プロローグ
「うっは!雪だよ、雪」
バスから降りた少女は一面の雪景色に歓声を上げると、道端にこんもりと積もった雪にダイブした。そのまま、ゴロゴロと転がりながら、ケラケラと笑う。
「うはー、冷たーい!気持ち良い!!」
「ちょっと、アイ。あんたは犬か?!」
もう一人、両手に荷物を抱えた少女がよろよろ頼りなげな足取りで昇降口を降りながら、呆れ気味に突っ込みをいれた。
「気持ち良いよ。ふぅちゃんもやんなよ」
「やんないよ。
もう、こっちが恥ずかしくなるから止めれ」
雪の積もった地面に恐る恐る足をつけると今春風花は、大きくため息をついた。
乗ってきたバスがゆっくりと離れていく。
風花は周囲を見回す。一面真っ白な雪景色に愛がはしゃぐのも分からないではない。実のところ風花も心の中に浮き立つものがあった。
と、車のクラクションが鳴った。
見ると車の横で女の子が手を振っていた。
「アイさ~ん。風花さ~ん」
「おっ、委員長だ。
ヤッホー、委員長~。
ほら、アイ。遊んでないで立ちなさい」
風花は、手を振り返すと荷物を持って車に向かう。それを肩にバックをひっかけたアイが軽々と追い抜いていく。荷物の量も違うが、こんな滑りやすい雪道を何であんなに軽快に走れるのか、と風花は思う。
「お疲れ様です。電車とバスを乗り継いで大変だったでしょう」
「ううん、むしろ楽しかったよ。バスがトンネル抜けたら一面雪で興奮しちゃったよ!
私、こんなに雪みたの初めて!」
「この白頭郷は日本でも有数の降雪地帯ですからね。ペンションの近くにスキー場がありますからスノーボードやスキーもやれますよ」
「へぇ、私、スキーとかスノボ、やったことないのよね」
「そうなんですか?意外ですね。アイさんはスポーツ何でもやってそうですけど」
「私はそういう道具使うスポーツってあんまししないのよ。
ふぅちゃんの方がよっぽどやってるよ。ねぇ」
「えっ?なに?」
ようやく二人のところにたどり着いた風花がなんのことだと首を傾げる。
「風花さんはスキーとかスノーボードをやられるのですか?」
「えっ?まあ、やったことはあるよ。人並みには滑れる、かな」
「なら、やってみるのも面白いですね。
うちのペンションは無料で道具の貸し出ししてますよ」
男の声が会話に割って入ってきた。見ると赤いスキーウェアに青いニット帽という出で立ちの青年が立っていた。
「木崎透さんです。今日、皆さんの出迎えに車を出してもらったんです」と委員長こと、茴木涼子は青年を紹介した。
「木崎さんはスキーもスノーボードもインストラクターのライセンスを持ってるそうです」
「ほーー、イケメンだし、スポーツマンとな。委員長のいい人ですか?」
「違います、違います!絶対にそんなことはありませんから!!」
委員長は両手をぶるんぶるんとラジオ体操でもするように左右に開いたり前に突き出したりを繰り返して、真っ赤な顔で叫んだ。その勢いに風花は一歩後退する。
「いや、軽い冗談だから。そんな全身全霊で否定しなくても……」
「ここまで全力否定されると、なにもなくてもなんか傷つきますね」
木崎も苦笑しながら言った。
「い、いえ!私はそんなつもりでは、あわわわ、違うんです、ただ、アイさんの前ではそういう話をされますと私、ダメなんです!」
「ほえ?私がどうかした?」
道端で雪玉をつくっていた愛が自分の名前を呼ばれたので振り向く。
「あーー、あんたはあんたでなにをやってる?」
「えっ?えっと……雪だるま?」
「質問に疑問符つけて答えるんじゃあない!
って言うか、アホなんですか、あなたは?
