」
愛はそう言いながら近づこうとして歩みを止めた。机に突っ伏した光太郎の後頭部はばっくりと割れ、赤黒く染まっている。
「えっ?」
愛はゆっくりと近づき、そっと首筋に手をやる。まるで氷のような冷たさだった。脈も感じられない。
そう、夜霧光太郎はすきとおった氷のようにすっかり死んでしまっていた。
「愛ちゃん」
震える声に振り向くと佳苗の目がなにかを訴えていた。佳苗の目は窓に向けられていた。窓は内側に開いていた。窓ガラスが割れてガラスの破片が部屋に散らばっていた。
夜霧を惨殺した犯人はどうやら窓を割って侵入してきたようだ。破片を踏まないように気をつけながら窓に近づき外を見る。
真っ白な雪原に犯人の足跡が残っていた。窓辺まで近づいてくる足跡、そして犯行後に現場から立ち去る二筋の足跡がくっきりと残っていた。
「犯人はここから入ったのね」
愛の背後から窓の外を見て佳苗が囁くように言った。
「とにかく警察を呼ばないと」と佳苗は部屋を出ようとして立ち止まった。
「部屋の鍵が落ちてるわ」
なんで立ち止まったのか不思議そうな表情をする愛に佳苗は床に転がっている鍵を指差した。鍵は夜霧が突っ伏している机のすぐ横に転がっていた。机の置いてあったものが殴られた拍子に落ちたのだろう。
「ダメよ!」
何気なく鍵を拾おうとした愛は鋭い声に止められた。入り口をみると険しい顔の風花が立っていた。
「ダメよ、愛。現場にあるものに何であっても触れてはダメよ。それが犯行現場の掟よ」
2020/01/07 初稿