そんなところで雪だるま作って遊んでるんじゃない、フリーダム過ぎるわッ!」
「いや、だって、こんな機会滅多にないし」
「だまらっしゃい!雪見たら条件反射的に雪だるま作るとか、幼稚園児か!」
「えー。ブーブー」
愛は口を尖らせて文句を垂れた。まさに幼稚園児だ。
「あーー、まぁ、それくらいにして、そろそろ荷物を車に積んで出発しませんかね」
じゃれあう二人に木崎が笑いながら割って入ってきた。そこでようやく木崎の提案に従い、風花と愛は荷物を積んで車に乗りこんだ。
「ペンション白頭はここら15分ぐらいです」と委員長は助手席から後部座席の風花と愛にバスガイドよろしく身振り手振りを交え熱心に白頭郷の説明を始めた。
「この辺はもともと過疎化の進んでいた村でしたが、総合リゾート地として開発が進んでいるんです。
ほら、あそこの一際高い山。
白頭山と呼ばれていますが、あの山から吹き降りる雪でこの辺は冬になるとご覧の通りの一面、雪に覆われます。温暖化で雪不足と言われてますが、この辺は毎年雪不足に悩まされることはないという話で、ウィンタースポーツのメッカにしようと地元の人たちが頑張っているところです。
白頭山は豊潤な水源でもあります。
山から流れ出る白頭姉川、白頭弟川、白妹背川に代表される白頭水系は日本銘水百選にも選ばれていて、その水を源にした米や地酒も有名なんです。
春なら水を張った田んぼが広がって、一面の鏡のような美しい田園風景を見ることが出来ます」
「へえ、今はまっ平らな雪原しか見えないね」
「まあ、今のは受け売りです。
私もこの冬に初めて来たので田園風景を実際に見たことはないのですけどね」
委員長は少し頬を赤らめて答えた。窓の外を見ていた風花が委員長の方を向く。
「委員長のお父さんがリゾート開発に関係しているんだよね。今向かっているペンションもオーナーさんなんでしょ?」
「正確には共同経営者ですね。実際にペンションを切り盛りされているのは富樫さんと言われる方で、父の高校の同級生なのです」
「はー、共同でもスゴいわ」
「お陰でこんな素敵なところにただで招待してもらえるなんて、最高よ!」
愛は満面の笑みを委員長に向ける。その笑顔に委員長はあからさまにたじろぐ。
「い、い、いえ。
皆さんが冬休みにどこか行きたいと言っていたので、こういうところも良いかと……
もしも、気に入って頂けたら何よりです!」
「もう、委員長がサイコー!」
愛は委員長の手を両手で包むようにぐっと握りしめた。とたんに首から顔にかけて委員長はみるみる真っ赤に染まっていく。さながら熱湯に突っ込んだ温度計のよう。
「あわ、あわ、あわわ。
あ、愛さん、手、手ぇ、手ぇをそんな風に握っては」
「うん?手がどうしたの?」
「生まれながらの処女殺し」
テンパる委員長と意味が分からずキョトンとしている愛を横目に風花が呟いた。
「ふえ?なんだって?」
「な~んも!仲が良いなぁとおもっただけ」
一方、委員長はプシューと頭から湯気を出してもおかしくないぐらいヒートアップしている。
「だから手を握、握っては、握、握――
握らない、握ろう、握ります」
うわ言のように五段活用をぶつぶつ呟き始めた。
「握る、握るとき、握れば、握れ……握れ、握れれれ」
「うわっ!ちょっ、委員長、どうしたの?大丈夫」
愛は慌てて委員長の両肩を抱いて揺する。
「愛さん、愛さん、揺すっちゃラメですぅ。
そんなに揺すったら、揺すったら……
揺らない、揺すろう、揺すります、揺する、揺するとき、揺すれば、揺すれれれれ」
「わっ、なに!?しっかりして委員長!
ふ、ふぅちゃん!大変。なんか、委員長が壊れかけてる。どうしよう?」
「いや、いや、いや。
あんたが、その男前な抱擁をやめれば委員長は元に戻るから。やめてあげなさい」
「どういうこと?意味わかんない。
あああ、委員長~、しっかりして~」
風花の指摘の意味が理解できず、愛はより激しく委員長の体を揺する。揺する度に脱力した委員長の首が、首の座らない赤ん坊のようにカクンカクンと揺れる。もげて転げ落とそうな危険な光景だ。
「うはっ!委員長、首、首に力いれて!取れちゃう、取れちゃうよ!」
「取れない、取ろう、取ります、取る、取るとき、取れば、取れれれれ」
「ダメだこりゃ」と、風花はぼそりと呟いた
。
車中の修羅場を余所に、車は粛々とペンションへ続く雪道を進み続けた。
2020/01/03 初稿
ようやく、ようやく風花のフルネームを紹介できた。
一抹の不安をよそに得意の見切り発車だ!
大丈夫だろうか……